第3話 ミルクティとごまだんご
猫は自分の体ごと大きく前後に揺らした。その首の後ろを掴んでいたルエットさんの手が緩むと、そのままその手から逃れ、大きく飛び上がった。そして健吾さんたちから離れた方へ逃げようとしたけど、すぐに戻ってきて、ルエットさんの肩によじ登った。そしてルエットさんの肩の上からじっと健吾さんを睨む。
それを見て、ルエットさんは黒白猫の眉間を指で軽くつつきながら、
「こらこら、そんな風に見るもんなじゃない。彼は君にとっては恩人なんだから」
ルエットさんの説明によると、私たちの魂は「世界の波」に呑まれて異世界に漂ってきたのだけど、そういう魂は、放っておくと最終的に消えてしまうんだそう。それが、健吾さんの歌のおかげでこういう風に形をとることができて、消えなくてすんだそうで。私からすると、健吾さんは恩人だった。
ルエットさんは私たちに名前をつけるよう健吾さんに言った。健吾さんは戸惑った様子で、
「でも、動物に名前を付けたことなんてない」
「いいよ、そんなに難しく考えなくても。たとえば食べ物の名前をつけるとかでもいいから」
健吾さんは少し考えてから、私に「ミルクティ」、ルエットさんの肩に乗っていた黒白猫に「ごまだんご」と名付けた。多分、毛の色からの連想なんじゃないかな。私は白と明るい薄茶色の毛色をしていて、ごまだんごは黒白だったから。
健吾さんは私たちと目を合わせた。私もごまだんごも健吾さんの目をまっすぐ見返した。すると、健吾さんは私たちを抱きしめ、しばらくすると震えだした。泣いていたのだと思う。
私はそのとき健吾さんの事情を知らなかった。私たちと同じ世界から突然転移させられて、もう何年もこちらで暮らしていることとか、全然。でも、きっとこの人も遠いところに来てしまって寂しいんだろうなっていうのはわかったので、私は自分の鼻を健吾さんの首筋にこすりつけた。
健吾さんは抱きしめていた私をちょっと体から離してまじまじと見て、それから笑った。
「うん、ありがとう。慰めてくれて」
うん、よかった。通じて。
そんな風に私がほっこりとしているところに、風が吹いた。
「あ、初代」
ルエットさんが声を掛ける。
私たちがいた庭の入り口に、一人の男の子が立っていた。小学校四年生とかくらいかな?白い髪、白い肌の綺麗でかっこいい男の子。健吾さんもかっこいいけど、この男の子は異次元だった。見つめ続けたら目がどうかなってしまいそうな感じ。
それが巧さんだった。
これが、私が巧さんと出会った経緯。
でも、これを全部話すのは流石に長い。どうしよう。どう話そう。
カウンターを隔てて司さんと向かい合って座ってから、私は少し考えて、ごく簡単に、春に交通事故に遭ったときに魂だけが異世界にある翼の城に飛ばされて、そこで巧さんに会った、と言った。
「巧さんは、氷上健吾さんっていうこの世界から転移させられてた人の様子を時々見に来ていて」
「キミは翼の城で氷上健吾さんに会ったんだ?」
司さんは健吾さんのことを知ってた。芸能人だから知っている、というのとは違う感じがした。
私は頷いて、
「はい。一緒に暮らしてました。といっても、私は向こうでウサギの姿をしていたんですけど」
司さんは少し考える様子を見せながら、
「もしかして、キミがミルクティ?」
私はびっくりした。
「あ、はい。私、ミルクティです」
言いながら、また泣けてきた。良かった、司さんは翼の城のこととかいろいろ知ってるんだ。巧さんの言っていた通り、助けてもらえるかもしれない。
司さんはそんな私を優しい目で見ながら、
「大丈夫、全部話してくれたら、きっと助けになれると思うから。というか、キミは翼の城から戻ってきたということだけど、氷上健吾さんはどうなったの。彼も帰ったの」
「それが、健吾さんは翼の城から出て、行方不明になっていて」
そう、だから助けてほしいの。
司さんは驚いた表情になった。
「どういうこと?もしかして、巧が僕を訪ねていけって言ったのはそのことが関係してる?」
「はい。健吾さんを助けてこっちに連れ戻すのにどうしたらいいのか、司さんなら何か考えられる筈だって。本当はもっと早く来たかったんですけど、退院した後も体力がなかなか戻らなくて」
「そうなんだ。……うん、ちょっと待って、お客さんが来る。キミは隣の部屋に入っていて」
言われた通りに、店の隣の部屋に入った。型ガラスが嵌まったガラス障子で仕切られているので、店の中からこちらの様子は見えない。
そこは土間になっていて、小さな地蔵が祀られていた。それでこの店は地蔵堂と呼ばれているんだと私は納得した。
お客さんは宅配便を持ってきただけの人だったらしい。司さんはしばらくしてガラス障子を開けて私に言った。
「もう大丈夫。ごめんね、中学の制服の子がいるのを見られたら、何か言われると思ったから。本当は認識阻害の魔法を使えば良かったんだけど、今、魔法のリソースを他に割かないといけなくて、繊細な魔法を急に使うのが難しいんだよね。次からは大丈夫なように予め認識阻害の魔法を使っておくね」
私はまじまじと司さんを見た。
「司さん、魔法、使えるんですか?この世界の人なのに?」
「使えるけど。君だってそうでしょ」
「でもそれは、別の世界に行ったからで。もしかして、司さんも行ったことがあるんですか?」
「んー、まあそうだね、そういうことにしておいて。で、今からまだ時間ある?他にもいろいろ話をききたいんだけど。それとも、また別の日にした方がいいかな」
「大丈夫です。でも、お客さんが来たら」
「それは気にしなくていいよ。そろそろ店主がくるから、場所を移そう」
そのとき、店の奥から男の人の声がした。
「縁?どこだ?」
縁?誰のことだろう。
でも、司さんは、ちょっと行ってくるから、店の前で待っていて、今、店の前には認識阻害の結界が動いてるから心配しなくていいよと言って店の奥に行った。
店の前で待っていると、じきに司さんが出てきた。
「行こうか」
私は司さんについていく。司さんは店から数分歩いたところにある一軒の家に私を連れていった。
ここ、知ってる。踊りの先生のおうちだ。ここがそういう家だというのは地元では有名だ。家の中から日本の昔の曲が流れてくるのを何度もきいたことがある。うちみたいな家の子には縁がないような家だ。
「ここが僕の家。落ち着いて話ができるかなって。今日はお稽古がないから、生徒さんも来ないし。母も出かけてるから」
言いながら、司さんは門の中に入っていく。
そのとき私は、門柱の表札に気がついた。神村、と書いてあった。
神村って、もしかして神村縁先輩?私が一年のとき三年にいた先輩だ。かっこよくってしかも成績がよくって有名人で、とっても人気があって。でも、私はその姿を見たことはなかった。三年生は校舎が別だったし、神村先輩が通ると、その姿を見たがる子たちが群がって、私はそういうところを避けていたから。
そう言えば、白神巧さんと神村先輩は仲が良かった、って崎山さんは言ってたっけ。
司さんは私を奥の応接間に通した。そこまでの玄関とか廊下もきちんとしてるけど、応接間も豪華な家具が揃っていて、そこから見える庭も立派だ。
私は恐縮しながら、制服で来て良かった、と思った。普段着でこんなところに来ていたら、恥ずかしくて仕方がなかった。
「それで、健吾さんが翼の城から行方不明になったっていうことだったけど。どういうことかな。巧はそれにどう関わってる?」
応接セットのソファに腰掛けるなり、司さんは訊いてきた。
私は話し出した。




