【最終章 望月の 欠けたることも なしと思へば】全年齢版②
【最終章 第2話】
気がつけば、眠っていた。いつ、どうやって横になったのかも覚えていない。瞼の向こうから、じわりと光が差し込む。
「……ん……」
寝苦しさに、無意識に身じろぐ。肌にまとわりつく空気は、すっかり夏のそれだった。修行を初めて何度目かの朝。カーテンの隙間から差し込む日差しが、やけに眩しい。
「……暑っ」
喉の渇きとぼんやりした頭。呪力を使い切ったような感覚があるのに、身体が、軽い。指先を、そっと握る。呪力が、心臓の鼓動に合わせ、血液のように、滞りなく全身を流れていくような……その感覚に、わずかに目を見開いた瞬間。
「お、起きたか」
軽い調子の声。朱雀が、いつものように宙を飛んでいる。
「よくやったな。完全に、呪力が循環してるぜ」
にやりと笑う。
「無駄もねぇ、滞りもねぇ、今のお前らは、かなりいい状態だ」
胸の奥で、静かに何かが落ち着いていく。
「蓮、おはよう」
キッチンから、柊が顔を覗かせた。
ゆっくりと身を起こす。
「今日は、街で酒呑童子の気配を探そう。ついでに、買い出しも」
柊の言葉に、一瞬だけ別の考えがよぎる。久しぶりのデート、なんて言葉。でも、流石に今はそんな状況じゃない、な。
床に足をついて立ち上がる。
「……呪力、馴染んでるだけじゃない。柊と深く繋がってるみたいだ」
呟くと、朱雀が楽しそうに笑った。
「そうそう、それだ。前みたいな垂れ流しじゃねぇ。呼吸するみてぇに、勝手に、でも、無駄なく巡ってるだろ」
これなら、酒呑童子にも届くかもしれない。
外に出ると、朝の空気が一気に流れ込んできた。梅雨が明け、蝉の声が一斉に騒ぎ出していた。アスファルトに照り返す光。じりじり、と肌を焼く日差し。季節は、完全に夏だった。
商店街へ向かう途中、自然と周囲を探る。呪力の気配、歪み、不快な濁り、物怪の気配が何ひとつない。
「……静かだな」
「うん、酒呑童子の気配は、感じないね。やっぱり隠されたりしたら、わからないのかも」
そう言いながらも、柊の視線は街の奥へ向けられていた。
商店街に入ると、雰囲気が少し違う。店先に、色とりどりの紙。笹の葉。ガラス越しに揺れる短冊。
「……もう、そんな時期か」
電柱に貼られた一枚のポスターが、目に入る。
《第68回 星降り七夕祭り 今週末開催》
屋台の準備をしている店主たち。子どもたちのはしゃぐ声。短冊に願い事を書くスペースの案内。
平和な日常。あまりにも、普通すぎる。酒呑童子が現れた時の集団昏睡事件はあったものの、玉藻前を封印してからというもの、物怪は形を潜めている。そうなれば、人は警戒心を緩めてしまう。
「なぁ、蓮。こういう時ほど、嫌な予感がする」
同意するように、胸の奥がざわつく。
七夕。
願い。
星。
想いを結ぶ夜。
「人の感情が溢れる夜。あいつが、黙って見てるとは思えないよな」
そこが、次の戦場になるかもしれない。
短冊に願いを書く子供を遠くから見つめる。日向はどうしているだろうか。
「会いたいなぁ」
風が吹き抜け、短冊が、かさりと音を立てた。空を見上げる。まだ、青い。けれどその向こうに、確実に夜は近づいている。




