【第5章 見わたせば 花も紅葉も なかりけり】全年齢版①
【第5章 第1話】
Antinomieの昼は、夜とは別の顔をしている。照明を落とした夜の店内とは違い、隅々まで明るい光が満ちていた。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥から、穴田ママが軽く手を振る。蓮と柊は顔を見合わせ、小さく頷き合ってからカウンターへ向かった。
「二人で来たってことは……ちゃんと、話してくれるのね?」
その問いかけに、逃げ場はない。俺と柊は、これまでのことを話した。物怪の存在。成り行きではあるが、ヒーローとして戦っていること。それが、呪力を持つ自分たちにしかできない役目であること。
そして最後に、罪鬼は、しばらくは現れないだろうという見立て。
穴田ママは腕を組み、黙って聞いていた。
「……とても信じられない話ではあるけど」
ふっと、息を吐く。
「あんなものを見せられたら、信じるしかないわね」
視線が、二人をまっすぐ捉える。
「アタシとしてはね。半分、保護者みたいな気分なのよ」
苦笑混じりに、肩をすくめた。
「あんまり危ないことは、してほしくないんだけど」
その言葉の裏にある心配が、痛いほど伝わってくる。穴田ママはコーヒーを二つ置き、その横に、どさりと雑誌を放った。
「これ、見て」
表紙いっぱいに、煽るような見出しが躍っている。
『人気絶頂アイドル・SHUNTA 酒池肉林パーティー』
『大人気子供歌番組・ワタルお兄さん 不倫愛』
「……うわ」
思わず、柊が声を漏らした。ゴシップ。スキャンダル。噂話。どれも、人間の感情を煮詰めたような文字ばかりだ。
「で、問題は……ここよ」
穴田ママは、雑誌の端を指でとん、と叩いた。小さめの特集枠。
『怪物騒ぎと謎のヒーロー? 夜の街で目撃された、赤と青の光』
俺と柊は、言葉もなく、それを見つめた。穴田ママがページを開く。拡大された写真。Antinomieの店内。対峙する穴田ママの背中。その奥に、レッドとブルー。そして、罪鬼と衛士。
見出しには、こうある。
『都市部で噂される怪事件。クラブを襲う怪物と闘うヒーローが目撃された』
ページをめくる。
『市街地上空を南東へ飛行する赤と青の光』
『次週、関係者と思われる人物への突撃取材を敢行』
最後の写真。
罪鬼との初戦。呪力が尽き、外装が解けた直後。俺たちだ。画質は荒く、顔には黒い目線が引かれている。だが、あの夜を知る者には、十分すぎる証拠だった。
「……こんなのって」
蓮が、ぽつりと呟く。
俺たちが戦ってきた理由とは、ずいぶん違う場所で、話が進み始めていた。
Antinomieのビルを出て、少し歩いたところで、背後から軽い声がかかった。
「こんちわー」
思わず足が止まる。
「いやぁ、ええタイミングやな。にいちゃんら、ちょっとだけ話、聞かせてもらえへん?」
振り返ると、見知らぬ男が立っていた。年は二十代後半くらい。すらりとした体躯に、どこか力の抜けた立ち方。
「ヒーロー業について、聞きたいんやけど」
その一言で、胸の奥がひやりとする。柊と目が合った。無言のまま、互いの表情を確かめる。
……来た。
ごくり、と唾を飲み込む。男は、その空気を楽しむみたいに、肩をすくめた。
「まぁまぁ。ここやとアレやしな。場所、変えよか」
断る間もなく、軽く顎で示される。
⸻⸻
入ったのは、近くのカラオケだった。個室のドアが閉まる。外の音が遮断された途端、空気が一段重くなる。
「いややわー」
男は、にやりと笑った。
「そんな怖い顔せんとってな。別にとって食おうなんて、思うてへんよ」
「……まぁ、にいちゃんらやったら、遊んだってもええけど」
柊の眉が、ぴくりと動いた。
「……あの」
低く、刺すような声。
「用がないなら、帰りますけど」
明らかに苛立ちを含んだ言い方だった。
「あー、ごめんごめん」
男は両手を上げ、わざとらしく首をすくめる。
「そない怖い顔せんとって。改めまして……」
少しだけ、声の調子が変わる。
「ボク、鷹宮透真」
名乗りながら、テーブルにノートパソコンを置く。
「フリーのライターってとこやな。今はな、怪物騒ぎに興味あんねん」
パソコンを開き、こちらへ向ける。画面が切り替わり、動画が再生された。月明かりに照らされた、だだっ広い空間。荒れた芝。朽ちかけたカート道。その中央で交錯する、赤と青の光。檜扇を手にした影と、地面から湧き出すように現れる、無数の衛士。ゴルフ場での戦い。
映像は揺れている。距離もあった。しかし、少しずつ距離を詰め、決定的な瞬間を収めていた。視界の端で、柊の肩が、わずかに強張る。
「これ」
鷹宮が、指先で画面を叩く。
「にいちゃんら、やんな?」
軽い口調。けれど、その視線だけは、笑っていなかった。
「いやぁ、正直ゾクッとしたわ。あんなん、初めてや」
鷹宮は、再生を止めた画面から視線を外し、軽く息を吐いた。
「あの怪物とのやり取り、痺れたわ。正直な、すっかり、にいちゃんらのファンになってもうた」
一瞬、冗談のようにも聞こえる声音。
だが、その目だけは、相変わらずこちらを逃がさない。
「……なんで、こんな動画があるんだ?」
蓮が、低く問いかける。鷹宮は肩をすくめた。
「にいちゃんら、光りながら飛んでったやろ?」
当然のことのように言う。
「そない分かりやすい行動しとったらなぁ。追跡なんて、楽勝や」
柊が、わずかに眉を寄せる。
「……じゃあ、なんで、おれたちの正体に、気づいた?」
鷹宮は、にやりと口角を上げた。
「それもな、簡単な話や」
カバンから一冊の雑誌を取り出し、テーブルの上に、ぱさりと置く。
見覚えのある表紙。先ほどAntinomieで見たばかりのゴシップ誌だった。
「これや」
指先で表紙を叩く。
「この記事、書いたん、ボクやで」
ページをめくる。
夜の街。Antinomieの外観。そして、店内で撮られた、後ろ姿の写真。
「クラブAntinomieの内装。タイミングよく写り込む、イケてるヒーローたち」
くつくつと、楽しそうに笑う。
「ここまで揃ってて、辿り着けへん方が嘘やろ?」
言葉は軽い。だが、その一言一言が、確実に核心を突いていた。
「……で、目的は?」
柊の声は低く、感情を抑えていた。
鷹宮は、あっさりと言った。
「にいちゃんらの、独占インタビューや」
一瞬の沈黙。その隙間に、鷹宮は続ける。
「あと十分でな、このゴルフ場の動画は、SNSに公開される」
指先でスマホを軽く持ち上げる。
「それはもう、決定事項や」
柊の目が、鋭く細まる。
「……脅しか」
「ちゃうちゃう」
鷹宮は、すぐに首を振った。
「あ、もちろん、兄ちゃんらの顔は出さへんで」
軽い口調。だが、その一言が逆に、逃げ道のなさを際立たせる。
「ボクが見せたいんはな」
鷹宮は、再びノートパソコンの画面に視線を戻す。
「……あの怪物との問答や」
指で、停止中のフレームをなぞる。
「良くも悪くも、世に一石を投じるやろ」
それから、ゆっくりとこちらを見る。
「その先で、世界がどう転ぶか、最後まで見届けたいだけや」
声は静かだった。
「安心してええ」
鷹宮は、肩をすくめて笑う。
「ボクは味方でも敵でもない。面白いもんを、最後まで見届けたいだけや」
その言葉が、一番信用ならなかった。
「まぁ、今日はこの辺にしといたるわ」
鷹宮は、軽く伸びをして立ち上がる。
「ところで……」
振り返り、まるで思いついたみたいな顔で言った。
「酒池肉林のパーティー、興味あらへん?」
鷹宮透真
フリーのジャーナリスト。ゴシップ誌でライターをしている。




