【第6章 この世をば 我が世とぞ思ふ】全年齢版②
【第6章 第2話】
「おーい! こっちやこっち。にいちゃんら、よう来たな」
梅雨のどんよりとした曇り空の下、軽く手を振る男の姿を見つけて、蓮が一歩前に出る。
「鷹宮さん。お久しぶりです」
「なんやなんや、他人行儀やなぁ。とーま、って呼んでくれたってええんやで?」
鷹宮は肩をすくめて笑う。
「……鷹宮さん」
柊は即座に呼び直した。
「こんなところに呼び出して、どういう用なんですか?」
「もー、いけずやなぁ柊くん。ホテルで、あんな熱い口付けを交わした仲やのに……」
わざとらしく胸に手を当てる。
「してません」
即答。
「未遂です。断じて」
「あははは!」
鷹宮は腹を抱えて笑った。
「冗談やって。真に受けんといてぇな」
ひとしきり笑ったあと、少しだけ声のトーンが落ちる。
「……あの時な。二人に置いてかれたんが、ちょい寂しくてな……起きたら知らん全裸の男……」
一瞬、言葉を切ってから言い直す。
「いや、ちゃうな。大人気のワタル歌のおにいさんと二人きりや」
柊の視線が、冷たくなる。
「……それ、今する話ですか?」
「せやな」
鷹宮は素直に頷いた。
「雑談や。本題は、こっち」
資料館を、顎で示す。一瞬だけ、冗談めいた笑みが消える。
「にいちゃんらの名前と、生まれの話」
空気が、静かに張り詰めた。
「ほな、歩きながら話そか」
鷹宮はそう言って、先に立った。
「この建物、新しいやろ? 十五年くらい前に、安倍晴明の末裔……安倍家の本家筋が建てた、って話や」
ガラス張りの通路を進みながら、淡々と続ける。
「ここが立つ前はな。安倍家の分家筋が住んどった屋敷と、大きな蔵があったんや」
……蔵。その言葉に、胸の奥が微かにざわついた。暗い空間。木の匂い。閉ざされた扉。いつも夢に見る、断片的な映像がふっと頭をよぎる。
「その蔵に保管されとった、安倍晴明ゆかりの品々が、今ここに展示されとる、っちゅうわけや」
柊が、眉を寄せる。
「……それなら、分家の一族は、どこに行ったんですか?」
「普通に引っ越したとか?」
蓮も言葉を継ぐ。
「でも、そんな貴重なもの、置いてはいかないだろ」
鷹宮は、歩みを止めた。
「答えはな……十七年前や」
柊が、静かに息を吸う。
「……蓮が、ひまわりの里に来た頃だね」
「せや」
鷹宮は軽く咳払いをしてから、言葉を選ぶように続けた。
「十七年前、この屋敷で一家失踪事件が起きた。当時ボクは、まだ物心ついたばっかりやったけど……よう覚えとる」
展示ケースの前で立ち止まる。
「由緒ある名家」
「広い屋敷と、大きな蔵」
「室内には、はっきりとした血痕」
声は、淡々としている。
「血痕からは、両親のDNAが検出された。せやけど、肝心の一人息子だけが、行方不明のままやった」
「……それも、物怪の仕業だった、ってことか?」
蓮が、低く尋ねる。
「まぁ、そう考えるんが自然やろな」
鷹宮は肩をすくめる。
「でも、そんな大事件なら、大規模な捜索があったはずだ」
柊が食い下がる。
「それがな」
鷹宮は、少しだけ口角を下げた。
「報道が過熱し始めた頃、急に、全部消えたんや」
「消えた……?」
「噂話やけどな、ボクらジャーナリストの間じゃ、安倍家本家筋の介入があった、って言われとる」
蓮の喉が、わずかに鳴る。
「……本家は、物怪のことを、知ってたってことか?」
「さぁな。でも、何も知らんかった、とは思われへん」
「……行方不明の子ども」
柊が、ゆっくりと口にする。
「名前は、分かってるんですか?」
鷹宮は、静かに頷いた。
「分かるで」
「……え?」
「これや」
展示ケースの中。少し黄ばんだ紙。《安倍家 家系図》と記された資料の、端の方を指差す。
そこに書かれていた名前。
安倍 蓮
「……蓮……?」
自分の名を、蓮は思わず呟く。
「おれと……同じ……? いや、まさか……」
「おっと、驚くんは、まだ早いで」
鷹宮が、軽く手を上げた。視線を通路の反対側へと促す。
「正直言うとな、ここからが、ボクも予想外やった」
次の展示。《安倍家と縁の深い家系図 写し》
源家。
渡辺家。
坂田家。
碓井家。
そして……
卜部家。
鷹宮の指が、迷いなく止まる。
卜部 柊
空気が、ぴんと張り詰める。内に燃える炎が周囲に広がり、足元に波紋が広がる。
「やれやれ……」
低く、どこか呆れた声が響いた。
「ようやく、辿り着いたか」
展示室の空気が、わずかに揺らぐ。次の瞬間、赤い光が形を成し、燃える羽根を広げた。続いて、床の影が盛り上がり、重厚な甲殻を持つ存在が、静かに姿を現す。
「ここからは」
「我らの出番じゃな」
朱雀と玄武が、並び立つ。
「おぉ……なんやこいつら!?」
鷹宮が目を見開く。
「もしや、これがにいちゃんらの言うてた式神か?」
「おう」
朱雀が、にっと笑った。
「直接話すのは初めてだな、とーま」
「誰が、とーまや」
鷹宮は即座に突っ込む。
「呼んでええのは、にいちゃんらだけや。なぁ?」
同意を求めるように視線を向けられ、柊は小さくため息をついた。
「……鷹宮さん、今は、とりあえず聞きましょう」
玄武が、一歩前に出る。
「あれは、蓮が三つの頃じゃ」
静かな声だった。
「本家筋の者たちと共に、この地にあった蔵へ忍び込んだことがある。そこで眠っていた、我らの封印。それを解いたのが、蓮、お前じゃ」
蓮の喉が、かすかに鳴る。
「当時のお主の呪力は、あまりにも拙かった。我らの姿どころか、声すら届かぬほどにな」
朱雀が肩をすくめる。
「封印が解けたって言ってもな、俺様たちの力の源は呪力。それがなきゃ、形を保てねえ。俺様や玄武たちは、それぞれの依代へと身を写した」
燃える羽根が、わずかに揺れる。
「完全に目覚めるその時まで、眠ることを選んだってことだな」
「事件が起きたのは、その数日後じゃ」
空気が、ひやりと冷える。
「恐らく、我らの微かな呪力を嗅ぎつけて現れたのが……酒呑童子」
その名に、蓮の背筋が強張る。
朱雀の声が、低くなる。
「ヤツはな、真っ先に、蓮に近づいた。呪力ごと、感情を喰らうためや」
玄武が、目を伏せる。
「俺様たちは、なけなしの呪力で抵抗した。完全に喰われることは、防げたが、記憶までは、守れなかった」
蓮の胸に、鈍い痛みが走る。
「騒ぎに気づいたのが、蓮の両親じゃ」
玄武の声は、淡々としていた。
「分家筋で、修行も不十分。それでも、二人は怪我を負いながら、必死にお前を守ろうとした。自分らがどうなろうと、蓮だけは逃がそうとしてな。そこで、今度は、俺様の力を使った」
「遠く離れた街へ、一気に飛ばした。行き先なんて選ぶ余裕はない。偶然辿り着いたのが、ひまわりの里だった」
静寂が落ち、過去が点ではなく、線になった瞬間だった。記憶にはない。夢でたまに見ていた光景。その先にこのような事実が隠れているとは思いもしなかった。実感もない。それなのに、胸が締め付けられ、頬を伝う一筋の涙が、身体に刻まれた記憶が事実だと教えてくれているようだった。
安倍 蓮
記憶を失っていた蓮の本名。
卜部 柊
幼くして両親と死別し、失われていた柊の本名。




