第7話 月の王の宮殿
「何かあったの?」
「近々、次代の月の王に代替わりする予定なのですが、次代のために何か用意できないかと、七代目、今の月の王が考えあぐねていて」
五代目が言うと、シンも頷いて、
「そうですな。七代目からすると、あんな生まれ方でも次の月の王は息子に当たりますから、少しでも環境を整えておいてやりたいんでしょう」
あんな生まれ方、というのが何を指しているのかは、何となく僕にもわかった。だって母親が翼の城の女王だよ?そんなのを相手に子をなすって、どう考えても普通の人間が生まれるときとは過程が違っているだろう。
「何が問題なの?月の王の宮殿の模様替え、とかなら、巧に……アールに話した方が早いと思うよ?」
「違います。さっきも話したでしょう、月の王の宮殿は孤独だ、という話ですよ。女王サタアデの息子がどんな性格かは知りませんが、翼の城よりはこちらの方が確実に閉鎖的です。それを何とかしたい、というのが七代目の考えで」
と、僕の背後でいきなり声がした。
「お前ら、何話してるんだ」
巧が僕の後ろに立っていた。シンを見ながら、
「ルエットに何を託してるかと思ったら」
「司のことは、私の心残りでしたからな。ルエットに箱を託したときには、まさかまたあなたに会えるとは思っていなかったし、あなたが司とたびたび会っているとも思わなかったし」
「じゃあ、もう会えたからいいだろ。こいつを連れて帰るぞ」
「待ってください。あなたにも相談をしたい。七代目が少し妙なことを考えていて」
そして、シンは僕にしたのと同じ説明を巧にもした。が、巧はただ鼻を鳴らして、
「それが何の問題なんだ」
「次代の孤独を慰めるために、何かよろしくない方法を考えているのではないかと。術式を書いているらしいのですが、それを私やリウーシャに見せようとしないのです」
「お前もそう思うのか」
巧は五代目に視線を向けた。どうやらリウーシャというのは五代目のことらしい。
「ええ。今までそんなことはなかったのに。七代目は術式を組むのが好きで、いろいろと作っては私たちに見せてくれていたのです」
「見せられるようなところまでいっていないから、とか?」
「それでも今までは見せてくれました。まだアイデアの段階で、下書きだけど、というような本当に粗いものだって見せてくれていたのに」
僕は少し首を傾げながら訊く。
「今の話だと、七代目が何か術式を考えている、くらいしか確かなところはわからないわけだよね。次代のためのものかどうかもわからないのではないですか」
「そうですけど、最近の七代目の関心は自分の後継者が神殿でより充実した生活をするためにはどのような準備をしたらいいか、というところでしたので。今組んでいる術式も恐らくそのためかと」
「状況証拠しかないんじゃないかよ。ここで考えても仕方がないんじゃないか」
巧が顔をしかめて言うのに対して、僕は言った。
「そうだね。本人に直接話を訊きに行けばいいんじゃないかな。僕もちょうど、今の月の王に頼みたいことがあって」
すると、巧は呆れたように、
「まさか、術式の起動時期の話を今する気か?みーちゃんとかヌビエラも一緒に来るとかじゃなかったか」
「あのときはそういう話だったけど、ちょうど近くまで来ているんだからついでにと思って。第一、一度だけで話が終わるとは限らないでしょ。どうかな。僕を月の神殿に連れていってもらえないかな。神殿そのものじゃなくて、庭でもいいから。宮殿の庭には外部の者も入れるんだよね?」
シンとリウーシャは顔を見合わせた。
「それは……可能ですが。しかし、あなたが訊いても、今彼が手がけている術式のことは話してもらえないのではないかと」
「だから、僕は別の用で行くんだって。今の月の王の術式、ある時点を過ぎたら、最後の起動の時点を術式を書いた者が遠隔で操作できるようになっているんだよね。それで、多分もうそのフェイズに入っていると思うから、術式の機動時期を早めてほしいっていうお願いをしたいんだ」
「なぜ早める必要があるんですか?」
リウーシャが訊ねてくる。僕はほほえみながら、
「次代の修行のために、巻き込まれて翼の城に行かされている人間がいてね。彼を早くに元の世界に返してあげたいんだ。そのためには、対となる次代の修行を終わらせないといけない。二人がそれぞれの世界に戻る条件がそれだから」
「なるほど」
シンは頷いていたが、リウーシャは納得していない様子だった。そんなに時間がかかる話でもないだろうから、術式が自然に動くのを待ったのでいいのでは、という。でもそれだとあと二年とか三年待たないといけないんだよ、と言っても、それくらい待てばよいのでは、と。
「翼の城なら、肉体的な老いは進まないのですし、問題はないのでは?」
うーん、人間って社会的な繋がりの中で生きているよね?周りの状況が変わっていくのだから、そこに乗り遅れないようにしてあげた方がいいでしょ。
そう説明しても、リウーシャにはピンとこなかったらしい。きけばリウーシャは、月の王になる前は地上の神殿で王族として守られて生きていたそうで。社会が、とか、世間が、とかそういうのは理解できないというのはわかる気がする。
シンはその点は理解できていた。うん、だってそういう風に僕が育てたからね?巧だって、僕が育て始めた頃は全然理解できてなかったし、入船司と死に別れたときもまだわかってなかったけど、その後いろんな世界を渡って、いろんな人たちと関わって、いろんな僕の生き様を見て学んだんだろう。僕の言うことがわかっている様子だった。
きっと、修行と称してアレクシス王子を精神体だけにして、人間の生活ぶりを見るように言ったのも、その経験があったからなんだろう。
「じゃあ、宮殿の庭まで行くか。月の王が庭まで出てくるかはわからないが」
巧が言うと、シンが苦笑しながら、
「まあ、私やリウーシャでは出てこないでしょうが、あなたが行けば出てきますよ。それに、司も一緒だときけば間違いない」
「先触れを出します」
リウーシャが手のひらに小さな白い鳥を出すと、空に放った。それは僕たちの頭上で消えた。
「それでは参りましょう」
シンが言い、僕たちは生け垣の中に入っていった。宮殿の入り口はそのうちの一軒の家の中にあった。その地下に降りていくと、いつの間にかまたピンク色の空の下に僕たちは立っていた。茨の生け垣で囲まれていたので、さっき入っていった五軒の家の庭にでも戻ったかと一瞬思ったけど、少し目線を脇に寄せれば、灰色の石で出来た大きな建物があったので、ここはまた別な場所だとわかった。
シンとリウーシャは建物の中に入り、巧は僕と一緒に庭に残った。庭には石造りのテーブルとベンチのセットがあり、僕たちはそれに座る。
僕はそうやって、空や庭や建物を眺めながら言った。
「アールは本当に頑張ったんだね」
巧がまん丸に目を見開いて僕を見た。
「何だよ、いきなり」
「だってさ、月の王の術式を絶やさないようにするために、ここまでのものを作ったんでしょう。僕がアールに術式を託したときには、まさかこんな風になるとは思ってなかった」
「そりゃ、まあ。時間は有り余ってたし。次に来る奴がひ弱でも大丈夫なように準備しとくか、って考えてたら、いつの間にかこんな風になってた。……でもちょっと、もうちょっと何とかなったかもしれないなって、今思ってる」
「もうちょっと、って?」
「ここに入った奴らは、なんか孤独を感じてっていうのがさ。俺はさっきまでシンに話をきくまで、思ってもみなかった。ルエットはそんなこと一度も言わなかったし」
「アールは精神体の一部だけ抜け出したりしてたんだっけ?」
「まあ。だからさ、なんか、娯楽の一つでも用意してやれたら良かったんじゃないかなあ、って。今、俺たちがいる場所って、結構そういうの、揃ってるだろ?だから、そういうの」
言いながら、巧は何か思いついたようだった。僕も思いついた。
「そうだね、娯楽。提供してあげたらいいんじゃないかな。変な術式とか組まないでも。たとえば、電気があれば、僕らが今いる世界の娯楽って、結構いろいろ楽しめるよね?」
「だよな。ヌビエラとルエットが作った装置、あれをこっちに持ってくるか。月の王は魔力だけは潤沢にあるからな。この場所自体も魔力を放ってるし」
巧はうきうきした様子で言った。そうだね、とりあえずはその線で話を進めていったら、七代目の気を逸らすことはできるかな。ただ、七代目が次代の孤独を埋めるためには、という問題に根本的なところから取り組んでいたら、誤魔化しに感じられてしまうかもしれないけど。
そして僕たちはその後、月の王に会った。シンとリウーシャに連れられて出てきた月の王は、長い黒髪に血色の悪い白い肌、藍色の目をした四十代くらいの痩せぎす猫背の男だった。アレクシス王子とは、髪の色と瞳の色くらいしか似てない。というか、翼の城の女王も同じ髪の色だったように思うし、七代目月の王とアレクシス王子は、父と子、の筈なんだけど、父が北風なら子は春風、という感じで、性格的には全く違った。
僕たちは話をして、こちらの宮殿に魔力を電気に変える装置とDVDプレイヤーを置くことの了解を得る一方、アレクシス王子の中の術式の最後の起動時期、つまりは月の王の交代時期を早めることについても了解を得た。
「早めることは考えてませんでしたな。修行期間はどのくらいが適切かわからなかったので、まあこれくらいの期間、他の世界を見て回っていたら大丈夫だろう、と私が考えて設定した時期が来ても、次代の経験値が一定のところまで溜まっていなかったら延長する設定は作っていましたが」
うん、知ってる。術式を見ればそれはわかる。その、経験値っていうのは、どうやらアレクシス王子の心がどれくらい動いたか、で判断するようになっていたんだけど、巧は、
「お前、そんな設定でただ別の世界に放り込んでたら、いつまで経っても経験値とやらは溜まらなかったと思うぞ。あいつ、アレクシス王子は、俺に人間の生活を見ろって言われなかったら、あの世界を物見遊山しに出て、宇宙の果てとかまで見に行くつもりでいた」
「それは……私が思っていたのとは違う時間の過ごし方になっていたな。ただ、見たことのない風景を見るだけでも感動はするのではないか」
「そりゃそうだけど、あの世界だと、そうやって見に行って見られるものは、大抵魔法で再現可能で、何だったら、翼の城で見られるモノの方が刺激的だと思うぞ。アレクシス自身も、人間の営みを見ている方が刺激があった、と言っていた」
「なるほど。勉強になった」
月の王は頭を下げた。
とりあえず、アレクシス王子の修行期間の短縮はされることになった。けど、その期間変更の術式を組むのに少しまた時間がかかるとかで、大体一年後になる、とのことだった。……えっと、これはちょっと僕が悪かった。魔女のクラフトのせいで損傷した術式を直すのに、元の通りにせずにちょっと改造してしまっていたから。本当に、ほんのちょっとだったんだけどね?でも、そのせいで月の王の作業時間が延びてしまって。
巧からは、心底呆れたように、
「だから、お前ってやつは」
とため息混じりに言われたけど、でも、最初の予定よりは一年から二年早く健吾さんは戻ってこられることになったんだから、それでいいんじゃない?




