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【第6章 この世をば 我が世とぞ思ふ】全年齢版⑤

【第6章 第5話】


 鷹宮は、一目で理解した。

 これは、勝負にすらなっていない。


 車を降りた瞬間、空気が違った。騒ぎがあったはずの場所は、異様なほど静かで、音だけが置き去りにされている。視線を走らせて、すぐに見つけた。


「……嘘やろ」


 ドアを開け、飛び出す。視界の先には、糸が切れた人形のように人々が倒れていた。誰一人、動かない。だが、死んではいない。深い眠りに沈んだように、ピクリとも反応しない。


 その中心で、蓮と柊が、重なり合うように倒れている。


 駆け寄り、まず蓮の肩を掴む。


 冷たい。驚くほど体温が下がっている。外傷は少ない。だが呼吸は浅く、まるで中身を吸い尽くされた抜け殻のようだった。


 鷹宮は、ぐっと歯を噛みしめる。


 周囲を一瞥した。これだけの異変だ。すぐに警察も野次馬も集まる。だが、この二人を……今は、普通の場所に渡すわけにはいかない。


 迷いはなかった。鷹宮は二人を抱え、後部座席へと運び込む。蓮の身体は、あまりにも軽い。胸の奥に、暗い怒りが灯った。


「……ボクん家、行くで」


 アクセルを強く踏み込み、車を急発進させる。


 バックミラーに映る二人は、重なり合ったまま、死の淵を彷徨っているように見えた。


「死なせへんよ」


 低く、確かな声。


「……にいちゃんらには、まだ聞きたいことが山ほどあるんやからな」


 その言葉は、二人に向けたものでもあり、自分自身に言い聞かせるようでもあった。


⸻⸻


 目を開けた瞬間、違和感だけが先に来た。ぼんやりとした光の中で、柊はゆっくりと瞬きをする。頭が重い。思考がめぐらない。


「……ここは……?」


 声に出したつもりが、かすれた息にしかならなかった。胸の奥がざわつく。


「……蓮……?」


 慌てて身体を起こそうとして、力が入らないことに気づく。呪力が、ほとんど残っていない。身体が鉛のように重い。それでも、視線だけは必死に動かした。


 右側に人の気配。ベッドの上で、静かに眠る蓮の姿。胸が、かすかに上下している。


「……蓮……よかった……」


  喉の奥が、ひどく熱くなる。生きている。それだけで、張り詰めていた何かが、わずかに緩んだ。ゆっくりと上半身を起こす。自分と蓮の身体には、丁寧に包帯が巻かれているのが見えた。手当て、されている。


 そっと、蓮の頬に触れる。冷たくはない。だが、反応はない。


「……」


 心の中で、朱雀と玄武に呼びかけるが、返事は、ない。いつもなら、騒がしいほどに響く声が、完全に沈黙していた。


 改めて、部屋を見渡す。ワンルームより、少しだけ狭い寝室。ダブルベッド。グレーのカーテンで仕切られた窓。大きなクローゼット。お香の様な柔らかい香りが漂う室内は、物の少ない、シンプルな空間。


 その静けさの中で、唐突に、声が蘇った。


⸻⸻


「お前たちも、知っているだろう?」

「呪力のやり取りは、繋がるのが最も効率的だと」


⸻⸻


「……っ」


 息が詰まる。酒呑童子の顔。蓮の唇を奪う、その光景。フラッシュバックのように、脳裏を焼いた。


「……う……あ……」


 奥歯を噛みしめる。


「くそ……くそっ……」


 声が震える。


「また、守れなかった……おれは……無力だ……大事な人すら……守れないで……」


 視界が滲んだ。堪えきれず、嗚咽が漏れる。意識のない蓮を、思わず強く抱きしめた。


 コンコン、と扉を叩く音。


「おー。やっと目ぇ覚ましたんやな」


 少し間の抜けた、だが確かな声。


「ちょっと、お兄さんと話、しよか」


 扉の向こうに立っていたのは、鷹宮だった。


 隣のリビングに移動する。寝室とは違い、物が溢れている。大きな机の上にはノート型パソコンと、今にもこぼれ落ちそうな資料の山。壁一面を埋め尽くす本棚。テレビの前にはローテーブルと、二人がけのソファ。生活と仕事が、そのまま同居しているような空間だった。


「散らかっとって、すまんな」


 そう言って、鷹宮さんは軽く頭をかいた。


「……いえ」


 促されるまま、ソファに腰を下ろす。隣には、鷹宮さん。ゆっくりと、話が始まった。鷹宮さんが現場に到着したときの惨状。周囲に倒れていた人々は、命に別状はなかったが、意識は混濁し、記憶も曖昧だったこと。それ以降、物怪が原因と思われる事件は起きていないこと。そして、俺と蓮は、鷹宮さんの家に匿われ、丸二日、眠り続けていたこと。


「……蓮は?」


 喉が、ひくりと鳴る。


「まだや。一度も、目ぇ覚ましてへん」


 その一言で、堪えていたものが溢れた。視界が滲み、涙が落ちる。


「……鷹宮さん」


 声が、震える。


「おれ……また、守れなかった。蓮を……傷つけた。それに……あんなやつ……一体、どうすれば……」


 言葉が、続かない。鷹宮さんは、何も言わず、そっと肩に手を回してきた。


「大丈夫や」


 低く、穏やかな声。


「大丈夫。大丈夫やから」


 そのまま、頭を預ける。胸を借りて、嗚咽を漏らした。正直、一人きりだったら、抱えきれなかったかもしれない。


「……鷹宮さん」


 息を整えてから、柊は言った。


「おれたち、帰ろうと思います」


 鷹宮は、思わず眉をひそめる。


「帰るって……この状態で、か?」


「はい」


 即答だった。


「次、また酒呑童子が襲ってくるかは分かりません。だから、一刻も早く呪力を補充する必要があるんです」


 鷹宮は腕を組み、少しだけ視線を落とす。


「……なんや、正直よう分からん話やけどな」


 そして、真っ直ぐに柊を見る。


「帰ったら……蓮は、助けられるんか?」


 その問いに、柊は迷わなかった。


「はい」


 声は低く、だが揺れない。


「必ず、助けます。おれが……目を覚まさせます」


 言い切った瞬間、それが願いではなく責任だと、はっきり伝わった。鷹宮は、しばらく黙っておれを見ていた。その視線は、試すようでも、止めるようでもない。


「……分かった。止めへん」


 だが、すぐに続けた。


「ただし、条件がある」


 柊は、背筋を伸ばす。


「帰るなら、俺が車出す。途中で容体が変わったら、その時点で引き返す」


 一つ一つ、確認するように言葉を置く。


「それと」


 鷹宮は、少しだけ声を落とした。


「次、同じことが起きたら、二人だけで抱え込むな」


 唇を噛みしめる。


「……はい」


「約束や」


 鷹宮の目を、真っ直ぐに見る。


「鷹宮さん。本当にありがとう」


 また一人、見守ってくれる大人が増えた。それだけで心強い。そんな人たちも守るために、今は、やるべきことをやる。それだけだ。

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