18初詣と妹との仕合
ミオが話し終えたとき、部屋は水を打ったように静まり返っていた。
誰も、すぐには言葉を発することができない。
「いやあ……不思議なことがあるもんだ」
おじいちゃんが、ぽつりと息を吐いた。
「ミオちゃんの話が本当なら、世間を揺るがす大スクープだな」
ケンジおじさんが、興奮を隠しきれない様子で言う。
「ミオ……なんだか、とてもドラマチックね」
サクラは、どこか現実感の薄い声でそう呟いた。
部屋はざわめきと興奮に包まれていく。
その中で、俺は、ミオの話を、頭の中で反芻した。
「つまり、俺がこれからやるべきことは……」
口に出しかけた言葉を、
ミオが、すっと引き取った。
「そう。ハヤトノートを完成させること」
その声には、迷いがなかった。
◇
その夜から、俺はノート作成に没頭した。
現代技術を、あの世界へ持ち帰るための記録――
ハヤトノート。
残された時間は、一か月。
間に合わせなければならない。
ミオが、俺に集中力向上の魔法をかける。
その効果は、俺のものとは比べものにならないほど強力だった。
思考が澄み渡り、
迷いなくペンが走る。
まるで、頭の中の知識がそのまま紙へ流れ出していくようだった。
俺がノートに向かい続ける横で、
ミオは出来上がったページをぱらぱらとめくっている。
そして――
「兄さん。ここ、何を言っているのか、さっぱりわからない」
……おいおい。
こっちは集中してるんだぞ。
今それを言うか?
思わず文句を言いかけて、ミオの方を見る。
だが――
その表情は、予想外に真剣だった。
ふざけている様子は、一切ない。
そこで、はっとする。
――そうか。
ミオは、本気で言っているのだ。
王国で、俺と同じ水準の教育を受けているミオが理解できない。
ということは――
あの世界の、ほとんどの人間が理解できないということだ。
どれだけ高度な技術を書いても、
理解されなければ、意味がない。
俺は、完全に“自分のためのノート”を書いていた。
その事実に気づき、胸の奥がひやりと冷える。
――これは、違う。
「ミオ。助言ありがとう。どこがわかりにくい?」
俺はペンを持ち直した。
ミオの指摘を受けながら、
補足説明を書き足す。
言葉を砕き、
図を描き、
構造を分解する。
誰が読んでも理解できるように。
それが、
このノートの本当の価値なのだから。
◇
そして、大晦日。
高校のみんなで初詣に行くことになり、
ミオも一緒に連れていくことにした。
待ち合わせ場所には、
サクラ、ハルカ、武田、山下がすでに集まっていた。
俺はミオを紹介する。
「普段、離れて暮らしてる妹だ」
それだけにとどめておく。
余計な説明は、いらない。
武田が、ミオとサクラを交互に見て――
そのまま固まった。
目を見開いたまま、完全停止。
……まあ、無理もない。
好きな子に雰囲気が似ている女の子が、もう一人現れたのだから。
とはいえ、分かりやすすぎるだろう、この反応。
こいつは本当に……。
一方で、ミオはというと――
「お話は兄から聞いています。お姉さんって呼んでもいいですか?」
などと、ハルカに話しかけている。
……ミオ、ちょっと黙れ。
◇
神社は、人で溢れていた。
初詣の参拝客で、境内はぎゅうぎゅうだ。
日本の文化に、ミオは興味津々だった。
特に――露店。
わたあめ。
りんごあめ。
やきそば。
一つ食べるたびに、目を輝かせて感嘆の声を上げる。
「すごい……こんな食べ物が……!」
その反応に、みんなが首をかしげる。
「そんなに珍しいか?」
そりゃそうだ。
だが、ミオにとっては、すべてが異世界なのだから。
◇
やがて、参拝の順番が回ってくる。
俺は手を合わせ、静かに祈った。
――どうか。
俺のノートが、無事に父さんに届きますように。
◇
帰り際。
空気が緩んだ、その瞬間だった。
「タカセ・ミオ」
武田が、突然口を開いた。
場の空気が、一気に引き締まる。
「ハヤトより強いと聞いている。俺と手合わせしてくれないか!」
――は?
一瞬、全員が固まった。
ああ、そうだ。
以前、俺がうっかり「ミオは俺より強い」と口を滑らせたことを思い出す。
「こら、武田! またそんなこと言って!」
サクラが指をさして、たしなめる。
だが、武田は一切引かない。
真剣そのものの表情だ。
「仕合の申し入れですね? 光栄です。お受けしましょう」
ミオは、即答した。
しかも、真顔で。
「受けるの!?」
サクラが絶句する。
無理もない。
だが――
王国では、仕合の申し入れなど日常茶飯事だ。
ミオにとっては、これが自然な対応なのだろう。
「場所は、どこで?」
ミオが淡々と続ける。
「そうだな……また教師に見つかるとまずいし……」
武田がちらりとこちらを見る。
完全に、助けを求める目だ。
……仕方ない。
俺は少し考えてから口を開いた。
「学校の剣道場はどうだ? 今は冬休みだし、朝なら誰もいない」
それは名案だ、ということになり――
明後日の早朝、剣道場で仕合が決まった。
「よろしく頼む!」
「こちらこそ」
ミオが手を差し出す。
武田は一瞬、どうしていいかわからないように固まった。
それでもすぐに気を取り直し、ぎこちなくその手を握り返す。
そして、まっすぐ見つめ返す。
その視線は、静かで――
そして、熱い。
……いや待て。
この男。
もし勝ったら、そのままミオに告白でもしかねない勢いだな。
ほんとにこいつは……。
この、浮気者め。
◇
早朝の剣道場。
ひんやりとした空気の中、
道場の中央で、武田とミオが向かい合っていた。
武田は、なぜか気合十分に空手着姿。
対するミオは、サクラから借りた体操服。
あまりにも対照的な二人だった。
俺は、その間に立ち、審判として二人を見据える。
ギャラリーは、サクラ、ハルカ、山下。
初詣のときと同じ顔ぶれだ。
「すげえ……本当にやるのか……」
山下が小声でつぶやく。
俺は静かに手を上げた。
武田が構える。
鋭い眼光。全身に力がみなぎっている。
対して、ミオは――
自然体。
力みも、気負いもない。
一見すれば、勝負は明らかだった。
気迫に満ちた武闘派の男と、
どこにでもいそうな女子高生。
だが――
(武田。油断するな。本気で行け)
俺は、心の中でそう告げる。
「はじめ!」
「セイヤッ!」
武田が踏み込む。
速い。
だが――
その瞬間。
ミオは、すでに武田の懐にいた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
距離が、消えている。
ミオの手刀が、そっと武田の首筋に触れていた。
「……?」
武田の目が、理解を拒む。
「一本!」
俺は、即座に宣言した。
道場が、凍りつく。
沈黙。
ほんの一拍のあと――
「うわっ……!」
「すごっ……!」
「なに今の!?」
歓声が一気に爆発した。
だが――
当の武田は、動かない。
その場に立ち尽くしたまま、顔色がみるみる青くなる。
無理もない。
あの速度。
あの間合い。
理屈ではなく、“死”の気配として体で感じたはずだ。
ミオは静かに離れ、元の位置へ戻る。
その動きすら、音がしない。
やがて武田は、膝から崩れ落ちた。
手をつき、荒く息を吐く。
「……すげえ」
絞り出すような一言。
それでも、武田は顔を上げる。
震える足で立ち上がり、ミオをまっすぐ見る。
「もう一本、お願いします」
その声には、確かな意思があった。
「はい」
ミオは、あっさりとうなずく。
二人は、再び向かい合う。
「はじめ」
今度は、武田が攻めた。
踏み込み、突き、連打。
先ほどよりも速い。鋭い。
だが――
ミオは、すべてを受ける。
軽くいなし、流し、かわす。
まるで――
稽古をつけているように。
そして。
一瞬の隙。
カウンター。
――ドン。
鈍い衝撃音。
武田の体がくの字に折れ、その場に崩れ落ちた。
「一本」
もはや、誰も声を出せない。
サクラも、ハルカも、山下も。
全員、口を開けたまま固まっている。
◇
結局、三本。
すべてミオの一本。
文字通りの完敗だった。
「ありがとうございました」
ミオが手を差し出す。
武田は、その手をしっかりと握った。
今度は、ためらいはない。
「お前……すげえよ」
その目は、熱く、わずかに潤んでいる。
尊敬と、興奮と、悔しさ。
全部が混ざった目だった。
……が。
おい、武田。
そろそろ、その手は離しなさい。




