終結
色々と言い返したい事はありましたが、もう完全にどうでもよくなっていました。『私自身あなたの言うような欠点はあるでしょう。そしてそれは私の力では解決不可能ではないかと思います。それに関しては別にいいというか、私にはドストエフスキーのような才能がなかった、という事で良いです。』この一文で頭が止まってしまって、何も考える事ができなくなりました。この文章を書いている今でも読んでいて辛いです。結局、ヤマダヒフミ氏は別惑星から帰還する事を拒否したのです。だったらもう何を言っても無駄です。決死の覚悟で道場破りに行ったら、「どーぞこんなもん持って行ってください」とあっけなく看板を差し出され、そのくせ立ち振る舞いがどうのこうの偉そうな御託を並べられたような気持でした。
「どうして人間として自分にできる事をしないんですか。別に誰もドストエフスキーになれなんて無茶はいっていません。才能がないならないなりに、他人の中に人間を見つけようとすればいいじゃないですか。自分の中に人間を見つけようとすればいいじゃないですか。ヘタクソでも上達する気があるなら好感が持てますが、「私はヘタクソだから仕方ない」なんて開き直っているヘタクソは最悪中の最悪だって言ってるんですよ」
「『救われない様を徹底して描く事がフィクションにおいてはむしろ救済になる』というのはどういう事でしょう? 『救済になる』なんて断言するのは随分勝手な決めつけではありませんか。事故で家族を亡くした人が「良く書いてくれた!」と喜ばなければあなたの小説には価値がないのですか? そんなことはないでしょう。つまりあなたは不幸な人を無視する村上春樹への当てつけや、不幸を白日の下にしてやりたいという欲求や、この小説で誰かが救われてほしいという希望……ある種のエゴイズムによってこの小説を書いたのはありませんか? イワンもまた天国への切符を返上しなければ自分が自分でなくなるからこそ、自分を守るために天国への切符を突き返したのでしょう。根本的な所では誰もが希望に向かって生きていて、何かを捨てる事で何かを得ているのです。だからこそ悲劇も成立する訳です。確かに村上春樹は自分で何一つ捨てる気がないのですが、一応エゴイズムを認識するバランス感覚は持っているので、そういう点ではドストエフスキーと同じと申し上げたのです。ちゃんと文脈を読んでください」
今の私ならこのように追撃してやりたくもなったでしょうが、当時の私にはそんな余裕はありませんでした。私がヤマダヒフミ氏の返信に見たイメージは背を丸め縮こまって泣きさざめく小さな子供の姿でした。泣きながらも、何事か呟いて必死に自分を守っている子供の姿でした。有体に言ってしまうと可哀そうになりました。私が勝手に神格化していたヤマダヒフミ氏は、私が思っていた以上に人間でしかなかったという事でしょうか。実際のところヤマダヒフミ氏がどう思っていたかは分かりませんが、とにかくヤマダヒフミ氏がこれ以上私に関わって欲しくないという事と、地球に戻って来る気がないという事だけはハッキリ理解できました。彼の精神はもう完全に別惑星に行ってしまっていて、もう地球では生きていけないのかもしれません。だからこそ彼は生きていくために地球に帰還する事を拒絶したのかもしれません。だとしたらこれ以上彼を痛めつけるのは私の本意ではありません。もうここまでです。しかし、それにしてもどうしてこんなにもあっけないんでしょう。どうしてこんなにも弱弱しいんでしょう。肩透かしなんでしょう。私はもう完全に燃え尽き症候群になっていて、何も考えられず息を吐いたり首を振ったりする事しかできませんでした。
……次の日、私の家にヤマダヒフミ氏がやってきました。ヤマダヒフミ氏はyoutube配信で見た通りの背を丸めたメガネ姿で、動転して立ち尽くす私の脇を抜けて勝手に上がり込んできました。
「どうしていきなり来るんですか! 大体、何で住所を!?」
「あなたが私の文学を否定したから反論しに来ただけです」
嘘だ……何で? 何でこんなことに? 息が苦しくて、上手く呼吸ができませんでした。私が混乱の坩堝に陥っている間に、ヤマダヒフミ氏がドストエフスキーがどうこうと複雑な文学論を呪文のように展開してきました。
「ちょっと、ちょっと待ってください。今パソコンで、メモがあるので! ちょっとだけ待ってください! 頼むから!」
ヤマダヒフミ氏をベットに座らせパソコンにある筈の文学メモを開こうとしますが、どこにも見つかりません。
「早くしてください。私も暇じゃないんですよ」
「ちょっと! 待ってください! どこかにあるはずなんです!」
しかし、どのフォルダを探してもアーカイブをひっくり返しても文学メモはどこにも見つかりません。私が必死になって探し続ける間も、ヤマダヒフミ氏の見下すような目が私を冷たく突き刺していました。
……最悪な寝相で目が覚めて夢だと気づいて、滝のような汗を拭って、私はもう笑う事しかできませんでした。私はヤマダヒフミ氏にボコボコにされて敗北したかったのでしょうか。私にとってヤマダヒフミ氏はそれほどまでに大きな存在だったという事でしょうか。私は最初から文学などどうでもよく、ただ私を救ってくれたヤマダヒフミ氏の巨大さを信じたかっただけなのでしょうか。しかし、もうどうでもいい事です。
それから暫くしてなんとなくヤマダヒフミ氏の作品一覧を見ていると、私への反論みたいなエッセイがあって、でもやっぱり私の言っている事と全然噛み合っていなくて、「ラスコーリニコフを肯定している」とか「物質的な救済がないといけないと思っている」とか言っていない事を言っている事にされて批判されていて、でももうどうでもよくて、ただヤマダヒフミ氏が文学に本気で向き合っている私に好感を持っているみたいな事を書いていて、それが嬉しくて、嬉しい事が悔しくて、もう悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
それからしばらくは何もやる気が出ずゲームばかりしていたのですが、2か月たった今頃になってやっと気が紛れてきて、またムラムラとヤマダヒフミ氏への不満が沸き上がってきました。まだまだあんなもんじゃ言い足りないという気持ちでした。眉に唾つけてヤマダヒフミ氏のページを見てみたら性懲りもなく何やら投稿しています。これ以上彼が毒を撒き散らして健康な人まで別惑星に飛ばしてしまうのは看過できないし、私自身の頭の中にあるヤマダヒフミ的精神を一度叩きのめしておきたくなったのでこの文章を書くことにしました。しかし、ヤマダヒフミ氏を批判するだけでは十分ではありません。批判した上で、ではこの世界に何が残るのか、私たちはこの世界で何ができるのか、そういう話もしていきたいと思っています。その前に、改めて読み返すとヤマダヒフミ氏の最後の反論も一応反論になっていると思うので、この場で再反論しておこうと思います。




