ジョン・ハサウェイ教授シリーズの第2作目 - 時の残響(The Chronos Echo)
あらすじ-
テキサスののんきな夫婦が拾い、息子がノミで砕いた「ロンドン・ハンマー」。
白亜紀の岩盤に埋まっていたこのオーパーツをめぐり、発見者の老人が不審死を遂げる。パリ政治学院のジョン・ハサウェイ教授と地質学者ソフィーは、巨大軍事企業「クロノス・ディフェンス」の陰謀を察知し現地へ飛ぶ。鉄と木の精密な成分分析から暴かれたのは、自然の悪戯ではなく、歴史を物理的に消去する「時空乱流兵器」の実験データだった。
ハサウェイは緻密な法理で法廷の決戦へ挑む。
前書き-
もし、私たちが学校で習う「時間のルール」を根底からバグらせる遺物が、のんきな休日の散歩から見つかったとしたら。本作の主役は、数億年前の地層から発見された実在のオーパーツ「ロンドン・ハンマー」です。科学的な一般論という盾の裏に隠された、時間を歪める国家規模の陰謀。パリ政治学院のハサウェイ教授と地質学者ソフィーのコンビが、激しい知のディベートと法廷バトルで権力の嘘を暴く、知的なサスペンスをお楽しみください。
ジョン・ハサウェイ教授シリーズの第2作目
『時の残響(The Chronos Echo)』
お届けします。
第1章:少年のノミと、途絶えた国際電話
その物語の始まりは、およそ学術的な厳かさとは無縁の、あまりにも呑気な日常の一歩だった。
1936年、アメリカ・テキサス州ロンドンのうだるように暑い夏の午後。マックス・ハーンとその妻エマは、地元のレッド・クリーク川のほとりを手を繋いで散歩していた。彼らの足元に転がっていたのは、どこにでもある不格好な石灰岩の塊。
ただ一つ奇妙だったのは、その岩の裂け目から、干からびた「古い木の切れ端」がぽつんと飛び出していたことだ。
「変な石ね」
妻のその一言で、夫婦は重い岩を拾い上げ、自宅の居間へと持ち帰った。彼らはそれを専門家に届けるでもなく、ただの風変わりな土産物――あるいは、風で書類が飛ばないための「文鎮代わり」として、実に10年もの間、暖炉の脇に放置し続けた。
潮目が変わったのは11年後の1947年だ。
ハーン夫婦の14歳になる息子、トマス・ハーンは、退屈な雨の日の午後にその岩を見つめていた。少年らしい無邪気な好奇心に駆られた彼は、物置から錆びたノミとハンマーを持ち出し、居間の絨毯の上でその岩の塊をパカンと叩き割った。
その瞬間、地球が隠蔽してきた2億年のタイムラインが、凄まじい音を立ててバグを起こした。
砕け散った石灰岩の奥深くから姿を現したのは、化石でも結晶でもなかった。完璧な金属の光沢を放つ、近代的な「鉄製のカナヅチ(ハンマー)」の頭部だったのだ。
飛び出ていた木の切れ端は、そのハンマーの柄だった。19世紀のアメリカで大量生産されたはずの道具が、人類すら存在しない白亜紀の岩盤の中に、完全に一体化して埋まっていた――。
これが、後に世界中のオカルトファンを熱狂させ、正統派の科学者たちを激怒させることになるオーパーツ、「ロンドン・ハンマー」ののんきな発見劇の全貌だった。
◇
「……諸君。これが、国家がどれほど巨額の予算を投じても決して隠蔽できなかった、歴史のバグの正体だ」
現代のパリ。セール広場を見下ろすパリ政治学院(Sciences Po)の第4講義室。
教壇に立つフランス系アメリカ人の教授、ジョン・ハサウェイは、仕立ての良いネイビーのスリーピース・スーツに身をまとい、黒髪をかき上げながらプロジェクターの画面を指し示した。スクリーンには、あのロンドン・ハンマーの鮮明な拡大写真が映し出されている。
ハサウェイの専門は、国際公法、そして「国家権力における歴史的象徴の利用」。元・国際法廷特別弁護官という経歴を持つ彼のブルーの瞳は、常に物事の裏にある「隠蔽の論理」を冷徹に見抜くことで知られていた。
「多くのオカルト雑誌はこれを、未来人が過去に落としたタイムトラベルの証拠だと書き立てた。しかし、我々法を扱う者が注目すべきは、SFのロマンではない。この奇妙な遺物が発見された『プロセス』だ。軍隊の機密保持も、ヴァチカンの情報統制も、テキサスののんきな夫婦の散歩と、退屈した少年のノミの一撃の前には無力だった。権力がどれほど必死に歴史を書き換えようとしても、真実は常に、こうしたあまりにも無防備な日常の足元から転がり出てくる」
学生たちのノートを走らせる音が響く中、講義室の最前列で一人、冷ややかな視線を送る女性がいた。
国際文化財保存研究所(ICCROM)からハサウェイの研究室に出向している主任地質学者、ソフィー・アサノだ。彼女は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、呆れたように小さく首を振った。
「ハサウェイ教授、講義の枕詞としては面白いですが、地質学者として言わせてもらえば、それはミスリーディングです」
ソフィーは講義が終わるや否や、学生たちが去った教壇へ歩み寄り、自身のノートPCを開いた。画面には、ハサウェイの法理を否定するための、冷酷なまでの「成分分析データ」が並んでいる。
「ロンドン・ハンマーが白亜紀の岩盤に埋まっていたのは、タイムトラベルでも超古代文明でもない。ただの『コンクリーション(急速な結晶化)』よ。19世紀後半に炭鉱夫が落としたハンマーの周りに、古い地層から溶け出した高濃度の重炭酸塩(石灰岩成分)が、わずか数十年の間に急速に再結晶化して固まっただけ。鉄の頭部を覆うその成分は、地質学的な『天然のカモフラージュ』に過ぎないわ。科学的なファクト(事実)は、あなたの愛する歴史の陰謀論よりも、ずっと退屈で現実的なの」
「天然のカモフラージュ、か。いい言葉だ、ソフィー」
ハサウェイは荷物をまとめながら、エレガントに微笑んだ。
「だが、もしその科学的な一般論の裏に、さらに精緻に計算された『二重の嘘』が隠されているとしたらどうする?」
「どういう意味?」
ソフィーが眉をひそめたその瞬間、ハサウェイのデスクの上で、暗号化された臨時の国際電話が激しく震えた。発信元はアメリカ・テキサス州。画面に表示されたのは、ハサウェイが数年前に国際法上の遺産保護の観点からコンタクトを取っていた、あの「第一発見者の少年」――今や80歳を超えた老人となった、トマス・ハーンの名前だった。
ハサウェイが通話ボタンを押し、スピーカーモードに切り替える。
『……ハサウェイ教授か!?』
受話器の向こうから、アンデスで聞いた銃声よりも切迫した、老人の震える声が響いた。背景からは、大型の重機が地響きを立てて迫ってくるような爆音が混ざっている。
「トマス、落ち着いてくれ。パリのハサウェイだ。何があった?」
『奴らが……巨大軍事コンサル企業のクロノス・ディフェンスが来たんだ! 彼らは地元の土地収用法を歪め、私の実家の裏山と、あのハンマーが見つかったレッド・クリーク川周辺を完全に買い叩き、軍事封鎖しようとしている!』
「土地の強制収用? なぜ民間企業が、ただの川辺を?」
『教授、科学の嘘に騙されちゃいけない! 奴らは気づいたんだ。あのハンマーの成分を、一般には公表されていない裏のルートで分析したんだよ。あそこには、時間の流――』
激しい機械的なノイズ。そして、大気を引き裂くような短い破裂音がスピーカーから炸裂した。
「トマス!? トマス!」
ハサウェイが叫ぶが、応答はない。聞こえてくるのは、誰かがスマートフォンを拾い上げ、荒い息を吐きながら通話を切る冷酷な電子音だけだった。
静まり返る研究室。ソフィーは血の気が引いた顔でハサウェイを見つめていた。
ハサウェイは即座に端末を操作し、テキサス東部の警察無線のログへアクセスした。わずか3分後、画面に最悪のアラートがポップアップする。
【速報:テキサス州ロンドン近郊にて、民家がガス爆発とみられる火災で全焼。住人のトマス・ハーン(83)が遺体で発見される】
「事故じゃないわ……」ソフィーの声が震える。
ハサウェイはトレンチコートを手に取り、ブルーの瞳を鋭く光らせた。
「バンスが消えても、歴史を我が物にしようとする権力の亡者は死んでいなかったということだ。ソフィー、君の言う『現実的な科学のデータ』が、なぜ老人を殺さなければならないほどの価値を持ったのか。それを確かめにいく。今すぐ、テキサス行きのフライトを手配してくれ」
パリ政治学院の重い扉を押し開け、二人は再び、時空のバグが仕掛けられた戦場へと向かって走り出した。




