16節 生きてきた証
「実に長い話だったな…」
探偵は銃を構えたまま、あくびをした。
「は…」
ジュニオールは混乱しそうな頭を必死に抑え、目の前の状況を理解しようとしていた。
だがそれは敵わず、恐怖により指一本も動かすことができなかった。
「少し感動的ではあったものの、同時に凄く無意味で無駄な会話だった気がする」
彼は銃口に問題ないかを確かめながら、非常に落ち着いた態度で言った。
彼はラウルとジュニオールの会話をどういうタイミングで終わらせるかをずっと図っていた。
そのタイミングというのは――ラウルがジュニオール側につく瞬間のことだった。
ジュニオールは、自分の頭から汗が流れ始めるのを感じ、呼吸が荒くなった。
そして、自分の顔に赤い液体の粒が飛び散ったと気づき、それを腕で拭こうとしたが、それもできず膝をついた。
《痛ぇ…》
彼はあの探偵に右脚を撃たれたのだった。
「すまないが、あまり勝手に動かないでくれ。
この銃を持っていても、君一人で精一杯なんだ」
ジュニオールは痛みを耐えながら、目の前で倒れたラウルの死体を再確認した。
《本当に死んでる…》
それを分かって、彼は物凄く悔しそうな顔をした。クソとでも言うように、彼は強く歯を噛み締めた。
「なぜ…なんでラウルを…?」
ジュニオールは下を向きながら、さえない口調で聞いた。
「膝の傷は気にしないのか?」
流石の探偵も少し驚き、でも冷静さは失わなかった。
「そうだな……理由は案外簡単だ」
彼はくしゃくしゃになっていた紙切れを取り出し、ジュニオールに見せた。
ジュニオールは顔を上げ、その内容を読み、唖然とした。
「『PESTE』」
探偵は容赦なく、その言葉を読み上げた。
ジュニオールはそれを聞いて、初めて状況を完全に理解した。
――いや、理解はしたが、納得はいかなった。
「すまないが、彼が犯罪者になってからでは遅い。“災いは未萌に防げ”っていうやつだ。」
彼は肩をすくめ、首を軽く横に振りながら言い、銃口を再びジュニオールに向けた。
今回は、頭に当てるとでも宣伝するように、銃を二回、縦に動かした。
「だからって、殺す必要は――!!」
「――あったさ。十分」
彼は死んだ魚のような目をジュニオールに向け、その無機質な声で彼を黙らせた。
そして少しだけ目を細めて、ため息ついた。
「今になっては遅いかもしれないが、彼の言っていたことは正しかったと認める。
そのジュリオってやつは、お前ら並みの調べがいがありそうだな…」
そう言うと、ジュニオールは彼に強い敵意の視線を向けた。
それは「殺してやる」ではなく、「後悔させてやる」というもの。
探偵はその目を見て、銃を下ろした。
そしてジュニオールに近づいてしゃがんだ。
「そんな視線を向けた所で状況は変わらない。
お前も、そいつも同じさ。――死ぬほど無力だ。」
その言葉を聞いて、ジュニオールは顔から力を抜き、そして眉をひそめた。
――死ぬほど無力。
それは体格でどうにかなることではなく、解決策のない、ただ認めるしかない状態だ。
そしてそれはジュニオールが、幼少期から一番嫌いで、恐れていたことである。
「まあ悲しむことはないさ。
なにせ、死ぬ時は皆、同じ土に帰るからな」
ジュニオールはそれを聞いて、なぜか、少し笑ってしまった。
《ああ…これ、前にどこかで…》
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「君たち三人、身体の割には弱いね」
ある男が、彼をロープで縛りつけ、動けなくしてから話しかけた。
その男の仲間は怪我をしたので、側で治療をしてもらっていた。
「それはテメエらが小賢しい真似をしたからだろ?」
ジュニオールは鼻から血を垂らしながら言った。
《これは…》
他の二人は意識を失っていて、自分の隣に座っていた。
喧嘩に負けたことが今までなかった彼は、その敗戦に強い打撃を受けていた。
――雑魚二人。
そんなヤツらに負け、今までにないほど悔しかったのだった。
《この会話…》
「言い訳するなよ。君たちが負けた理由は一つで、明確。――無力を恐れた。」
《そうだ…ここで始まったんだった…》
「無力?」
「ああ。聞いた通りだ」
男はそう言い、椅子に座って説明を始めた。
「君って恐らく、強いメンタルを持っているんだ。もちろん、過尊信とまでは行かないけど」
ジュニオールは彼を無言で見つめた。
「そして、君たちの動きもそれに従った、正面から有利に戦う――喧嘩ではとても強い戦法だ。」
男はジュニオールの顔色を伺いながら話を進めた。
「だけど、一つだけデメリットがあるんだ…」
男はにっこりして、黒い目を輝かせた。
「――君たちは有利に戦おうとしている」
男は説明を続けた。
「君たちは不利を恐れるあまり、それを避けているんだ。だから君たちは――相手が不利だと安心してしまう。
“相手が不利=自分が有利”という単純な思考のせいで、“相手=自分=不利”の時、何もできなくなる」
ジュニオールは首を傾げ、男にその理由を聞いた。
「だって、不利か有利か――無力か有力かは一瞬で変わる。永遠に継続することじゃない。
それでも、君たちはその一瞬にしがみついているんだ」
ジュニオールは男の話に理解と納得ができた。
できたが、一つ聞きたいことがあった。
「だったら、どうしろと?」
「――もっとしがみつけ。」
男が瞬時に返答し、ジュニオールは困惑した。
「しがみつくって、何に?」
男は予想通りの返事を貰って、少し安心した。
そして、
「そりゃもちろん、“その一瞬に”だ。」
と答えた。
「は? でも、お前はさっき…」
「勘違いしないでくれ、私は別に君たちの姿勢(やり方)を否定してる訳ではないんだ。
もはや好きと言っても良いくらいだ」
男は息継ぎをして、真面目な顔をした。
「ただし、どうせなら、それを貫いた方がいいと思う。
君はその『有利にいたい』、『無力は避けたい』という目標を常に狙い続けるべきなんだ」
側にいた男の仲間は、彼をニコニコしながら見ていた。
「無力を認めるな。いつだって有利を狙え。
そうすれば、君たちは強くなるさ。」
「そんなの求めた所で…」
――死ぬ時は死ぬ。
そう言うとしたが、それがもうすでに男に伝わっていた。
「それはそうだ。――人間は皆、同じ土に戻る。」
彼はジュニオールと目を合わせ、彼を指差した。
「――ならせめて、自分は良土に戻ろうじゃないか」
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その瞬間、ジュニオールは大事なこと、
――自分のあり方を思い出した。
《どうでもいいことを思い出したな…》
そう思うと、彼は突然ケラケラ笑い出し、
自分の負傷した膝を触った。
《死ぬ時に思い出すのは、親の顔で十分だ》
探偵は彼の異常な行動に気づき、警戒して下がった。
「…どいつもこいつも……そんなにアイツ(ジュリオ)を舐めてると痛い目に遭うぞ」
そして探偵が彼を撃とうとした瞬間、彼はズボンの右ポケットからナイフを取り出し、すぐにそれを投げつけた。
《やはり!!》
探偵は近づいた時、ジュニオールが何かを隠していたことに気づいたのだった。
《コイツ、その傷で…!》
刃物を投げたタイミングで、ジュニオールも探偵に突っ込んだ。
――ジュリオ(仲間)に手出しはさせない。
その強い目標を胸に彼は走った。
「良いぞッ!! 良い判断だッ!!」
と、初めて見せるような笑顔で、老人は意気揚々と叫び、向かって来るジュニオールに向けて発砲した。
一発。
そして同時に、
向かって来るナイフを片手で受け止めた。
「痛えなぁおい…」
ジュニオールは立ったまま、彼に微笑んだ。
「何…」
探偵は目を開き、一瞬だけ恐怖を覚えた。
《弾がかすった…》
そう、弾がジュニオールの首ギリギリの所に当たったが、殺し損ねたのだ。
「…いつだって、俺は有利さ」
彼は首から流れる血を右手で触ってから、また走り出した。
一発。
二発。
彼は止まらず進んだ。
「いい加減ッ!!」
探偵は銃を捨て、向かって来る巨人を殴った。
しかし、その拳は難なく止められ、別の拳が彼に向かった。
「何だよ。俺のほうが強ぇじゃねぇか」
ジュニオールは笑いながら、彼を見下して言った。
「……」
探偵はため息をつき、彼を見た。
「ドンッ!!」と、強い音が部屋に鳴り響き、勝負は終わった。
そう、ジュニオールが最後の拳を打てずに、戦いは終わったのだ。
※※※
「中々良かったぞ」
探偵は服についた血を確かめながら、微笑んで言った。
「そうか…
――お前も、“年寄り”にしてはよくやったんじゃねえか」
ジュニオールは仰向けで、自分の体が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
「ふん、もう気づいていたのか?」
彼は先程捨てた銃を拾い、銃口を自分の服で拭いた。
「当たり前だろ。なにせ、お前にはなかったからな…ゲホッ!!」
彼は咳をして、腕を床に広げた。
《すまないな、ラウル、ロベルト、ウンベルト、皆、そして……》
「何が?」
《――そして、後は任せた。》
「――生きてきた、証がァア!!」
探偵は再び微笑み、引き金を引いた。
そして、
「パンッ!!」という音と共に、
禿頭を輝かせ、
いつものように笑いながら――
――ジュニオール·ブラソは眠った。




