第5話 マリアと王子
僕はマリアとまっすぐ目が合った瞬間、アレクシス王子の姿を、精神操作魔法を応用して、マリアの脳内に送り込んだ。僕は王子とは二回しか会ったことがないけど、印象的な人だったし、この家の庭でも会ったことがあるから、土地の記憶を使って補完することも可能だ。
なので、王子の姿はただの写真なんかよりもずっと鮮明に見えた筈だ。春風のような笑みを浮かべた、黒髪に白皙の整った容姿の青年。
マリアは目から涙を止めどなく溢れさせた。
「嫌、嫌なの!別れるのは嫌なの!嫌ああああ!」
そして手で顔を覆って泣きだし、その場に崩れ落ちるようにして画面の下に下がるようにして消えていった。多分、パソコンが置いてある机の下に潜り込んだんだろう。グラハムが机の下を覗きこむようにしながら、マリアに何度も話しかけている。が、反応はないらしい。
さっきまでマリアが座っていた椅子にグラハムは座ったが、ちょっと画面から引き気味に映った。多分、マリアが足下で泣いていて、机に普通に近づけないんだろう。
グラハムは困惑したような表情をしていた。
「すまない、マリアはこれ以上話ができそうにないんだが、何があったんだ」
「うーん、ちょっとしたショック療法?アレクシス王子のことをちょっと強引に思い出してもらった」
「なるほど、それでか。まあ、親代わりが自分の傍から離れていこうとしていることを思い出せば、こういう反応にもなるか」
親代わり。グラハムはそういう理解なんだ。
グラハムは、王子に感謝しているのだと言った。マリアは母親に放置されているのに、何故問題なく育っているのだろうと、グラハムは不思議に思っていたんだって。異父兄がいるとは言っても、子どもだし。子どもが子どもの面倒を見て、そんなにうまくいくものかと思っていたんだけど、王子が傍にいて、マリアにいろいろ気を配っていたんだと知って納得したんだと。
「親には見てもらえてなくても、代わりに見てくれる存在がいたというのがマリアには大きかったんだろう。これで王子が元の世界に戻ったら、マリアは本当に一人ぼっちになる。それが怖くてたまらないんだろう」
「そうかもしれないね」
言いながら、王子にとってマリアはどういう存在なんだろうと僕は改めて思った。マリアは王子を慕っている……僕は、異性として慕っているんだと思っているけど、王子からすると、マリアは成り行きで親代わりとして見ていた子っていうだけで、恋愛とかそういう対象じゃないかもしれない。うーん、結局マリアは何かを失うことになるのは確かなのでは?
マリアがひときわ大きな声を上げて泣き出したので、通話はそれで終わりということになった。ごめん、グラハム。泣いている子どもの世話を押しつけて。でも、これは一つ必要な作業だと思うんだよね。
「お前、結構エグいことするな」
グラハムとの通話が切れた後、机の下からみーちゃんが飛び上がって、机の上に乗ってきた。
「妖精たちが穏やかに眠らせていた記憶を無理矢理起こすとか」
「でも、こうしないと、マリアちゃんの精神は妖精の世界に囚われたままで終わりだよ?」
「まあなあ。しかし、こうやってきくと、くるものがあるなあ。マリア、本当に王子のことが好きなんだな。異性としてというよりも、親代わりの人間から引き離されそうで必死になってしがみついている感じがするが」
みーちゃんもそっちの解釈なんだ。まあ、正直、どっちでもいい。ただ、親代わりというのだったら妖精の王は記憶を消そうとはしないんじゃないかな。
みーちゃんは考え込みながら言った。
「マリアがこれで正気を取り戻してくれたらいいが」
「どうかな。完全に妖精の国に取り込まれるのを遅らせることができたくらいなんじゃないかな」
「何だよ、それ。それじゃ意味ないじゃないか」
「なくはないよ。時間を稼げれば、こちらも出来ることが増えるでしょ」
時を稼ぎ、真田なんかを動かせば、直接マリアに効果的な働きかけができるかもしれない。
僕がそう言うと、みーちゃんは口を屁の字に曲げた。
「あー、確かにあいつなら妖精にも取り込まれないかもしれないな。あいつの精神、かなり頑丈だから。でも、あいつをあっちにどうやって行かせるんだ?飛行機か?あれ、結構金がかかるんだろ。こっちの世界は本当に不便だよな。同じ世界の中を行き来するのに、あんな不自然な乗り物に頼らないとならないなんて」
「この世界には魔法がないからね」
「まあそれはそうなんだけど。……待てよ、じゃあ、ミルクティに移動魔法を使わせればいいってことか?あいつの移動魔法、なかなかだぞ」
「そうなんだ?本人も出来るとは言ってたけど。でも、パスポートのこととか入国管理のこととかあるからね?魔法で行ったら不法入国になっちゃう」
「そんなのバレなきゃいいんだろ。……なんだよ」
みーちゃんは、僕がじっと見ているのに気がついて、訊いてきた。僕は少し肩を竦めてみせる。
「別に。神人は品行方正なものだってきいたことがあった気がしたんだけど、例外もあるんだな」
「そうだな、まあ時と場合によるかな。少なくとも俺は」
らしいね。
その翌日、僕のスマホにグラハムからメッセージが入っていた。提案、というべきか。
今後のことについて改めて話をしたい、とのことだった。
まあ、マリアがあんなことになった後だし、改めて話さないといけないか。
そう思って、その日の夜、配信が終わった後、グラハムと約束していた時間にビデオ通話を繋げた。Twitchの配信は巧が眠りについてからも一人で続けている。巧が起きたときにまた一緒にやれる場を維持していたいから。リスナーがちょっとずつ減っているのは、やっぱり僕一人だと内容が単調になるからだろう。
グラハムと通話を繋げたとき、僕は少し首を傾げた。
画面に映っていたのは、昨日と同じ部屋だけど、そこにいたのはグラハムだけではなかった。その隣に、小柄な老婆が座っていた。そして二人の周りに、これまで見たこともないくらいの数の妖精たちが浮かんでいた。
老婆の灰色がかった緑の目を見て、これは気をつけて話さないといけない相手だとわかった。
僕と一緒に通信画面を見ていたみーちゃんが、声を上げた。
「うげっ、あれ、マリアんとこの一番偉いばあちゃんだ」
やっぱり、いいことではなさそう、だね?




