【最終章 望月の 欠けたることも なしと思へば】全年齢版⑤
【最終章 第5話】
腹部を貫く痛みが、遅れて爆ぜた。息が乱れ、喉の奥が焼けつく。
「……っ」
酒呑童子の刀は、確かにレッドの腹を貫いていた。
陰陽消長状態では、陽はレッド、陰はブルーが担い、二人に生じたバイパスを利用することで、陰陽を高純度かつ繊細なコントロールで循環させ強化している。だが、その代償は小さくない。感情や痛みなどの五感まで共有されてしまう。
「……レッド、ごめん……防げなかった……」
共有された痛みの奥で、謝罪だけが震えた。
「所詮、君たちは、その程度か。折角の術も活かすことなく死ぬ」
何かが、流れ込んでくる。刀を通して。焼け付くような、重い感情。悲嘆、怨嗟、焦がれ、満たされなかった想い。酒呑童子の悍ましいほどに冷たい呪力。
(くそ……)
視界が揺れる。
(どうしたら、打開できる? とにかく、呪力を循環させて……循環? もしかして……)
朱雀の声が、頭の奥で弾ける。
「おい、レッド! 意識を保て……!」
「分かってる……大丈夫だ……」
息を荒くしながら、声を絞り出す。
「……ちょうど、よかった」
「何?」
酒呑童子が、怪訝そうに眉をひそめる。
「自分の死に際に、気が狂ったか?」
「ブルー……いけるか」
「……うん、問題ない」
一瞬の迷いもなく、柊は頷いた。
「クソ、最初の算段とは違うが……!」
「だが、条件は揃っておる」
二人の足元に、赤と青の陰陽陣が浮かび上がる。
本来なら、隙を見て、繋ぎ、外から叩き込むはずだった。だが今は違う。酒呑童子自身が、呪力を流し込んできている。それならば。
「……陰陽転化・焔」
レッドの声と同時に、赤い陣が燃え上がる。体内に流れ込んだ呪力が、反転する。怨嗟は熱へ。焦がれは業火へ。炎が、刀を伝って逆流し、酒呑童子を包み込む。
「なんだ、この不愉快な炎は!」
酒呑童子が刀を引き抜き、距離を取る。
同時に、腹部を貫いていた痛みが、急速に薄れていく。あたたかな熱が、傷口を内側から塞いでいく。
「続けるよ、レッド」
ブルーの足元で、青い陣が輝いた。
「陰陽転化・心水」
湧き出した水が、酒呑童子を包み込む。炎が、纏わりつく怨念を焼き。水が、それを削ぎ落とす。
「炎と、水……?」
酒呑童子が、低く笑う。
「切り札は終わりか。残念だが、不快なだけだ」
その言葉が、途中で止まる。酒呑童子の周囲で、赤い甲冑……呪力怨装が、軋み始めていた。剥がれ、裂け、崩れる。
「なんだ……?」
呪力の奔流が、怨装の隙間から、制御を失い噴き出す。
朱雀が吼えた。
「流し込んだ呪力を、逆に返されたんだよ!」
玄武が、低く告げる。
「お主の呪力を、炎で清め、洗い流したのじゃ」
怨装の奥から、本来の姿が、露わになっていく。その核にあるものが、はっきりと、揺らいだ。
「……まだだ」
酒呑童子の瞳が、獣の色に染まる。剥がれかけた怨装が、無理やり引き戻され、赤い甲冑が再び形を成した。
「たかが、一度、怯まされた程度……!」
呪力が、酒呑童子の刃に集束する。理も理屈も失った一太刀。
「来る! 転化・蛇弓!」
弓が、風を裂き鳴った。放たれた矢は、酒呑童子の刀を撃ち落とさない。ただ、その軌道をずらす。殺意の重さだけを、絡め取る。勢いを削がれた刃が、空を切る。
「今だ、レッド!」
「おう!」
二人の呪力が、循環し全身を巡る。あの夜のように、同じ気持ちで。
炎の道が走る。
「転化・業火一閃」
レッドの祭祀刀が、真っ直ぐに振り抜かれた。
斬ったのは、肉体ではない。怨嗟。報われなかった恋の和歌。積み重なった、拒絶と渇望。業火が、鬼の形だけを切り裂く。斬った瞬間、ブルーの心臓が止まりそうになるほどの衝撃を、自分の胸でも感じた。
「あ……がっ……」
酒呑童子の声が、音にならなかった。赤い甲冑が、音もなく崩れ落ちる。中に残ったのは、人の形に戻りかけた、ひとつの影。
暑い夜風が、吹き抜けた。
ブルーが、息を吐く。
レッドは、振り切ったまま、答えなかった。
崩れゆく影の奥で、鬼ではない何かが、確かに、息をしている。




