【第4章】全年齢版②
【第4章 第2話】
蓮から借りた自転車に乗って、クラブAntinomieへ向かう。春先の風が頬を撫でる。身体は軽いのに、心がソワソワと落ち着かない。
「おれが……蓮と……?」
思わず、ボソリと呟いた。昨夜から今までの出来事を頭の中で反芻すると、自分でも分かるくらい、頬が緩んでいく。
「おれたち、付き合うんだよな……キス、しちゃったし」
おれと蓮は、昔から仲がよかった。蓮が施設に来たばかりの頃、記憶が曖昧で、ぼんやりしていることが多かったせいか、周りから、少しだけ意地悪をされることがあった。
「れんくん、だいじょうぶ。いじわるされても、ぼくがまもってあげる!」
蓮にかけた、あの言葉。思い返せば、きっとあの瞬間からだった。儚げな蓮に、惹かれていた。
初恋、だったんだと思う。
大人になるにつれて、男同士が想い合うことは、珍しいことなんだと知った。世の中では、男女であることが普通で、それ以外は、少しだけ外れたものとして見られる。だから、自分の中に積もっていく気持ちに、そっと蓋をした。
親友でいる道を選んだ。
選んだ、つもりでいた。
それなのに。まさか、自分が、こんなにも思い切った行動を取るなんて。胸の奥が、くすぐったくて、少し怖くて、でも、それ以上に嬉しかった。
ペダルを踏む足に、自然と力が入る。
もうすぐ、Antinomieだ。
⸻⸻
雑居ビルの三階。黒く大きな扉の前に立ち、ひとつ息を整える。重みのある扉を引いて、中へ入った。
「こんにちはー……」
薄暗い店内。正面にはカウンターと丸椅子が十ほど並び、奥にはソファとテーブルが三組。さらにその奥は、キッチンやスタッフルームだろうか。
「はーい。どなたー?」
奥から現れたのは、金色の長い髪に、肩から胸にかけて大きく開いた、体のラインを強調するスパンコールのドレス。すらりとした体躯の、息を呑むほど美しい女性だった。声は、少し低い。
「えっと、穴田さんの紹介で、今日から……」
「えっ! やだぁ、可愛い!」
言い終わる前に、距離が一気に詰まる。お姉さんの手が腕に触れる。
「誰のお客さん? それとも恋人かしら?」
一息でまくし立てて、にっこり笑う。
「私は雅天。歳上のお姉さんに興味ない?」
香水だろうか。今まで嗅いだことのない、甘くて強い香り。
「あ、えっと……」
言葉に詰まった、その時。
「天。いい加減にしな」
奥から、凛とした声が割って入る。現れた人は……昨日聞いた声と同じなのに、まるで別人のような姿だった。高級だと一目で分かる刺繍入りの華やかな着物。きっちり整えられた髪と、無駄のない所作。
あぁ。これが、穴田ママか。
「この子は柊くん。今日からここで働いてもらうわ」
そう言ってから、ちらりと天を見る。
「ちょうどいい。あんたが教育係ね」
「えっ? 穴姉、そんなの聞いてないわよ」
天が大げさに肩をすくめる。
「それに最近、『人件費がー!』って騒いでたじゃないの」
「困ってる子は受け入れる。それだけよ」
きっぱり言い切ってから、柊へ視線を戻す。
「それにこの子は、蓮ちゃんの、大事な人よ」
一瞬、空気が変わる。
「だから、手なんか出しちゃダメよ?」
ちらりと天を睨んで、ため息混じりに続ける。
「……あと、穴姉じゃなくてママって呼びなさいって、
いつも言ってるでしょ」
「えっ!?あの、 蓮の!?」
天の目が見開かれる。
「え、あの子も"こっち"だったの? なーんだ、もっと早くツバつけとけばよかった……」
冗談めかした口調で、にやり。
「まぁでも、火遊びしたくなったら、いつでもお姉さんが相手してあげる」
情報が一気に流れ込んできて、頭の整理が追いつかない。背後から、軽く腰に触れる気配がした。反射的に一歩、距離を取る。
「それは、大丈夫です」
きっぱり言って、視線を逸らさず続けた。
「あと、おれに触っていいのは、一人だけなんで」
一瞬の沈黙。
それから天が、楽しそうに笑った。
「……あら。結構お堅いのね」
肩をすくめて、一歩引く。
「でも、嫌いじゃないわ。とりあえず、今日からよろしくね」
上手くやっていけるだろうか。そう思いながらも、この店の空気が、ただのクラブじゃないことだけは分かった。
開店の時間になると、店内の空気がガラリと変わる。柊は、言われるままにカウンターの内側へ回った。
「基本はね、飲み物出して、話聞いて、空気読む。それだけ」
雅さんが、グラスを磨きながら言う。
「無理しなくていいわよ。無理させたら、ママに殺されるし」
冗談めかした口調に、柊は小さく息を呑んだ。
少し離れたカウンターでは、穴田ママが早速、客を相手に接客している。着物の袖が、ゆったりと揺れる。
そのとき、カウンターに腰掛けた客のひとりが、興味深そうに口を開いた。
「ねぇ、この店ってみんな改造終わってんの?」
「この店で、最後まで終わってるのは、天だけよ」
さらりと答えたママに、客が身を乗り出す。改造とは?
「え、じゃあママはどこまで?」
「あら、興味あるの?」
穴田ママが微笑み、客の膝にそっと手を置く。
「今夜、試してみる?」
妖艶な間に、客は少し慌てたように笑って話題を変えた。
「そ、そういえばさ。最近この辺、変なの出るって聞いた?」
「変なの?」
穴田ママが眉を上げる。
「この辺、変なの多いじゃない。特にうちの店とか」
「そうじゃなくて……ほら、時代劇みたいな格好のやつ。平安時代の貴族みたいなのが、何人かで歩いてるって他にも赤や青の仮面を被ったやつらとか」
「コスプレ? 何か流行ってるの?」
「それがさ、様子がおかしいんだよ。何人かで歩いてたのを見た翌日、決まって記憶喪失になった人が警察に保護されるんだって」
「やだ……なにそれ。冗談でしょ?」
店内に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
(……柊。聞いておったか)
頭の奥で、玄武の声が響く。
(これって……物怪の仕業、ですか?)
(ああ。間違いあるまい)
玄武の声は低く、確信に満ちていた。
(今夜は帰ったら、蓮と朱雀のやつと話す必要がありそうじゃな)
柊はグラスを持つ手に、わずかに力を込めた。
雅天
Antinomieスタッフ。
甘い香りのする大人のお姉さん。
改造は済んでいるらしい。




