【第6章 この世をば 我が世とぞ思ふ】全年齢版④
【第6話 第4話】
柊は、自分の呼吸の音だけが、異様に大きく聞こえていることに気づいた。耳鳴りの奥で、世界の音が一枚ずつ剥がれていく。蓮の名前を呼ぼうとして、声が出ないことに、遅れて気づく。喉が動かないわけじゃない。ただ今は、声という形を取る前に、感情の方が先に溢れそうだった。
視界の端で、蓮が動かない。さっきまで、確かにそこにあった体温が、急速に遠ざかっていく。このままでは……考えるより先に、柊の中で何かが、はっきりと決まった。
「式神重装。朱雀」
青と赤の光が弾け、柊の身体を覆う。揺蕩う水の装甲、手足に燃え盛る炎の装甲を纏う。
……体が軽い。
目の前に現れた祭祀刀を掴むと、玄武の水が奔り、盾のように広がりながら、やがて一本の大剣へと形を変えた。
あれは、怒りを向ける相手じゃない。柊は、直感ではなく、判断として理解した。守る選択を誤れば、あれは容赦なく奪う存在だ。
まず、蓮を奪い返す。
「水鏡大斬刀」
体よりも大きな大剣を、柊はふわりと持ち上げ、構えた。足元から水の波紋が静かに広がる。その輪の中から、酒呑童子を挟み込むように、蒼い写し身が現れる。
炎が重力を失わせ、川に流れる葉のように滑らかな動きで、挟み込むように斬撃。
「つまらないね」
酒呑童子の声は、あまりにも近かった。蓮の身体が、ゴミでも投げ捨てるように写し身へと放り投げられる。
「……っ!!」
思考が、反射的にそちらへ引きずられた。その隙を、逃さない。構えた腕を、掴まれる。振り払おうと力を込める。だが、びくともしない。
掴まれた箇所から、じわりと、変身が解けていく。呪力が、剥がされていく感覚。止めようとしても、止まらない。
「どうして……!」
答えは返らなかった。酒呑童子は、ただ掴んだまま、
指先に、わずかに力を込めただけだった。
「……終わりだ」
低い声だった。怒りも、嘲りもない。ただ事実を告げる調子。酒呑童子の指先が、柊の胸元へと触れる。氷漬けにされたような感覚。次の瞬間、内側から衝撃が炸裂した。
「――っ、が……!」
体内の呪力が一気に引き剥がされ、視界が白く弾ける。全身を貫く痛みに、膝が落ちた。掴まれていた腕から、玄武の水が霧散する。朱雀の炎も、燃え上がる前に押し潰された。
床に叩きつけられる直前、酒呑童子の声が、耳元で重なる。
「もう少し、遊んでやろう」
淡々とした声だった。
「次は……せいぜい、あがいてみろよ」
床に落ちる衝撃。背骨に鈍い痛みが走り、視界が暗転していく。力が、入らない。喉が鳴るだけで、空気が戻ってこない。手足の感覚が遠のき、世界がゆっくりと傾いていく。
最後に見えたのは、酒呑童子の姿が、影の中へ溶けていく光景だった。
空間が、静かに閉じる。
「……蓮……」
声にならない息と一緒に、柊の意識は、闇へと沈んでいった。




