第5話 魔女との取引
「余程あの風の王子が大事だったのねえ。そのためにミイヤ姉様と取引までするんだもの。大したものだわ。ヤスオにもあんな献身的な子が見つかりますように、って思ってたのよ」
私は息を呑んだ。何でヌビエラがそんなことを知っているの。
司さんがヌビエラに訊ねた。
「取引、というのは?ミイヤというのは四番目の魔女ですよね?呪いが得意な」
「ええ。呪術にかけては翼の城随一よ。母様だってかなわないわ」
「その、呪いが得意な魔女との取引というのは一体」
言いながら、司さんが険しい表情をして私を見る。
「お前、どんな取引をした」
巧さんも私を強い視線で睨みながら、地の底を這うような声で訊いてきた。その圧に私は恐怖を覚えた。とても怖い。怒ってる?何で?
「巧は瑠璃さんのことを心配しているんだよ」
司さんが優しい口調で言った。
「強力な魔女との取引なんて、人間にとって良い結果を生まないことの方が多いからね。瑠璃さんの今後に悪い影響を与えるんじゃないかって」
「大丈夫です。取引の材料は、翼の城を出たら影響がないようなものにしましたから。でも、ごめんなさい、魔女から制限を受けていて話せないんです」
巧さんが忌々しそうに言った。
「いかにも魔女がやりそうなことだな。でも、その情報は、健吾の今後を考えるのに必要なものだぞ。ヌビエラ、何とかならないのか」
「ならないわねえ。ミイヤ姉様を何だと思っているの。姉様の課した制約は、そんなに軽いものじゃありませんよ」
ヌビエラは言う。
と、司さんが言った。
「制約そのものを話すことはできなくても、僕らの問いに答える形で内容を伝えることはできるんじゃない?」
「おお、そういう抜け道がある場合もあるな」
みーちゃんが言う。
巧さんはヌビエラを見た。ヌビエラは小さく頷いた。
巧さんは私に視線を戻し、
「じゃあ、訊くぞ。受け入れた制約はいくつだ。一つ?二つ?三つ?」
私は考えて、二つ、と巧さんが言ったところで頷いた。本当は三つだけど、そのうちの一つは言いたくない。というか、多分、このやり方だと巧さんたちは訊ね当てることができないので、延々と質問が繰り返されることになるだろうから、最初からないものにしておいた方がいい。
司さんが小首を傾げながら、
「そうなんだ、二つなんだね?結構重い効果が出てるようだから、三つはとってるかなと思ったんだけど」
「本人が気づかないうちに制約を課されてる場合もあるだろ」
みーちゃんが言うと、巧さんは頷いて、
「そうだな。とりあえずは二つってことで話を進めるか。それで、内容だけど。お前の命を掛けてる、ってことはあるか」
私は首を横に振る。司さんが訊く。
「もっと軽いもの、ってことでいいのかな」
「軽いとか重いとか、主観的なもんだろ。そんな訊き方でいいのかよ」
とみーちゃん。
「それもそうか。じゃあ、もっと違う訊き方がいいかな。えっと、瑠璃さんの将来を掛けてる、とかそういうのはある?」
私は少し固まりかけた。
将来を掛けている。そうだね、そうかも。未来の可能性を掛けているのは確かだから。でも、私は知られたくない。変な風に思われるのが嫌だから。
私は素知らぬふりで首を横に振った。巧さんはそんな私をじっと見ながら、
「お前の家族とか、周囲の人間の何かを差し出したわけじゃないってことでいいか?」
「はい」
それは自信を持っていえる。
巧さんの質問は続く。
「それは、翼の城の中だけでの限定の条件ということか?」
私は頷く。そうだよ。翼の城にいる限り、私は健吾さんと話せないし、人間としての姿を見せることはできない。それも魔女が出してきた縛りのうち。
私がそう心の中で呟いたとき、巧さんが言った。
「お前が翼の城で健吾と話せなかったのは関係があるか?」
私は固まる。あまりにも私が頭の中で呟いたことそのままだったから。
司さんが訊く。
「え、瑠璃さんは翼の城でウサギの姿だったんでしょ?だったら誰とも話せないんじゃ?あ、いや、でも意思の疎通はできてる感じだったよね?念話?」
「ああ。ミルクティもごまだんごも、向こうでは俺たちと念話で話してた。ただ、健吾は念話の才能がからきしでな。風の魔力が強すぎるからじゃないかとか、いつも周りにいた妖精たちが邪魔してるからじゃないかとか言われてたけど、ごまだんごは、途中から人間みたいに喉から声を出して喋りだして、健吾とも普通に話ができてた。でも、こいつはいつまで経っても健吾と話さなかった」
みーちゃんも、
「確かに、俺が行ったときもいつも念話だったなあ。何でこいつ、声を出して話さないんだって思ってたけど。あ、もしかして、人間の姿にならなかったのも魔女との制約に関係してるか?」
「人間の姿?どういうこと?」
司さんは首を傾げながらみーちゃんに訊く。
「ごまだんごの方は、魔法で猫の姿から人間の姿に戻ったりもしてたんだよ。健吾の前ではやらなかったけど、魔女のお茶会なんかに参加するときは人間の姿になってた」
「魔女のお茶会って……。ヌビエラ?」
司さんはヌビエラを見た。ヌビエラは少し肩を竦めて見せた。
「話の通りよ。私たち姉妹が月に一回催していたお茶会ね。そこにいつからか、風の王子の猫が参加しだしたの。そのうち、大姉様が、猫の姿ではお茶も楽しめないだろうから、人間の姿になっていらっしゃい、って言ったの。そうしたら、本当に人間の姿になって来たわ。いつも同じ灰色の服で、でも品のあるデザインで、ああいう服もいいわね、って妹たちと話したものよ」
「瑠璃さん、魔女の条件のうちの一つは、翼の城で人間の姿にならない、ということでいいのかな」
私は頷いた。別に、翼の城で話したり人間の姿になれないのも健吾さんに対してだけなのだけど、他の人には話したり人間の姿を見せたりして、そのことを知った健吾さんが嫌な気持ちになるかもしれないと思って、私は誰にも人間みたいに話したり人間の姿を見せたりはしなかったの。
だから正解。
「それじゃ、その縛りを受け入した代わりに何を得たの?」
司さんが優しく訊ねる。
私は困った。それも言えないんだけど。
すると、ヌビエラが言った。
「それは私がミイヤ姉様にきいたことがあるわ。風の王子の身の安全のために守護の祝福を授けた、と」
「祝福?呪いではなくて?」
「あのね、呪いと祝福は表裏一体なんですよ。ミイヤ姉様は祝福を与えることもできるんです。ただ、人に求められないと与えられない力だけど」
魔女ミイヤも取引の後に薄く笑って言ったものだった。
お前の望みによって掛けられた祝福は、確かにあの者の命を守るだろう。でも、それは死ねない呪いでもあるんだよ?
そんなわけない、と私は思った。健吾さんが死なないようにすることができるのなら、それは呪いなんかじゃない、って。
巧さんは私の言葉をきいて、さっきまでの強い視線は嘘のように、軽い調子で、
「何だ、そういうことか。でもまあ、これで辻褄があったな。箱の中に入って三日以上経っても、健吾が無事な理由。四番目の魔女の祝福とやらのおかげなんだろ」
そう。多分そうなの。本当に、あのとき魔女と取引をして良かったと思う。
でも、司さんは少し考え込む様子を見せながら、
「だけど、それにしてはちょっと効果が強すぎない?呪いの効果は、差し出したもの、縛られたものの重みに比例するでしょう。瑠璃さんが差し出したものとは明らかに釣り合わないよ」
「でも、私本当に」
「別に、瑠璃さんが言ったことを疑っているのではなくて、もしかして、瑠璃さんが気づかずに何か大事なものを差し出しているんじゃないかって思うんだ。そのせいで、こんなに大きな効果を得ることができているのかもしれない。瑠璃さん、心当たりはある?」
「ありません。私、本当に何も」
言いながら、私はヌビエラが何か言いたそうにしているのに気がついた。本当は、ヌビエラは全部知っているんだ。でもお願い、何も言わないで。私が魔女との取引で差し出したもの、最後の一つを言わないで。
だって、それを言ったら、ふつうの女の子が芸能人相手にあり得ないことを思っていたんだって思われるかもしれないから。
そんなことないんだよ?私は最初から諦めてるの。あのときにはそれしか方法がなかったから、魔女の条件を呑んだだけで。
ヌビエラが困ったように微笑しながら、
「でも、考えようによっては、この子が姉様に差し出したのは、重いものだったのではなくて?だって、とっても大事な人と一緒にいるのに、例えばその人が苦しんでいたり悩んでいたりしても、ただ見ているしかできない、慰めの言葉の一つもかけることができないの。どんなに大事に思っていても、そのことを伝えることもできない。それはとっても苦しいことなのではなくて?」
「あー、あれだな。人魚姫、だっけか。こっちの世界の物語で見たんだが。それに似てるな」
みーちゃんが言った。
うん、真田にも言われた。まるで人魚姫ですね、って。




