第5章 16歳の約束
「殿下、姫様は?海でいかがでしたか?」
さっと湯浴みをして、サロンで、ユリシーズと今日、ポセイドン殿から聞いた話をしていた。
「アリエッタの記憶は戻った。今日限りだけれど。ポセイドン殿にもシェル姫にも会った。アリエッタも私も、まだ、ヒーリングの力が足りないそうだ。」
「まだ足りないのですか?」
「必要なのは、今のヒーリングではなくて、未来に起きる事に対するパワーだそうだ。ポセイドン殿だけでも、足りないらしい。」
「しかし、殿下は、ポセイドンと同じ、世界の海を守る力を得たはず。陛下と話さねばなりませんな。」
「海洋生物研究所の事もある。海洋ヒーラーの力を蓄えねばならないようだ。ユリシーズ、力を貸してもらえるか。」
「もちろんですよ、殿下。私もオランもアズラエルも、我が家は海洋ヒーラーばかりですから。となると、アズラエルの結婚相手も海洋ヒーラーだと、良いのですが。」
「ユリシーズ殿は、まだ会ってないのか?」
「えっ?」
「あっ、、、いや、聞かなかった事に。」
「殿下、聞かなかった事にはできません。アズラエルに問い詰めます。アズラエルも、殿下より早く、とっくに成人しているのですから、全く、愚息は。」
「いや、それは私のせいなんだ。海神の騎士達は、私に気を遣って、婚姻を先延ばしにしているらしい。早くしろとは、言ってあるのだが。ダニエルも、僕より3歳も上なのに、アリエッタの警護を優先してるから、なかなか婚姻できない。
私とアリエッタの婚姻が4年後になるから、皆が待つには、長すぎる。それも、近いうちに、父上や皆と話さねば。」
「そうですな。パーシーとアズラエルの事は、アラン兄上と、話しておきます。」
「ヴァシリス様っ」
アリエッタが、小走りでサロンに入ってくる。
コバルトブルーと白の2色づかいのワンピースドレスに着替えている。
走ってくるのは、変わらないけれど、女性らしく綺麗になったな、と、改めて感じた。顔立ちが、さすがに美少女から乙女の雰囲気になってきた。
「あっ、ユリシーズおじさまっ、今朝ほどは失礼してごめんなさい。
神殿に閉じ込められてから、人の顔が、なかなか覚えられなくなって。」
「姫様も、お辛い状況ですから。よく頑張っておられる。私達は、姫様を、忘れませんから、ご安心を。」
「おじさま、ありがとうございます。オランおばさまも、そう言ってくださいました。今は、ちゃんとわかるのです。でも、また明日になれば。」
「アリエッタ、明日より、今日を大事に過ごそう。少しは、スッキリした顔になったな。今日は、緊張して、その後は泣いてばかりだったろう?」
「ごめんなさい。先程は、辛かった事を思い出してしまって。でも、もう大丈夫です。
湯浴みは、ゲストルームの浴室を使わせていただきました。海の中にいるみたいな浴室でした。あの、マリンサンドを、使わせて頂いたのですっ。」
「おいで、、」
手を伸ばして、引き寄せた。
マリンサンドの香りがしている。
「ヴァシリス様も、湯浴みされたのですか?同じ香りです。」
「そうだ。この香りが好きか?」
「はいっ、だって、ヴァシリス様の、、ふふっ」
時折、少女の中に乙女のような表情を見せる。
そういえば、10歳から、ゆっくりと、抱きしめてなかったな、と思う。
海の中では、なだめるのに精一杯だった。
「同じのを持ち帰るといい。」
「ありがとうございます。」
「アリエッタ、そろそろ、夕陽が沈む。」
ユリシーズとオランが促してくれた。
僕は、アリエッタを中二階に連れて上がった。
「アリエッタ、ここから、朝日と夕日が見える。」
僕は、寝室の扉を開けた。
アリエッタが、息をのんで、部屋の片側の全面ガラス張りの窓にかけよった。全面に太陽が入り込んで、夕陽が沈み始めている。
「ヴァシリス様、すごいっです。全部ガラス張り、あっ、このテラスから海に出られるのですねっ。」
アリエッタは、僕の顔と海を交互に見ている。
「気に入ったか?」
「はい、とても、海の中にいるみたいです。」
「テラスに出るか?」
「はいっ。」
それから、テラスのベンチに、寄り添って座り、沈む夕陽をゆっくりと2人で眺めた。
テラスから数段下りると波打ち際だ。
「アリエッタ、16歳、おめでとう。ずっと会えなくて苦しかった。でも、今日は、戻ってきてくれた。ありがとう。」
「ヴァシリス様。私も思い出せて、やっと安心できました。」
僕は、夕陽を背に、アリエッタの前に跪いた。
「アリエッタ、あと4年、待っている。必ず戻ってほしい、僕は成人したが、プロポーズは、アリエッタが成人してからにする。だから、今日は、せめて、婚約指輪を渡したい。受け取ってくれるか。」
アリエッタの瞳がウルウルしている。
「……はっ、はい、もちろんです。」
アリエッタの手も指も震えている。
手を添えて、一粒の貴石の指輪を、アリエッタの薬指にはめた。貴石の中に小さなコバルトブルーの海が広がっている。
「北の氷の海の氷山の中から、掘り出してきた。だから、アリエッタの記憶の扉が氷山のように固くても、僕はアリエッタの思いを見つけるから。」
「ヴァシリス様………私も見つけます。」
「16歳の約束を果たしたいが、いいか?」
アリエッタが頷いた。
アリエッタは未成年だ。
今日の16歳の約束は、国王と王妃から、許可を得てきた。
僕は、アリエッタを抱きしめて、大人の口づけをした。
離したくない。さすがにどうにも、離したくないと思う。僕らが未熟と言われれば、そうだとは思う。しかしすでに成人した。でもまだ、あと4年、努力も鍛練も必要なのだ。
アリエッタ、必ず僕の腕の中に戻ってほしい。。
夕陽が沈み、アリエッタの瞳色の海が押し寄せはじめる。今日は穏やかな夜の海になりそうだ。
アリエッタを、返さなくてはならない。
唇を離してすぐ、アリエッタは、ほんわりと顔を赤らめて、僕だけを見つめ続けていてくれた。
しばらくしてから、薄暗くなった部屋を見渡して、気づいたようだ。
「このお部屋、、もしかしたら、ご神託でみたお部屋?」
「そうだ、僕と未来の妻の寝室だ。」
アリエッタが息をのんだ。
「今日は、もちろん、送るから。安心して。」
まだ未成年のアリエッタを離宮には泊められない。
「帰りたくないのに、一緒には、いられないのですね?」
「成人した王子が、未成年の公爵令嬢を寝室に連れ込んだなどと、醜聞をばらまくわけにはいかない。離宮がまだ未完成だし、今日は特別に、父上や母上、ミカエラードの父君やユリシーズ殿も、信じてくれているから、ここに連れてこれた。
アリエッタ、この景色を忘れないでほしい。いいな、決して忘れないでほしい。」
アリエッタが、涙をこらえている。
やっと記憶が戻って、僕たちの新居をみて、また明日から記憶が薄れる事が、どれだけ辛いだろうと思うと、離したくなくなる。
「私、4年後、必ず、ここに来ます。」
「さっ、サロンに戻ろう。」
寝室を出て、深いグリーンの扉の前で、アリエッタが立ち止まった。
「ここは、見てはいけないですか?」
「まだ未完成だが、構わない。僕の妻の部屋だ。」
僕は階下に声をかけた。
「オラン、妻の部屋をアリエッタに見せてから、サロンに行く。もうしばらく待ってくれるか。」
「は〜い、坊っちゃま!」
アリエッタが扉を開いて、一歩、踏み込んで、また息をのんだ。そして泣き出した。
「今日は、どうにも、泣かないと、気がすまないか?」
「だって、ヴァシリスさまっ、うぅっ、うっ。こんなの、反則です。」
とうとう、泣きじゃくり出した。
妻の為の部屋の中には、僕たちが、光の調和をした時、アリエッタが5歳で婚約した時の2人の肖像画と、僕が騎士の称号を授与された時の肖像画が、飾ってあったからだ。
「肖像画は、とりあえず飾ってあるだけだから、一緒に住んでから、アリエッタの好きな場所に移動できる。あっ。」
「えっ?」
「アリエッタ、婚約指輪と一緒に渡すはずが、緊張して、忘れていた。」
「ヴァシリス様が、緊張して忘れるなんて、初めてですね。」
「早く口づけしたくて、焦っていた。」
アリエッタが、きょとんとした顔をして、笑い出した。
「うふっ、口づけは、たくさんあげますから、やり直してくださいっ。」
「アリエッタ、口づけばかりは、まずいだろう。」
「えっ?不味くはないでした。ヴァシリス様の味は、海の味で、、、」
「うっ、アリエッタ、君は、少々、ませすぎているぞ。もう少し少女らしくしないと。で、やり直しって、それは、、婚約指輪から、やり直すのか?」
「いえ、婚約指輪は、大変感激して、幸せをたくさんいただきましたから、追加はお誕生日プレゼント、と言う事で、許してあげますっ。」
「まいったなあ。ほら、ここでつけてやるから、髪の毛をあげて。」
「未来の妻のお部屋で、プレゼントなんて、わたし、幸せです。」
「婚約指輪と同じ石のペンダントだ。絶対に外すな。僕のパワーを込めてある。いいなっ。」
「ありがとうございます。外せと言われても、外しませんから。うれしいです。あの、私からなのですが、、」
「アリエッタは、記憶が無かったのに、準備など無理では?」
「最初の2年半は、記憶がありましたから、、笑わないでくださいね。」
「アリエッタから貰うものを笑ったりしない。」
「あの、これ、、、」
手作りのペンダントだ。
小さなトライデントの紋章が貝殻のようなものに埋め込まれた、かなり小さな細工だ。
細い糸を何重にも編み込んで強いロープのようにしたもので、紋章全体を編み込んで止めて、ペンダントにしてあった。
騎士団に入る時に、革紐で作ってくれたものと同じ作り方だった。
「今もつけて下さっているのは、もう11年になりますから。もう外して、、」
「外さないのは、お互いさまだ。アリエッタが、初めて僕に作ってくれて、騎士団での瀕死の状態から、僕を守ってくれたペンダントだ、外せと言われても外さないぞ。」
「でも、革が古くて。」
「婚姻したら、また作ってくれ。今は外さないぞ。ほら、それをつけて。」
僕は、アリエッタの前に跪いた。
アリエッタが、首に両手を回して、つけてくれる。
「ヴァシリス様は、どんどん、逞しくなられています。手が回らないですっ。アカデミーで、御令嬢たちが、胸板が厚くて逞しいと、噂しています。」
「アリエッタは、さっき、見ただろう?」
「えっ?」
アリエッタが、素知らぬふりをした。
「海から上がった時に、騎士服の上着を脱いだ時に、シャツが体に張り付いてたのを、こっそり見ただろう?破廉恥だぞ。僕は、海洋騎士団の団長だから、鍛え抜いてるから、分厚くて当たり前だ。」
「ふふっ、見ちゃいました。私以外には、見せてはダメですよ。触らせてもダメですよ。御令嬢たちは、ヴァシリス様の胸板を狙っているのです。その胸板に顔を埋めたいと。
私は、ヴァシリス様の巫女だと、叫びたいのに、知らんぷりしなくてはならず、悔しくて、悔しくて。」
アリエッタは真顔で悔しがっている。
そっと守るように成長を見てきたのに、アカデミーで、いらぬ情報ばかりが入っているな。全く、最近のアカデミーの御令嬢は、破廉恥だ。
「アリエッタ、アカデミーでは、そんな破廉恥な会話をしているのか?」
「そうです。私はハニエルと一緒だから、そんな話はしませんが、他の御令嬢は、皆んな、色々、殿方との事を話しています。だって、大人の口づけだって、4年生くらいなら、皆さん、してるみたいだし。」
「わかった。わかったから、アリエッタ。
さっきから、僕の胸の中にいたのに、まだ、胸板がほしいのか?
じゃあ、厚い胸板で、息が止まるほど、抱きしめてやるから、来るんだ。ほらっ。」
「きゃ〜、オランおばさま、助けてください。ヴァシリス様に、締め殺されますう。」
中二階だから、階段の下から丸見えなので、オランが見上げて笑っている。
何をやってるんだか、自分で言っておきながら、逃げ回るアリエッタを、さっさと捕まえて、抱きしめて、しっかりとキスをした。息の上がったアリエッタを抱きしめたまま、横抱きにして、階下におりた。
「聞いたか?ユリシーズ、アカデミーでは、御令嬢が、男の胸板を物色しているらしい。」
「まさか。」
ユリシーズが苦笑している。
「あら、私たちの頃も、御令嬢たちは、物色してましたよ。だから、ユリシーズが討伐で怪我をした時に、御令嬢が押し寄せたのは、同学年の男子の中で、あなたの胸板が一番厚かったからですよ。」
「オランっ、何を。」
ユリシーズが、慌てている。
「だって、上の学年には、陛下と、マース様、アランお義兄さまがいらしたから、よりどりみどりでしたけれど、私たちの学年は、ユリシーズだけでしたからね。」
「えっ?お父様も胸板が厚かったのですか?ユリシーズおじさまの方が、お父様より、カッコイイのですが。」
「だって、マース様は、神殿警護隊ですよ。今のダニエル坊っちゃまも、そうでしょう?」
「たしかに、お兄様もモテるわ。じゃあ、ユリシーズおじさまは、もっとモテたのですね。」
ユリシーズが苦笑している。
「さっ、坊っちゃま、姫様、お食事ですよ。」
久しぶりに、楽しく、4人で夕食をとった。
ユリシーズとオランは、育ての親だ。
アリエッタが、よく、話している。
「アリエッタ、さっき、話が途中になったが、このペンダント、材料はどうしたんだ?」
「だから、笑ってはいけませんよ。」
「アリエッタがくれたものを笑ったりしない。」
「神殿に閉じ込められて、泣き叫んでいた時、私は、ヴァシリス様への隠し通路が開かなくて、悲しみを通り越して、ブチ切れて、悲愛の聖母像のボタンを、毎日、何回も叩いていて、叩きすぎて、ボタンのところが割れてはずれたのです。」
「えっ?悲愛の聖母像を壊したのか?」
笑いそうになった。
「あっ、笑ってますっ。」
「神殿の彫像を壊したんだろう?」
どこかで見たと思ったら、隠し通路を開くボタン部分の、トライデントの紋章の部分だったのか。
「割れただけですっ。私も手を怪我しましたけど。だから、おあいこなのです。」
「アリエッタ、神殿の像を、、」
「いいんです。クロノス様に監禁されたのですから。神殿は渡しの好きにしていいのですっ。それに、あの彫像は、ヴァシリス様に似ているのです。だから、寂しいと、あの側で眠りました。」
まさか、彫像の側で寝ていたのか。アリエッタがまた、うるうるしてきたから、話をふった。
「それがペンダントになってるんだな。」
「で、革紐もないし、金属らしいものもない。着ていた巫女装束から、はみ出た糸を抜いて撚り糸にして、紡いで、ペンダントを編みこんで、太いロープを作るのに、一年かかりました。」
「アリエッタ、、何という、、」
「そうでもしないと、ヴァシリス様を忘れてしまいそうで、、会いたくて会いたくて、、どうにかなりそうだったのです。私がおかしいのでしょうか。」また泣きそうになっている。
僕だけが、アリエッタを溺愛していると思っていたが、アリエッタの思慕がこれだけ深いと、クロノス様のストップがかかる意味もわかった。
「2人の前で恥ずかしいが、今日は許してほしい。」
ユリシーズとオランに断って、席を立ち、アリエッタを椅子ごと、抱きしめた。
「アリエッタ、ありがとう。僕たちの愛と絆は海より深い。だから、おかしくなんかないから、安心してくれ。アリエッタの思いには、必ず応えるから、あと4年待て、いいな。」
「は、い、でも、ヴァシリス様も、北の氷の海まで。その前は、南の氷の海まで、行って下さったのです。だから、私も、精一杯、、、」
「わかっている、アリエッタ。クロノス殿は、この僕たちの思いを、海のために、民の為に使うことを、望んでおられる。だから、これからの4年、努力しよう。いいね。」
アリエッタが頷く。
「さあ、姫さま、せっかく、坊っちゃまと一緒のお食事ですから、たくさん召し上がって。まだ、さくらんぼもありますよ。」
「はい、今日は、みんなで食べるから、おいしいです。」
夕食もゆっくり時間をかけた。
アリエッタを送っていく時間になった。
今夜は、記憶が戻ったら、月の宮に送る予定になっていた。母上がアリエッタに会いたがっていたからだ。
ユリシーズもオランを同乗し、僕はアリエッタを同乗して、月の宮に向かった。
アリエッタは、時間を惜しむように、僕に話し続けていた。
成人した僕は、月の宮には入れない。
月の宮のエントランスに着いて、アリエッタを母上に預ける。
「アリエルちゃん、アリエルちゃん。」
「アンジェラおかあさまっ。」
「思い出してくれたのね。」
母上がアリエッタを抱きしめている。
「はいっ。」
そろそろ、手離す時間だ。
「アリエッタ、、今日は幸せな一日だった。ありがとう。」
「はい、ヴァシリスさま、今日は、素晴らしいお誕生日を、一緒に過ごして下さって、ありがとうございました。愛して、います。」
もう一度だけ、抱きしめた。もう一度、口づけた。見つめ合う。ここまでだ。
「アリエッタ、行きなさい。」
「はい。」
母上とオランに付き添われて、アリエッタは振り返らずに、月の宮の扉に消えた。
「ユリシーズ、今日は、一日中、感謝している。」
「殿下も、お辛いでしょう。」
「アリエッタが生まれた時から、23歳まで、待つのは、わかっていた事だから。
大切な愛しい者がいるのは、幸せな事だ。それは僕だけではないし、この世界の者は皆、大切な人がいる。その世界を守ることが、どれだけ大切な事かは、身に染みている。クロノス殿が伝えたいことなのだと思う。」
「そこまで理解している殿下に、あと4年が必要とは思えないのですが。神々の采配は難しいですな。陛下もお待ちでしょう。参りましょうか。」
「よし行こう、4年分の準備がまた増えたな。」
アリエッタとの幸せな誕生日が過ぎて行きました。読んでいただき、ありがとうございます。




