第6話 過去の僕がしたことの結果を知る
僕は、ルエットから渡された箱を開けた。するとその瞬間、周囲の景色が一変した。それまで白っぽい青空が見える野バラがたくさん茂る庭にいたのが、灰色の雲が浮かぶピンク色の空の下にいた。
僕が知らない風景だ。
目の前には、白い石が規則正しく並んでいる。その向こうに緑の生け垣に囲まれた五軒の小さな家が見える。
呆然として佇む僕の前に、白い衣を着た一人の老人が姿を現した。禿げた頭と対照的に、豊かで長い白い髭が印象的だ。
「おや、ここまでしか届きませんでしたか。術式の組み方が甘かったですかな」
その目が温かく僕を見る。
僕は少し首を傾げる。何だか、これはおかしな感覚だ。これは現実の出来事ではないような。精神だけがどこかに引っ張られてる?
そうとわかれば、離脱するのは簡単だ。そう僕が思ったとき、向こうが言った。
「お待ちください、この姿ではわからないでしょうな」
そして、一瞬その姿が光り輝くと、そこには一人の子どもが立っていた。
シンだった。入船司が育てていた子どもたちの一人。最後のとき、魔物たちに僕らがいた場所は襲われて壊滅的な被害を受けた。多分、生き残ったのは、アール以外だとシンくらいなんじゃないか。シンは知的好奇心旺盛で頭のいい子だった。月の王の術式を引きついたアールに、その次の代の術者を用意することを約束していたんだけど。
「まさか、シンがアールから月の王の術式を引き継いだ……?」
でも、アールは二百年くらいは月の王の役目を担うと言っていたから、その頃にはシンの寿命はとうの昔に尽きていた筈。それとも、アールが早くに月の王の任から降りた?
シンはにっこりと笑って、
「僕、長命種の血が入っていたらしくて。それで、人にしては長く生きたんだ。アールの言うように次の術者になれそうな人を用意しようとしたんだけど、ちょっと間に合わなくって、それで僕がなったんだよ。って言っても、五十年くらいだけど。その後はルエットが継いでくれた。ルエットはナシリアの子孫なんだよ。ナシリアは覚えてるよね?」
うん、ナシリアもシンと同じように僕が育てていた子どものうちの一人だ。将来僕のお嫁さんになる、って言ってたっけ。そっか、あの襲撃からナシリアも生き延びたんだ。
シンは元の老人の姿に戻って言った。
「あなたは、生前から、自分がしようとしている事の結果がどうなるかを気にしていたので、是非直接会って話したいと思っていたのです。ルエットに術式を託して本当に良かった。私ではここからなかなか動けませんから」
「精神体だけでうろついているのに出くわす、ってアールは言ってたけど」
「それはあの方がこちらに来られるからですよ。あなたはここがどこか、おわかりになりますか」
「ごめん、わからないんだ。空の色とか、全然見覚えがないんだけど」
「ここは、私たちが住んでいた土地の地下にアールが作った空間ですよ。魔界、と今は言われています。月の王の術式で私たちの国には魔物の居場所がなくなり、追いやられた魔物たちがこちらに逃げ込んできているのでそう呼ばれていますが、元は月の王の宮殿に続く前室として作られた空間でした。あそこに見える家は、元月の王が住むために作られた場所です」
石の列の向こうに見える、生け垣に囲まれた家はそういうことだったらしい。
「五軒あるのは、一軒に元月の王が一人住んでいる、という感じなのかな」
「いいえ。今あそこに住んでいるのは五代目一人だけですな。他はいろいろです。私みたいに眠りに就いている者もいれば、初代やルエットのように他の世界で暮らしている者もいる」
「……この世界って、今、どうなっているの。僕たちが暮らしていた場所は月の王の結界のおかげで魔物から襲われないようになっているのはわかった。他の場所は?」
「あなたが気にしているのは、あなたの故郷、東の国でしょう。あそこは相変わらずです。日の御子の術式を守り続け、十年に一度、術者の交代をすることで術の延命を続けています。術式は歪むことなく続いていて、当初にあれを構築した者の腕前には舌を巻くばかりです」
「そっか。それじゃ、十年に一人、精神が壊れる者が出続けているっていうことなんだね」
「それは、まあ。しかし、それはこちらもあまり偉そうなことは言えないですな。こちらは数十年から数百年に一人というだけで、術式を担った者の精神が術者になる前のままかというと、そんなことはない。私やルエットはまだ良かったのですが、四代目はひどかった。それでも騙し騙し千年ほど術式を担って、五代目に引き継いだときには、死ねない己の体に絶望して、私と同じに眠りに就きました。以降、一度も目を覚ましていません」
「シンが眠りに就いたのも、同じ理由?」
「そもそも肉体が老いた状態で月の王になりましたので、まず肉体の疲れを休めたかったというのはありますな。しかしそれよりも、時間を置いて世界の様子を眺めたら、その変わりようを新鮮な目で見られるのではないかと思ったのです」
「それで、眠りから覚めたとき、世界はどうだった?」
僕の問いに、シンはにっこりと笑った。
「それはもう、いろいろと興味深いものができていました!私が目を覚ましたのは眠りに就いてから百年後だったのですが、かなり様変わりしていましたよ。それで、その後も、眠ったり起きたりを繰り返しているのです」
「それは精神だけ?肉体は?」
「肉体も時々起きます。月の王の宮殿では精神体だけだと物質に魔力を及ぼすのが難しくて。たとえばボードゲームなどをして月の王の相手をするのには肉体があった方がいいんですよ」
「月の王を相手にそんなことをしているんだ?」
「ええ。月の王の宮殿には、基本的に過去の月の王経験者以外は入れないので。孤独なんですよ。アールはちょくちょく宮殿を抜け出していて平気そうでしたが」
「それはまずいでしょ。宮殿ってつまりは術式の在処ってことで、それは動かさない方が結界の効果は続くよ?」
「ああ、すみません、言い方が正確ではなかったですな。精神体の、それも一部だけをちぎって外に送り出す、というべきですか。しかしそんなこと、普通の者にはできません。大抵が月の王の術式を維持するだけで手一杯で。ルエットなどは書物を読んだり術式を開発するなどして、全て宮殿の中でその興味関心を満たしていたので大丈夫でしたが」
そのとき、家の方から一人の女性が歩いてくるのが見えた。明らかに僕たちを目指して歩いてきている。
「あれが五代目です」
五代目は僕たちの手前で立ち止まった。白い髪をした、四十代くらいの女性だ。
五代目はまず僕をじっくりと眺めてから、シンを見て、
「こちらの方は?精神だけ連れてきているみたいですけど、素質のない者にはあまり良いことではないのでなくて?」
「こちらは、月の王の術式を最初に書いた本人ですよ。その魂が転生した存在、というのが正しいところですが」
「あら、ではあなたの育ての親という方でしたか。本当に会えたのですねえ。初代に何度もお願いしているのだけど、なかなか機会が整わないのだとこぼしてらして。でも、本当に良かったですわ。タイミングが合って」
「確かに。相談相手がちょうど欲しかったところなので」
二人は僕をじっと見た。
これって、何かあるってこと?




