私の感想1
『「現実が地獄である」と断じてしまうのは欺瞞だと思います。現実が地獄だというならなぜ大多数の人はとっとと自殺しないんでしょう。溝に落ちたのが自分自身だと本気で思えるならとっとと自殺するのが合理的ではないでしょうか。現実が地獄というのが文学的に上位に位置する観念だというなら、自殺しない人は共感性や客観性の欠如の為に自殺しない文学的白痴という事でしょうか。
人間は現実の不条理を感じながらも、希望を持って生きる事を強いられています。無意識的に生きる事に何らかの希望を持ってしまっています。仮に自殺するにしても体は生きようとしますし苦しみを無くしたいという希望に向かって生きているという事で結局希望を持ってしまっています。
人間の本当の悲しみや妙味はどんな悲惨な状態になっても身体的にも精神的にも希望から逃れられない運命を背負っている事にこそあり過去の偉大な作家もそういう視点から現実を描いているのだと思います。
その点ヤマダヒフミさんの文学は完全に神視点になっていて人間臭さが感じられません。現実が地獄と知らずに生きてるアホに現実を叩きつけてあげて、現実より上位の形而上学的な文学ワールドで救済してあげるという上から目線を感じます。ドストエフスキーがそんな上から目線で作品を書いたでしょうか。ソーニャやラスコーリニコフをなぜか自殺しないアホとして描いたでしょうか。断じて違います。ソーニャは救われたいという希望を持っている、ラスコーリニコフはナポレオンになりたいという希望を持っている、そしてその姿はドストエフスキー自身とも重なっています。偉大な作家は神視点のようで神視点に立っていません。希望を持って動き回る人間の破滅を描きながらも、自分自身の希望を自覚した上で、文学という現実世界で救済しようとしているのです。これはヤマダヒフミさんのやり方と似ているようで全く違う話です。
そういう観点から多崎つくるを見ていくと、意図的かどうかは分かりませんが現実の日本社会から目を背け弱者を切り捨ててでもいまだにバブルに縋らざるを得ないというのはもの悲しさがあり、手放しで評価はできませんがそんなに悪い作品とも思いませんでした』
投稿ボタンを押してすぐ後悔がやってきました。
「どうしよう……私はなんて恐ろしい事をしてしまったんだ……勝てるわけないのに……バチが当たるだろうか……私は、粉々に打ち砕かれてしまうのだろうか……いや、大丈夫だ……きっと大丈夫だ……だって、彼にとって私なんて塵芥にすぎないはずだろうから……きっと無視するに違いない。そうだ、きっと無視する筈だ。頼むから、もう無視してくれ。見なかったことにしてくれ!」
翌日。感想返信が来ていました。




