第7話 人魚姫
アレクシス王子の中にある術式の起動時期を早めるには、月の王に会いに行かないといけない。
司さんがそう言うと、
「てことは、月の王の宮殿に行くのか?俺も行くぞ。行って、場所を覚えたら、王子が月の王になった後も訪ねて行けるからな」
と、みーちゃんがうきうきした様子で言った。ヌビエラも、
「そういうことでしたら、私も行きますわ。ヤスオを連れていけば場所を覚えるでしょうし、そうしたら私もアレクシスが月の王になった後、会いに行けます」
「……月の王の宮殿ってのは、そういう場所じゃないんだけどな」
巧さんがため息混じりに言った。ヌビエラがからっとした調子で、
「知っていますわ、月の王の宮殿が孤独な場所というのは。術式の維持のために、基本的には月の王しか入れないんだって。でも、月の王の宮殿の庭くらいなら客が訪ねることが可能だとききましたわ」
「あー、まあ、そうともいえるが。普通はあそこまで行けないもんなんだが、お前らだったら行けそうだな」
「当然」
「ですわ」
みーちゃんもヌビエラも踊り出しそうな陽気さで言った。
でも、今日すぐに行く、とはならなかった。また日を改めて、ということになった。そのうちに日を決めるから、と巧さんが言ったが、みーちゃんもヌビエラも、月の王の宮殿に行くまではこちらの世界にいる、と言った。
「俺は自分の世界に帰ったら今度こそ仕事に追われてこっちに来られなくなる気がする。だったら、月の王の宮殿の場所を確認するまでは戻らない」
「私も同じですわ。というか、私、方向音痴ですもの。一度翼の城に戻ったら、こちらには来られない気がしますの。ヤスオが助けてくれるとはいえ、またはぐれてしまうかもしれませんし。あとは、帰ったら、多分、妹たちが泣きついてきそうな気がするんですのよね。ティアナとルレアが。その相手はなるべくならしいたくないですわ。やったことがさっさとばれて、お母様に怒られてしまえばいいんです」
「あなたから女王に健吾さんの状況を伝えることはできないんですか?」
私が訊くと、ヌビエラは首を思い切り縮こまらせた。
「無理ですわ。だって、そうしたら多分、それでアレクシスは大丈夫なのか、ってなるでしょう?身代わりの子と対になっているのだから。その結果、私がナイフを落としたせいでアレクシスがまさか精神ごと眠りに就いているだなんて、母様に知られたらどんなことになるか」
「お前ら姉妹、同じ穴の狢だな」
巧さんがぼそりと言った。
それで、みーちゃんもヌビエラもこの世界に残ることになった。ヌビエラが残るなら、ということでヤスオも。
みーちゃんとヌビエラとヤスオは司さんの家に行くことになった。ヌビエラは私の家に来たがったけど、それを巧さんが一睨みでやめさせた。ヌビエラは私と女子トークがしたかったそうで、
「そのうち、あの猫になっていた子と一緒に女子トークをしましょうね」
と私に言った。
ヌビエラとヤスオは、体を指人形くらいの大きさにして、司さんたちについていった。ヌビエラは、持ってきていた指輪を使って体を小さくした。それをはめたら体が小さくなる。いいなあそれ、使いやすそうだなあ、とみーちゃんは言っていた。そういうみーちゃんは猫みたいな姿になっていた。それで司さんの家に滞在することにしたらしい。
私はくたくたになって夏実さんの家に帰った。その時点でまだ十一時過ぎだった。信じられない。いろいろなことがありすぎて、家を出たのがものすごく昔のことのように思える。
夏実さんと御昼ご飯を食べた後、自分の部屋に戻った私は真田に電話した。本当は家に帰ったらすぐにでも電話すればよかたのだろうけど、疲れていたし、話すことがありすぎて長くなりそうだからと昼食後にしたんだよね。
「こんにちは、瑠璃さん」
真田はいつものようにすぐに電話に出たけど、いつもより声が静かだった。私は少し怪訝に思った。
「こんにちは。えっと、どうかした?なんか、いつもより勢いがないっていうか」
「ああ……さっきまで、巧と司さんとビデオ通話で話していたので。あ、巧、目をさましたんですね。やっぱり肉体がある方がビビッドな感じがしますね。相変わらずの美形っぷりでした」
「そうなの。巧さん、目をさましたの。それじゃ、魔女ヌビエラがこっちに来ているのもきいた?司さんの家に滞在することになって」
「ききました。ここまでドジっこだとは思いませんでした」
「方向音痴なんだって。昨日、道案内したときには、まさか翼の城の魔女とは思わなかったんだけど。ね、なんか凄い巡り合わせだよね?」
「ちょっと違うと思いますよ。瑠璃さんに魔力があるから、それでヌビエラに気がついたとか、ヌビエラが話しかけてみようと思ったとか、そういうことなのかもしれません」
そこで真田は小さくため息をついた。私はやっぱり気になって訊いた。
「真田?やっぱり何かあったんじゃない?」
「言ったでしょ、さっきまで巧たちと話してたって。ききましたよ、瑠璃さん、魔女ミイヤとの取引の話、巧たちにバレたんですってね?」
「あ、うん。えっと……巧さんたち、真田に何か言ってた?」
「言ってた、というか、いろいろ訊かれました。私はその取引のことを知っていたのかとか、魔女との取引で取り決めた条件は本当に二つだけなのか、とか。特に、後者はしつこく訊かれましたねえ。得られている効果と代償の重さが釣り合わない、とかで」
うん、そうだよね。私もそう思う。あの二つだけだったら、確かに釣り合わない。
真田は優しい目をして私に言った。
「瑠璃さん、最後の条件、巧たちには言わなかったんですね」
「言えないよ、だって恥ずかしいもの」
「恥ずかしい?何でです?別に言ってしまってもいいと思いますけど。だって、氷上健吾の心をゲットすればいいんだし」
あのとき。健吾さんを助けるための祝福を得たとき。魔女ミイヤは言った。三つの条件を呑め、と。最初の二つは、さっき話したとおり。そして、最後の条件。
魔女は言った。
風の王子以外の人と結ばれて幸せになる未来をあなたは差し出さなければならない。風の王子と結ばれなかったら、あなたは幸せにはなれない。誰かと番っても、幸せにはなれない。
そのとき、私はすぐには意味がわからなかった。でも、真田は即座に反応した。
「それって、氷上健吾と結婚できなかったら、瑠璃さんは不幸になるっていうことですか。少なくとも、誰かと一緒になって幸せになる未来はない、と」
ああ、そっか。健吾さんに失恋して他の人と結婚したら不幸な未来が待ってる、っていうことか。
それの何が問題なのか。だって、健吾さんの命が助かるのが大事だったし。それに、健吾さん以外の人と一緒になって幸せに思えるとは思わなかったし。
というか、お母さんとの仲があんなことになって、あれからいろいろ考えたんだけど、
「あのね、真田。私、魔女ミイヤに言われた最後の条件こそが、一番軽いものだったんじゃないかな、って今、思っているの。私のお母さんを見てたら、誰かと結婚して幸せになるって、なんだかあり得ないことみたいに思えて。お母さん、私のお父さんのことすっごく好きだったの。でも、おばあちゃんに嫌われて、その結果、離婚させられて、幸せにはなれなかった。今だって、再婚するって言ってるけど、再婚しても結婚相手の連れ子たちとうまくいきそうにないし、再婚相手の両親にはもう嫌われてるし、そんな中で幸せになるのは無理そうで。だから、最初から、誰かと一緒に幸せになるなんてないんだって思ったら、それを魔女との取引で差し出しても、大した事じゃなかったのかな、って。それより、私は翼の城にいたときに、健吾さんといっぱいお話ししたかったなあ」
でも、魔女との取引のせいで、それはできなかった。
ほんと、人魚姫と同じだよね。
私はいつの間にか目に涙が滲んでいた。駄目だ、真田に悟られないようにしないと。せめて声だけは元気に。心配かけちゃいけないんだから。
真田は私が泣いてるなんて気づいていない様子で、でも、少し声を低めて、
「一緒になる相手が氷上健吾だったら、そんなこと、言わないでしょう」
「そうだね。健吾さんにもし私のことを見てもらえたら、私はそれだけで幸せだと思う。もし結末が良いものではなかったとしても、それはそれでね?でも、健吾さんに見てもらえたら、っていう前提すらおかしいの、真田だってわかってるでしょ。真田、よく言ってたじゃない。元の世界に戻ったら、健吾さんに会えるとは限らないんですよ、って。それこそ違う世界の人だから、って。司さんにナイトレイヴンを見せてもらったときによくわかった。本当に健吾さん、素敵だった。真田があれだけ熱心にファンです、って言ってたのもわかったし、大勢のファンがいるんだろうな、っていうのもわかった。ほんと、健吾さん、素敵だもん」
「……あー、もう!なんか、瑠璃さんらしいっていうか、何でそんななんですか!そんなの、こう言っちゃえばいいじゃないですか。氷上健吾と結ばれちゃえば問題ないんでしょ、って!前向きにいきましょうよ!」
私は小さく笑った。うん、これも真田が前から言っていたことだ。そして、私はいつもこう返していた。そんな風には言えないよ、と。
だから、今回も。ううん、前よりももっと実感をもって、
「そんな風には言えないよ。すっごく大それたことだって、本当にわかったから」
真田は、ぐぎぃぃぃぃ、とか、ぐぬぅぅぅぅ、とか、よくわけのわからない声を上げていたが、
「いいですよ、私、瑠璃さんがなんと言おうと、そっちの方で突き進みますから。応援しますから。いいですね!」
それも、前から真田は言っていた。そのときも今も、私が返す言葉は一緒。
「いいの?だって、真田、健吾さんのファンなんでしょ?」
「あのですね、前にも言いましたけど、ファンだからっていって、推しと自分が幸せになりたいとは思わないんです。私はそうです。多分、大多数がそうだと思いますよ」
真田が返す答えも一緒。
私たちはそれから少し話をし、また明日も話そうね、と言って電話を切った。
何だか、真田と話をしてすっきりした。
勉強頑張ろう。それで、時女に行くんだ。真田とお揃いの制服を着て、健吾さんがこっちに戻ってきた瞬間に出迎えに行くんだ。




