第5章 思い出せない大切な何か
殿下の香り、何故だか、懐かしい気がする。
騎乗で同乗、私のすぐ後ろには、殿下が。
この香り、
もしかしてマリンノート?そんなはず。何で同じなの?
落ち着け、私は殿下の巫女だ。
手綱捌きも、なんか、懐かしい。見たことある。
殿下の手が大きい。指の節が太くて、剣を使われる騎士だとわかる。
ダニエルお兄様の手もそうだから。
でもお兄様とは違う手、でも知ってる。
「アリエッタ、大丈夫か?騎乗はキツくないか?」
「はっ、はい。で、殿下、あの、」
「殿下ではなく、ヴァシリスで良い。其方は、私の巫女だ。一部の者を除いて、誰も知らぬが、
私の巫女だから、夢の中と同じように、名で読んで欲しい。」
どうしよう、名で呼んでほしい、なんて、殿下が優しすぎるっ。
「はっはい。あの、ヴァ、ヴァシリス様。
失礼ですが、、私がおかしいのだと思うのですが、、なぜか、色々と、懐かしいような気がして、、」
「そうか、何が懐かしい?」
「あの、一緒に馬に乗った事があるような、、それに、その、、ヴァシリス様の香りも、ごめんなさい、なんか、失礼な事ばかり、私、申し訳ございませんっ。」
「気にするな。アリエッタは、そう思うのか?
其方とは、幼い頃に馬には同乗した事がある。それから、私の香りは、マリンサンドだ。」
「あの、マリンサンドですか?私はマリンノートです。」
「王宮では、ずっとマリンノートを使っていた。マリンノートとマリンサンドは、一つだけ配合する香が違う。
マリンサンドは、成人してから使っているが、私しか使ってない香りだ。
アリエッタは、幼い頃から海の香りがしていた。良い香りだ。」
「あ、ありがとうございます。この香りがあると、落ち着いて眠れるのです。」
「そうか、よく眠れるのか、それは良かった。
マリンサンドは、慣れぬか?」
「いっいえ、この香りも、初めてではない気がして、、」
「ヒーリングの時に、一緒にいたではないか。」
「えっ!でもあれは、夢の中で。」
「私の巫女なら、夢でも、繋がっているから、側にいるのと、変わらない。そう感じた事はないのか。」
「そ、その、香りっ、では、そのヒーリングの時っ、手っ手を、つっ、つないで、、、」
ダメだ、息が止まる、ドキドキが止まらない。
夢の中で、殿下と手を繋いだはず。それは夢でも、夢じゃない。
殿下の笑い声が聞こえた?
前を向いて、馬に乗ってるから、殿下のお顔が見えないから、余計に焦る。でも、お顔が見えたら、もっと焦るかも?
「私の巫女、そんなにドキドキしなくても、大丈夫だ。落ち着いて。海のヒーリングでは、其方とはぐれると困るから、手は繋いでいた。当たり前だ。気になる事は、何でも聞いてほしい。」
「はい、ありがとうございます。」
ヴァシリス様は、優しくて、ほっとする。
「いつもご神託をありがとう。国を守るために、大切な事を教えてくれて、感謝している。其方は、ずっと神殿での修行が長く、辛い事も多かっただろう。何か願い事はないのか?叶えてやりたい。」
「願い事?」
「今日、帰るまでに考えておいてほしい、何でもいい。気を使わずにな。」
「はっはい、ありがとうございます。」
馬がどんどん、進んでいく。
「あの、殿下、ヴァ、ヴァシリス様?今日は何故、海に。」
「私は海洋ヒーラーだから、海が大切で大好きだ。よく一人でくるのだが、見せたい景色がある。誕生日だからな。」
「私も好きです。でも、でも、いつから来てないのか思い出せなくて。私、神殿に長くいて、出られなくて。でもお誕生日の日は、この首飾りが、たくさん光ります。そして、、、」
いや、こんな事は言ってはいけない。こんな夢みたいな事。
「そして?」
「何故、光るのか、普通の日は、朝と夜に光ります。ずっとずっと。」
夕日を見た話しなんてしても、、、
「心配するな、きっと何故光るか、思い出せるから。其方が一番大切な、生きる幸せを思い出せたら、すぐにわかる。ゆっくりでいい。」
ヴァシリス様の声が、優しくて子守唄みたい。
とても美しい海岸線に出た。
やっぱり懐かしい。
海岸線沿いに、美しい建物が見えた。
「さあ、ついた。今日は、ここでピクニックをしよう。」
「まあ、殿下は、舞踏会にお出にならないし、お昼のお茶会や朗読会や、演奏会にも、お出にならないと、アカデミーでは有名ですが、海でピクニックを?」
「そうだ、想い人との思い出が忘れられなくて、、浜辺でピクニックをして、ダンスをして、海を感じる、ただそれだけが、、大切な思い出だ。其方の思い出を聞いてみたい。」
想い人?そんなに大切な方がいらっしゃるのね。
ヴァシリス様は笑いながら、ユリシーズおじさまから、ランチボックスを受け取り、ピクニックシートを出して、広げていく。
「わ、私も、お手伝いを、、」
「ピクニックに来た事はあるのか?」
「な、ないですが、、でも、、」
何故、ピクニックの準備を知っているんだろうか?ランチボックスから、水筒とカップとお皿を出して、並べる。
サンドイッチと、果物、、多分、さくらんぼ?
「ヴァシリス様、さくらんぼが、」
「どうした?」
「ここに、さくらんぼが入っていますか?」
「さあ、月の宮で準備されて、ユリシーズ殿が預かってくれたので、中身は知らぬが。どうした?」
「きっと、さくらんぼが入っています。
それに、これは桃ジュース。サンドイッチは、ヴァシリス様のお好きな、チキンとアドガボとスライストマトと、サラダピクルス、それで、私は、、、私は、、、」
胸がドキドキしてきた。苦しくて、ぎゅうっとなる。
「アリエッタ?大丈夫か?とにかく座って。」
ヴァシリス様が手をとって、座らせてくださる。
この手、そう、この、、
「はい、、、」
「さっ、果実ジュースは、これだ。」
ヴァシリス様が、グラスに移して渡してくださった果実ジュースは、桃ジュースだった。
私は、知っているはず。
この場所も、ピクニックも。
もう一度、後ろの建物を振り返る。
「ヴァシリスさま、建物の裏側に、厩舎とあずまやがありますか?」
「見に行くか?」
「連れて行ってください。」
私は、ヴァシリス様に連れられて、建物の横にある、なだらかなスロープを上がった。
あった。夢に出てきた、厩舎とあずまや。
「ここにアレックスがいたはず。アレックスって、誰が名前をつけたのですか?」
ヴァシリス様が困った顔をしてらっしゃる。
「ごめんなさい。殿下。独り言です。
この場所が、夢に出てくると、胸が苦しくなるのです。」
「謝るな。其方は巫女だ。苦しい事もある。さっランチにしよう。」
浜辺に戻って、桃ジュースを飲んだ。
「何年ぶりかしら、この味、へっ?」
自分で言って驚いた。
桃ジュースは大好きなはず。でも神殿暮らしで飲んだ事はない。ミカエラード家でも飲まない、アカデミーの食堂?違う。私は何を忘れたの?
サンドイッチをヴァシリス様に渡そうとしたら、黙って受け取ってらっしゃる。
何回もしてきた仕草?
私も一ついただく。
懐かしい味だった。
「ヴァシリス様、私はピクルスが嫌いでした。でも、食べないと、食べて強くならないと、、強くならないとダメだと。強くなって、追いかけなきゃ、、、」
そこから先が、わからない。
「アリエッタ、今は、ピクルスは食べられるか?」
「はい、なんとか。」
「それなら、強くなっている。」
「ヴァシリス様は、チキンとアボガドとサラダピクルスのサンドイッチが、お好きでしょうか。」
「幼い頃から、好きだ。」
私が、何故、ヴァシリス様の好きなサンドイッチを知ってるの?
海を眺めながら、サンドイッチを召し上がるヴァシリス様の横顔は、見たことがある。
あまりにも眩しくて、愛おしくて、胸が熱くなる。手を伸ばして、触れられたら、、
えっ?私、何と破廉恥な。王子様に向かって、不敬罪だわ。
ふうっ、、ため息をついてしまった。
果物が入っているだろう入れ物のフタを外した。
さくらんぼ、だった。
ほら、やっぱり、さくらんぼ。
私が大好きなさくらんぼ。
最後に食べたのは、いつだっけ?
「ヴァシリス様、どうぞ、さくらんぼです。」
「アリエッタは、食べないのか?」
「殿下より、先に手をつけては、はしたなく、、」
ヴァシリス様が、さくらんぼをつまんで、
「ほら、食べさせてやるから、口をあけて。」
「えっ?何と、なんて、おっしゃって、、殿下」
「アリエッタ、食べさせてやるから」
「ヴァシリス殿下、お戯は、なりません。殿下のお立場が、どうか、、」
「くっ、くっ、くっ、アリエッタ、好きなさくらんぼは、好きなだけ食べればよい。」
「なっ、なん、」
私は、揶揄われたの?なんで?私がさくらんぼ好きなの、知ってるのは、おかしい。
さくらんぼは、ミカエラード家では、出ない。なのに、私はさくらんぼが好きで、夢に見る。
何で?
「では、いただきます。」
一粒、一粒、かみしめる。美味しい。やっぱり美味しい。
「うまいか?」
「はい、とても美味しくて、止まりません。 」
「それは良かった。たくさん食べなさい。」
「ヴァシリス様、巫女の記憶とは、こんなに不安定になり、消えてしまうのでしょうか。
私はいつから、さくらんぼが好きになったのかさえ、わからないのです。
ミカエラード家では食べた事がなく、神殿に、さくらんぼが落ちてくるわけがなく。でも、9歳くらいの頃は、食べていたような。」
手が止まらなくなり、ほぼ、食べ尽くしてしまった。
私、何してるんだろう。
今日は、私の16歳の誕生日だ。大切な約束が。思い出せない。
いくら巫女とはいえ、王妃様直々に、王妃命があり、殿下がお忍びで、親衛隊長だけの護衛で、私を連れ出してくださっている。なのに、失礼な事ばかり。
それに、初めてお会いしたのに、懐かしくて懐かしくて、殿下は私をご存知みたいだけど、考えても答えは無い。
手の届かない殿下は、夢の中で、ご神託を伝えて、共にヒーリングをするだけ、それが巫女の役目。
手が届かない?そんな事、考えるなんて、破廉恥な事。
何を忘れたの?私は一番大切な事を忘れている。それが思い出せないから、苦しくて、胸にポッカリ穴が空いてるみたい。
海を眺めて、ふと思った。
「クーポ」
口からついて出た言葉だった。
「えっ?アリエッタ?」
「えっ?クーポ、って、何ですか?」
目の前の海で、クジラがジャンプした。
「クーポって、クーポって、何?」
もう一度、クジラがジャンプした。
涙が出てきた。
「クーポっ」
クジラが、何度もジャンプする。
ヴァシリス様が、私を凝視している。
ヴァシリス様のお顔、神殿の悲愛の聖母に抱き止められた神の子と、同じお顔立ち。
王妃様から贈られたドレスは、ヴァシリス様の瞳色、ヴァシリス様の想い人だけが着る事ができる貴色。
私のペンダントは、贈られたもの。私の髪留めも、贈られたもの。この貴色の瞳を持つのは、この国で、この方だけ。
ヴァシリスさま、、、。
涙が溢れてきた。嗚咽が、苦しい。
何故、忘れたの?こんなに大切な方を。
私が忘れた。苦しくて、神殿の中で狂いそうになって、ヴァシリス様に会えない苦しみを忘れようと、私が閉じ込めた。
ヴァシリス様に合わせる顔がない。ヴァシリス様は、そのあいだ、、、、どれだけ長い時間、、
お顔が見れない、触れたいのに、情けなくて無理。
手を伸ばしかけて、ためらった。
合わせる顔がない。走って海に飛び込んだ。
「アリエッタ、待て、待つんだ。」
クーポに飛びつき頼んだ。
「クーポ、遠くまでっ。」
海の中で、声をあげて泣いた。
苦しくて、苦しくて、情けなくて、申し訳なくて、泣き続けて、最後に、ヴァシリス様の名を呼んだ。ずっと呼びたかった愛しい方の名前。
「ヴァシリスさま、ヴァシリスさま、ヴァシリスさま、、ごめんなさい。ずっと会いたかったのに。ヴァシリスさま。」
後ろから、急に抱きしめられた。
顔を見なくても、わかった。
「どこまで潜って、何度、私の名を呼べば、気がすむのだ、アリエッタ。私がわかるか?」
「我が君、、ヴァシリスさまです。」
涙が止まらない。
「ごめんなさい。苦しくて、ヴァシリス様を忘れて。」
私は泣きながら謝った。
「何故、謝る?」
「だって、こんなにお慕いしているのに、忘れていたなんて、、」
「違う、苦しくて、記憶を閉じ込めだけだ、忘れた訳ではない。もう泣くな、アリエッタ。其方の涙で海があふれそうだ。小さな島が沈むぞ。」
ヴァシリス様は、ぎゅうっっと抱き締めて、頬に口づけてくれた。
やっと、アリエッタが、思い出せました。
読んでいただき、ありがとうございます。




