第5話 助けに行く
妖精たちが放った光が収まった後、部屋の隅に妖精の王が立っていた。
私と真田は咄嗟に自分たちを守るくらいの小さな結界を張る。マリアちゃんの一件があって、やっぱり警戒してしまう。……でも、どうしてここに?
妖精の王は言った。
「あの子を助けてほしい。あの子は、塩水と陸地の間にいる……あの場所だと、海のモノたちの邪魔が入ってあの子を取り戻せるほどの力を振るえない。このままだとじきに私の力が完全に届かない場所へ行ってしまう」
「あの子って、誰なんですか」
私が訊いたその瞬間、私の脳裏に一つの光景が浮かんだ。
曇り空の下、波が高い海岸を、赤い髪の若い女性が若い細身の男の人を背負って歩いていた。男の人の身長は女性より高くて引きずるようになっているけど、女性は構わず運んでいる。どうやら、背負われている男の人は意識がないように見える。
……ていうか、あれ、健吾さんだ!
女性は波打ち際まで健吾さんを運ぶと、波打ち際に健吾さんを置いた。健吾さんはたちまち波に呑まれる。
「待って、駄目!」
私は思わず叫んだ。視界が元の部屋に戻る。
妖精の王は言った。
「あの子を助けて。早く」
妖精の王の側の空間が揺らいだ。そしてその中にさっき脳裏に見せられた光景そのままの景色が見えた。暗い曇り空、高く荒れた波が押し寄せる波、そして砂浜。
「真田、行きましょ!」
私は言うなり真田の手を掴み、駆けだした。真田はよろめきながらもついてきた。
そして私たちは、妖精の王の側に浮かぶ光景の中へとそのまま飛び込んで行く。
途端に、磯の香りと強い風がふきすさぶ砂浜の上に私たちは立っていた。真田が叫ぶ。
「何ですか、ここ!」
「健吾さんがいるの!」
私は目を凝らした。妖精たちの光が少し離れた波打ち際に見える。そこには赤い髪の女性がいた。まとわりつく妖精たちを手で追い払おうとしている。
私たちの周りにいる妖精たちが説明してくれた。相変わらず要領を得ない話し方だけど、それを総合すると、赤い髪の女の人は健吾さんの親戚で、妖精を見ることはできるけど、健吾さんほどではないそう。それが癪に障ると健吾さんを魔法の力を込めた薬で眠らせて荒れる海に捨てに来たらしい。
私は真田に言った。
「真田、あの女の人を捕まえて。私は健吾さんを助けに行くから」
「えっと……わかりました、了解です」
真田はこちらに戻ってから妖精の声をあまり聞けなくなっていて、今も妖精たちの話は聞こえていない筈なのだけど、私の一言で察してくれたようだった。ありがたい。
私は魔法で飛び上がり、健吾さんの気配を上空から探す。辺りは生命の気配で満ちあふれているけど、楽人の国が使っていたコンテナみたいな特殊な効果がある道具とか、隠蔽結界とかが使われているのでなければ、健吾さんの気配を探すのはなんてことない。
健吾さんは海岸線から二十メートルくらいのところまで流されていた。遠浅らしく、完全に体は水の中に沈んではいない。でも、確実に沖に流されていっている。
私は上空から健吾さんめがけて飛んでいった。そして、健吾さんの体を引き上げようと魔法を使った。得意な魔法同士ならいくつもの魔法を同時に使うのも問題ないけど、物を浮かせる魔法はあんまり得意じゃないから、飛行魔法を使いながらは難しい。けど、やらないと。
でも、あまりうまくいかなかった。ほんのり浮いている感覚はあるけど、確実に効果を出すためには、同時に使う魔法の数を減らさないといけない。
私は空を飛ぶのをやめ、健吾さんの側の海に降り立った。水の深さは私の膝くらい?私はちゃんと腰を落としてから、波にさらわれないように魔法で自分の体を水の底に固定する。
そして、波に流されようとしている健吾さんの体を自分の体で受け止めて、魔力の力も借りながら、まずは健吾さんの顔を水面から上げた。健吾さんが咳込む。よかった、ちゃんと呼吸をしてる。
魔法の力を続けて使いながら、健吾さんの頭が間違いなく水の上から出て呼吸できるように私の体にもたれかけさせた。
健吾さんは呼吸はできている。でも、健吾さんの意識は戻っていない。健吾さんが自分で動ければ、もっと状況は楽になる。健吾さんは転移魔法はできないけど、飛行魔法はできるから。
健吾さんの体を魔法で探査したら、体全体をうっすら覆う魔法薬の気配があった。こっちの世界にもそういうものがあるというのは、アレクシス王子から聞いたことがあった。翼の城で使われているような強力なものではないけれど、この世界にも、王子に言わせると原始的な、素朴な魔法を使って薬を作る一族がいるんだって。アレクシス王子の話では、マリアちゃんの一族がそうらしいのよね。
そして、その魔法で練られた薬のせいで健吾さんは意識が戻らないんだ。
それならやれることがある。
私は健吾さんに緩い解毒魔法を掛けた。薬は毒でもあるから、その効果を消すのなら、解毒魔法で可能なんだよね。そして私はこういう魔法は得意。たとえ使われた薬に魔法が掛かっていても問題ない。
体を魔法で固定しながら解毒魔法を使っている最中、ひときわ大きな波がやってきた。私はそれに驚いて、自分の体を固定する魔法に振り分けていた意識を緩めてしまった。私たちは足が届かない深みの方にまで流された。水の力で健吾さんと引き離されそうになって、私は慌てて魔法で健吾さんの体を私に引き寄せると、両腕で抱きしめ、健吾さんの体を守るようにして結界を張った。物質を通さない結界を。翼の城に行った頃に、使えるようになれ、と巧さんに言われていたものだ。私たちは結界で守られることで水に流されることもなく、空気が私たちの周りにある状態になる。とりあえずは安心。
でも、いつまでもこうしてはいられない。海の底で、結界に守られて普通に呼吸はできるけど、魔力が永遠に続くわけではない。それまでに海の上に浮かび上がらないと。
今、私は健吾さんを腕の中で抱きしめるようにして海底に座り込んでるけど、このまま飛び上がるのは難しい。とりあえず健吾さんを地面の上に寝かせた後に魔法で浮かせて、それで背負えば大丈夫かな。
私は、とりあえず光の玉を魔法で作り出した。こうでもしないと、周りが見えない。そして、私にもたれかかるようにしていた健吾さんをゆっくりと海底に横たえたとき、健吾さんが目を開けた。
あ、解毒魔法が効いたんだ、と安心するのと同時に、健吾さんに何て言おう、って私は頭の中でパニックになった。えっと、健吾さん的には私は初対面だもんね?そんな初対面の相手とこんな魔法の結界の中にいて、魔法の光が及ぶ以外は真っ暗な場所で、これはどうなってるんだって、きっと健吾さん、頭が混乱するよね?
健吾さんは横になったまま頭を動かして周りを見ていたけど、その視線が私の上で止まった。あ、どうしよう、何て言おう。考えが全然まとまってない。
私は混乱して何も言えなかった。けど、健吾さんは私をじっと見たまま、
「ミルクティ……瑠璃ちゃん?」
と言った。私は固まる。そして、訊ねる。
「あの、何で私のこと、わかるんですか」
「えっと、それは真田に写真を送ってもらって」
健吾さんはそこでほほえむ。そう言えば真田は私の写真をよく撮っていた。それって、健吾さんに送るため?
何も言えない私をよそに、健吾さんはゆっくりと体を起こして、周りを見回した。
「これ、どういう状況?瑠璃ちゃんが結界を張っていて……でも何で?」
「えっと……あの、健吾さん、魔法薬で眠らされていて」
私はしどろもどろになりながら説明しようとして、私もきちんと知っているわけではないことに気が付いた。なので、知っていることだけを話す。
「赤毛の女……なるほどね」
健吾さんは、健吾さんを海まで運んできた女性に心当たりがあるようだった。
「よくわかった。ありがとう、瑠璃ちゃん。助けに来てくれて」
「あ、はい。それで、後は上に上がるだけなんですけど、今から浮遊魔法で飛び上がりますから。あ、健吾さん、自分で飛びますか?」
健吾さんは立ち上がりながら、
「そうだね、ちょっと僕に考えがあるんだけど。瑠璃ちゃん、結界を維持し続けてもらえるかな。移動は僕がやるから」
そう言ってから、健吾さんは上を見上げて魔力を展開した。私は私で結界の座標が私たちから離れないように集中する。
と、健吾さんは私の手を離すと、私の体を更に魔法で浮かせて、健吾さんの腕の中に降ろし、横抱きにした。いわゆる、お姫様だっこ。
驚きで固まった私を見下ろして健吾さんはにこやかに言う。
「肩に腕を回して、僕にしがみついて。その方が僕が楽だから」
「あの、えっと、大丈夫です、降ろしてください。ちゃんと離れないようにしますから」
「でもこっちの方が確実だよ」
「でも」
「瑠璃ちゃん、だっこが嫌だったら、おんぶでもいいけど。あとは、肩に担ぐとか?それは嫌だよね?」
私はおそるおそる健吾さんの肩に腕を回した。健吾さんが言う。
「もっとしっかり僕にしがみついて。……そう、それでいい。じゃあ、行くよ」
健吾さんは私が張る結界の周りに風の魔法を走らせた。それは周りの海水を巻き込んで竜巻になり、私たちは見る間に海の上、更に空にまで出た。
健吾さんは竜巻を操りながら、辺りにたちこめていた雲を晴らしていく。
「周りを明るくしたいんだよね。アイシャ……僕に魔法薬を盛った奴を見つけたいから」
健吾さんの話では、アイシャという人が出したお茶を飲んでいて眠くなり、気がついたら私と海底にいたのだそうで。
「瑠璃ちゃんが見た、僕を運んでいた赤い髪の女がアイシャだよ」
「それなら真田に捕まえてもらうようにお願いしていて。あ、あそこ!」
私は健吾さんの首に回していた腕を片方だけ離して海岸の方を指さした。波打ち際から少し離れた場所、そこだけものすごい数の妖精が集まっている。その中に真田の気配もある。
健吾さんは風で竜巻を操りながら妖精が集まっている場所の側まで行った。そして、次にはゆっくりと飛行魔法で妖精たちの中に降り立つ。風の魔法は解かずに、それを使って水を巻き上げ、龍を形作る。まるで、健吾さんがそれを従えているみたいにゆっくりと周囲を飛ばせながら。
夥しい妖精たちの中心にいたのは、真田と、さっき健吾さんを背負って海まで運んでいた赤毛の女性だった。
女性は空から降りてきた私たちを、口をぽっかり開けて見つめていた。妖精たちが口々に言う。
健吾は風の魔法の使い手よー。
とっても強いのよー。
女性は何か呟いていた。英語だったので、全部わかったわけではないけど、「信じられない」といったようなことを呟いていた。
真田が私たちを見て言った。
「あー、お疲れさま。無事で何よりです」
「うん、真田も助けに来てくれてありがとう」
「いいえ、全ては瑠璃さんのおかげですよ。私じゃ妖精の声が聞けないんで、妖精の王がこの場所への道を作ってくれても、躊躇なくそこに飛び込むなんてできませんでした。とりあえずグラハムさんに連絡を取りましたから。すぐに来るそうです」
そっか、グラハムさん、近くにいるんだ。普段は世界中を飛び回ってるけど、いてくれて良かった。
私は健吾さんに言った。
「あの、降ろしてもらえますか」
「え、何で?」
健吾さんが、意外なことを言う、といった様子で私に訊き返してきた。私は混乱する。え、何でって、何で?
「あの、えっと、もう地上に降りたし、降ろしてもらえば普通に立てるので」
「そっか。でもそうだな、それじゃ僕のお願いを一つきいてくれたら降ろしてあげるよ」
「え?お願い?」
「うん。瑠璃ちゃんの携帯の番号を教えてほしい」
「は?」
私は目を丸く見開いて健吾さんを見つめる。健吾さんはにっこりと笑って、
「だって瑠璃ちゃんの連絡先、知らないから。話したいときに話せないでしょ」
「あの、私、えっと、今、自分のスマホ、持ってきてないし。それに、自分の電話番号、覚えてなくて」
これは本当。摩耶ちゃんの子どもになった後、摩耶ちゃんは私にパソコンだけでなくスマホも買ってくれたのだけど、その番号、私はまだ覚えていなかった。自分で自分のスマホに電話することなんてないし。
「じゃあ、真田に教えてもらうから。教えてもらってもいいよね?」
すると真田が言った。
「甘いですよ、氷上健吾。連絡先を教えてもらっても、電話に出るという約束をもらわないと、意味がないじゃないですか」
「え、瑠璃ちゃん、僕からの電話、出ないの?」
健吾さんはまっすぐに私を見つめる。私は目をそらすけど、健吾さんは私を抱え直して私の体を高い位置に持ち代えると、私の耳元で囁くように言った。
「僕に電話番号、教えてくれるよね?それで、僕からの電話に出てくれるよね?」
私は顔が熱くなり、反射的に頷いた。そして健吾さんの肩口に思わず顔を埋めた。やだ、本当に恥ずかしい。私、絶対に顔が真っ赤になってる。でも、ふと我に返る。顔を見られるのが恥ずかしくて健吾さんの肩に顔を埋めてるけど、これも恥ずかしいことじゃないの?これでいいの?
私はおそるおそる顔を健吾さんの肩から、というか首筋から離した。健吾さんはそんな私をじっと見ていた。そして、目が合うとにっこり笑った。
「うん、瑠璃ちゃんとこれから毎日話せるの、楽しみだね。翼の城では瑠璃ちゃん、ウサギの姿で話せなかったから」
私はもう、正直な自分の気持ちを言うしかなかった。
「はい、そうですね。……ほんと、ずっと話がしたかったです」
ウサギのぬいぐるみ代わりが人間の女の子になって、健吾さんはそれでも翼の城にいたときみたいに接してくれるかわからないけど、でもいいの。健吾さんの態度が前とは違うかもしれないけど、それでも私はとりあえずお話ができれば。友達になれれば、それでいいの。




