【第6章 この世をば 我が世とぞ思ふ】全年齢版③
※ムーンライトノベルズにてR-18完全版を公開しております。
【第6章 第3話】
資料館を出たあと、鷹宮と別れた俺と柊はしばらく無言で歩いた。昼の街は、何事もなかったかのように動いている。信号が変わり、人がすれ違い、遠くで笑い声がした。
「……なぁ」
蓮が、ぽつりと口を開いた。
柊は歩調を緩め、隣に並ぶ。
「俺さ」
言いかけて、言葉が途切れる。名前。生まれ。守られていた事実。どれも、今日初めて知っただけのことだ。それなのに、胸の奥に溜まる感情は、重く、形を持たない。
「急に色々言われて、正直、実感わかなくてさ」
足元の影を見つめたまま、蓮は続けた。
「自分が誰だったのかとか、何があったのかとか」
拳を、ぎゅっと握る。
「なんも覚えてなくて、知りたいと思ってたはずなのに……いざ聞いたら、どうしたらいいかわかんなくて」
柊は、何も答えず、ただ、歩く速度を合わせる。
「俺も柊も施設長の渡辺の姓をもらって育って来たじゃん。だからいきなり安倍って言われても、まだ他人事みたいで」
空を見上げる。雲が、ゆっくり流れていた。
「でもさ、守られてた、って話だけは……」
言葉が、喉で詰まる。
「それだけは……ちゃんと、重くて」
柊が、そっと言った。
「無理に、整理しなくていいと思う」
蓮は、少し驚いたように柊を見る。
「今すぐ答えを出さなくても、どれが本当の自分か決めなくても」
視線を前に戻し、淡々と続ける。
「今日まで生きてきた時間も、ここから先の時間も、全部、蓮のものだから。その隣におれもいさせてくれたら嬉しい」
蓮は、ふっと息を吐いた。
「……それ。なんかプロポーズみたいだな」
「二人とも今は渡辺だし、手続きも簡単そうでいいんじゃない?」
柊は、少しだけ笑った。
「なぁ、柊」
「ん?」
「オレさ、過去がどうだったとしても」
一歩、足を止める。
「今ここにいる自分は……嫌いじゃない」
柊は、何も言わなかった。代わりに、そっと蓮の手に触れる。強く握らない。引き寄せもしない。ただ、そこにいることを確かめるように。
「それで、十分だと思う」
その一言で、蓮の胸の奥にあったざらつきが、少しだけ和らいだ。蓮は初めて、「自分で選ぶ場所」に、足を置いた気がしていた。
「やぁ、こんにちは」
背後から、唐突に声がした。振り向くより早く、背筋を冷たいものが走る。
「蓮くんと柊くん、だね」
耳に残るのは、柔らかく、しかし感情の温度を感じさせない声色。それが余計に、恐ろしい。
「柊と蓮。陰と陽。冬と夏。うん、実にいいコンビだ」
視線の先に、着物を纏った美しい青年が立っている。年の頃は二十代半ば。整いすぎた顔立ちは、人のものというより、作られた像のようだった。
「私は酒呑童子。愛を否定する者だよ」
「くそ……俺様としたことが……なんで、気づかなかった……」
朱雀が、慌てた様子で語りかける。
「ああ、晴明の式神くんか」
酒呑童子が、楽しげに笑った。
「ふふ。面白いことを言うね。君なんかに、私の存在が感知できるわけがないだろう」
その瞬間だった。
「いやあああ……!」
悲鳴が、いくつも重なった。周囲で人が倒れ、崩れ落ちていく。
「ああ、気にしなくていいよ」
酒呑童子は、視線すら向けない。
「私がここにいるだけで、僅かな呪力しか持たない人間はああなる。それだけの話さ」
「柊!」
蓮の声に、柊が即座に反応する。
「式神外装!!」
赤と青の呪力が弾け、二人の身体を包む。
「ふふ……怖い怖い」
酒呑童子は、肩をすくめるように笑った。
「戦う気はないって言っただろう? そんなに殺気を出さないでくれるかな」
言葉とは裏腹に、その瞳には微塵の恐怖も宿っていない。
「蛇弓!」
「業火一閃!」
放たれた矢は、酒呑童子に触れる直前、蒸発するように消え失せた。
「……っ!」
間髪入れず、蓮が踏み込む。
だが、祭祀刀の刃は、通らない。細い首を、片手で掴まれた。
「……ッ」
足が床を離れ、宙に浮く。喉が締め上げられ、息が詰まる。酒呑童子の手から、赤い煙が流れ出す。それは蓮の身体を絡め取るように侵食し、呪力を逆流させた。
「は……あ……ッ」
腕の外装が、煙となって剥がれ落ちる。
「レッド!!」
ブルーが駆け出す。拳を振るうが、酒呑童子は片手間に弾き飛ばした。
「戦わないって言ったでしょう」
静かな声だった。
「意外と、聞き分けがないんだね」
床に転がるブルーを見下ろし、酒呑童子は淡く微笑む。
「今日はね。あの時、逃してやった子供の呪力を味見しに来ただけだよ」
たった一度弾かれただけだというのに、ブルーの外装はすでに解けていた。
「お前たちも、知っているだろう?」
酒呑童子は言う。
「呪力のやり取りは、繋がるのが最も効率的だと」
無抵抗な蓮の顎を、くいと持ち上げる。
「あぁ……なんて上質で、純度の高い、愛情に溢れた香りだ。実に吐き気がする」
柊の視線を意識したまま、酒呑童子はその唇を塞いだ。触れた瞬間、全身から力が抜けていく。呪力が、抗う間もなく吸い上げられていく。腕から、指先から、徐々に力が抜け、音が遠くなっていく。人形のように項垂れることしかできなかった。
「だが、そんな呪力ほど美味である」
「……離せ」
柊が、低く唸る。
「その汚い手で、蓮に触れるな!!」
怒りと共に、呪力が跳ね上がる。空中に散った赤の光が、柊のもとへ集束した。
「式神重装、朱雀」
青と赤の光が重なり、弾ける。
酒呑童子
愛を否定する物怪。
純度の高い愛について、吐き気がする匂いだが、味は美味と評する。




