第3話 氷上健吾
猫は言った。私たちを助けてくれたかっこいい男の子が芸能人で、世界的なスターである氷上甚の息子だって。
でも、氷上甚の息子さんは行方不明になったってきいてる。しかも、それはもう何年も前の話だ。私が小学校に入学したくらいの頃。そしてそのとき、氷上甚の息子さんは高校生だった筈。
猫も言う。
「そうなんですよねえ。私よりも丁度十歳年上の筈なんですけど、今さっきの彼は、高校生くらいに見えるし」
私たちが顔を見合わせていると、妖精たちがふわふわと寄ってきた。
時間をとびこえてきたの。
この城では歳をとらないの。
妖精たちの声を聞いたのかどうか、猫は少し考え込んでから、私に訊いてきた。
「教えてほしいんですけど、あなたが覚えている最後の日付って、何年の何月何日です?」
「いきなり何なの?」
「いえ、私とあなたの間にタイムラグがあるかもしれないとふと気がつきまして」
タイムラグ、というのが何のかよくわからにまま、私はトラックにはねられたあの日の日付を言った。猫は、ほう……と息をついた。
「良かった、同じ日付です。私も同じ日にアリクイと戦ったんです。そっちはその日に何があったんですか」
「私は、トラックにはねられたの。それで、気がついたらあの野バラの中にいて。でも、アリクイと戦うって何なの?」
「文字通り、巨大なアリクイと戦ったんですよ。まあ、うちの学校にそんなものが現れるなんてまず考えられないことなんですけど、本当に現れて、私は学友を逃がすために戦ったんです。そのときに、腹に一撃を喰らいまして。多分それが致命傷だったんじゃないかと思うんですけどねえ。それで、こういうあの世みたいなところに来た、と」
すると妖精たちがさわさわと猫に寄っていって言った。
死んでないよ。
世界の波に呑まれただけよ。
また「波」だ。猫も同じことを思ったらしい。
「波、って言いますけどね、私、そんなのに呑まれた覚えはありませんよ。学校は島にありますけど、水が島の中にまで押し寄せたりなんかなかったですからね」
すると、妖精たちが言った。
そういうのじゃないよ。
そうだよ。ちがうよ。
私たちは妖精たちを見上げたが、妖精たちからそれ以上の説明はない。
私は疑問に思っていたことを猫に素直に訊いた。
「一体どういう学校なの?アリクイが出る島にあるとか、サバイバルとか学ぶものすごく田舎の学校だったりするの?」
「違いますよ。由緒ある女子高校です。生徒は少数精鋭で、全国からやんごとなき家のお嬢様方が集まるんです。まあ、確かに田舎には違いないですけど」
「じゃあ、あなたもお嬢様なの?」
「違います。私は本家のお嬢様につき合って入っただけです。一年も世話係がいない状態でいさせたのが不憫だから是非同じ学校に入ってやってくれって本家に言われて入ったのに、当のお嬢様はとてつもなくしっかりしていて、私の出る幕はほぼなかったですねえ……」
猫は遠い目になっている。私はもしかしてと思って訊いた。
「もしかして、やりたいことがあったのに無理矢理そんな学校に入れられたの?」
「や、まあ、東京にいたかったのはいたかったですよ、推し活とか断然やりやすかったと思うし。でもまあ、住めば都ですね。自然たっぷりで、体を動かしたり大きな声を出したりするのにいい環境です。……ていうのはまあいいとして、やっぱり妙ですよねえ、氷上健吾が行方不明になったのって九年前なのに、今さっき会った当の本人は、行方不明当時のまま、変わっていないように見えるなんて」
「……さっき妖精たちが言っていた、時間を飛び越えてきた、とかそういうこと?それに、歳をとらないって」
「どうなんでしょ。そもそも、私たちが時間を飛び越えたんですかね、それとも氷上健吾の方が飛び越えてきた?」
猫はあの人が氷上健吾だと決めて話している。それはちょっと早合点ではないかと指摘すると、猫は鼻を鳴らして言った。
「いいえ、間違いありませんよ!私の二大推しの一人ですから!さくらんちょの登場シーンを何回もチェックしたときに、あの顔は何度も見ましたから!」
「さくらんちょ?」
私は首を傾げる。すると、猫は説明した。さくらんちょ、というのは猫が大ファンであるしのわさくらというアイドルのあだ名で、そのしのわさくらは、氷上健吾が親子で出演していた特撮ドラマに出ていたそうな。そして、この猫はしのわさくらを見るためにその特撮ドラマを何回も見返したのだという。
鴫沢レンこと氷上健吾は、そのときに見て、それでファンになったのだとか。
「さくらんちょは鴫沢レンと同じ基地に所属するオペレーターの役で、鴫沢レンといい雰囲気になるんですよー。ちょっと年齢差があって、さくらんちょの方が年上なんですけど、そこがまた萌えて。でも最終的にはレンは幼なじみの女の子を選ぶんですよねー、その子は実は敵のスパイだったりするんですけど」
私は猫の語りを黙ってきいていた。私が黙っているのをいいことに猫は喋り続けた。妖精たちはそんな私たちの周りを楽しそうに飛んでいた。
そんな風にして私は真田と知り合い、それからあちらの時間にして六年間、相棒として健吾さんを守るために動いてきた。
世界の波の揺り戻しがあってこちらに戻ってきて、目が覚めた二週間後には同じ病室で再会して。あっちの方が傷がひどくてICUから出られるようになるのが遅かったとかで、入院期間も私より三週間ほど長かった。しかも、退院できてもまだしっかり歩けるわけではなく、体力や筋力が戻るまで学校には行けないので、退院した真田はそのまま東京の実家に戻ってしまった。
こちらの世界では距離が遠いと魔法で思念を使った会話はできないようで、真田が最近どうしているか全然わからず、困っていたのだけど。
「こちら、紫藤さんだけど、話のとおり、知り合いではあるようね」
神村先生は私の反応を見て言った。紫藤さんはほほえみながら、
「はい。私の一年後輩の子のお友だちなんです。この間まで彼女はこの町の病院に入院していて、そこで瑠璃さんとは病室が同じだったんです。私も見舞いに行ったときに、瑠璃さんと会いました。そうですよね、瑠璃さん」
瑠璃さん、と呼ばれるとは思わなかった。そりゃ、真田は私のことを瑠璃さんと呼んでいたけど。
神村先生はにこやかに言った。
「紫藤さんはうちにお稽古に通っているの。船を使ってのことだからなかなか思うようにならないことも多いでしょうに」
「小さい頃から習っているので。学校でも踊りの授業はありますし、先生もいるのですけど、流派が違うのです。こちらに同じ流派の先生がいらして、本当に良かったです」
言いながら、紫藤さんは軽く会釈をする。その様を見て、本当にお嬢様なんだ、と私は感じ入って見ていた。なんか、所作が全部丁寧で綺麗だ。
「後輩からきいたのですけれど、瑠璃さんはうちの学校を志望しているとか。違いまして?」
「あ、いえ、違わない、です。この町の子だったら、特待生制度があるってきいて」
「ええ。特待生制度の対象になるのはこの町の女の子だけです。これまでにそれを使って入った方は一人しかいなかったそうで、その方も事情があって途中で退学されたみたいですけど、瑠璃さんがうちに入学して、後輩になってくれたら嬉しいですわ」
紫藤さんはそう言いながら、傍に置いてあった手提げからちょっと厚めに膨らんだ封筒を取り出し、私に手渡してきた。
「七月の最後の金曜日に、オープンキャンパスがあるんです。瑠璃さんもよろしければどうぞ。申し込み方法は中の資料に書いてあるので」
「あの」
何で私にこんなものを渡してきたのだろう、と戸惑っていると、
「真田が、あなたのことを気にかけているんです。退院したあなたの身を案じて、それで私に頼んできたんですよ」
紫藤さんはまた綺麗に微笑んだ。……多分、真田は何かしらの方法で私のことを調べたんだ。真田は退院するとき、遠くからでも見守っていますからね、いろいろな方法があるんですからね、と私に念押しするように言っていたから。
私は封筒の中身の重さを感じながら、黙って頭を下げた。
神村先生はにこにこと笑みを浮かべながら、
「それではお稽古を始めましょうかね。これからは瑠璃さん、って呼んでいいかしら、瑠璃さんも縁が帰るまで見ていたらどう?」
……これって、夏実さんと同じで、踊りを習わないかって誘ってる?夏実さんとは似てないと思ってたけど、やっぱり姉妹ってことなんだろうか。
そんなことを思いながら、誘いを断ることもできずに紫藤さんのお稽古を見始めて少し経った頃に、司さんが帰ってきた。司さんは私がお稽古場でお稽古の見学をしているのを見て苦笑していた。自分がいない間に何があったか察した、という感じ。そしてすぐに応接間に連れ出してくれた。
「それで、それは何?」
司さんは私がお稽古場からずっと持ってきた封筒を見て訊いた。私は説明した。
「紫藤さんからもらったんです。時女のオープンキャンパスの案内。だけど、なんだか中に重いものが入っていて。多分、それ以外のものも入ってると思うんですけど」
司さんがハサミを渡してきたので、ありがたく受け取って、封筒を開けてみた。
すると、中には、オープンキャンパスの資料と、
「スマホ?」
私は封筒の中から出てきたそれを見て思わず声を上げた。




