3-2-3 見参、漆黒の魔狼 ヴィント ②
本日1話目の投稿です。
「大丈夫だよ。もうこれ以上痛いことはしないからね」
へたりこんだまま、自分でもどこにこんな体力が残ってたのか、おまえは幼児かって勢いで泣き声を上げたら、あんたは予防接種につきそうお母さんですかって調子で抱きしめられて、腹が立った!!
でも、そうだ…。マリーベル! あの子を助けに行かないと!
「うぅ…っ」
「ほら、落ち着いて。手当しないと」
うるさい、落ち着いていられるか! そんなのあとでいいよ、早く行かないと!
鞄に手を突っ込んで、自家製のポーションを取り出す。蓋を開けたいけど指が動かない!
「貸して。…はい、どうぞ」
自分で持ち上げられないから手を借りて一気に飲んだら、黙ってても痛みでヒクついてたお腹がじわっと暖かくなって、ほとんど塞がってた視界も少し見えるようになった。鼻血はわからないけど、だらだら出てこなかったらもうそれでいい!
よし、行くぞ!
「ほら、危ないよ」
勢い込んで立ち上がろうとしたけど、腰が立たない。またべちゃっと汚れた地面に落ちて、悔しさと情けなさでしゃくりあげながら拳で涙を拭った俺の背中を、大きな手が撫でてなだめようとしてくる。
「ちょっと待ってね」
それからがさごそと自分の腰鞄からなにか取り出して、濡らした布で顔や酷い有様の下半身をそっと拭いてくれた。わざわざ自分のタオルと水筒を使ってくれたのか……。
「ここじゃ応急処置しかできないけど、このままじゃ気持ち悪いでしょう。痛くないようにするから、少しだけ我慢してね」
またポーションの匂いだ。肘とか膝にかけて洗われて、初めてそこが痛かったらしいことに気がついた。ひどく擦りむいてたっぽい。
あ……血が止まった。ポーションで傷口を洗うなんて贅沢な使い方だなあ。
きれいにしたところを手早く布で押さえて、最後に背中からなにかがばさっと被せられた。汗で濡れて冷えた身体が、少し暖かくなる。
「とりあえず、今はここまでだ。あとでもっとちゃんと綺麗にするからね」
これ、この人の着ていた黒い上着だ……。
素材がなにかわからないけど、恐ろしく滑らかな革で、吸い付くように肌を覆ってくれた。なんかめちゃくちゃ高そう……。
こっち、クリーニング屋さんってあるのかな? あったらこれ、クリーニング代を払わないとだよね?
ぼんやり見ていたら、その人はあちこちに散乱した俺の服を集めて袋に入れてくれてる。
だめだ、俺もへたり込んで泣いてるだけってのは情けない。
近くに落ちてたブーツを取ってのろのろと履いてたら、またそばに来て残った片方を履かせてくれた。それから「触るよ」ってささやいて、流れた鼻血と涙をそっと拭ってくれたんだ。
頬に触れた大きな手の優しさが胸にしみた。さっきまで殴ったり蹴られたりされてたからかなあ。
あいつらと同じように大きくてたくましい手なのに、この人の手がくれた優しさに、初めて自分が助かったんだって実感した。……実感できた!
「……っ」
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
嗚咽混じりの震える息をついた俺を見て、そう言いながら俺が痛くないよう、でも体温が伝わるように、そっと抱きしめて背中や頭を撫でてくれる。
「うぅ…!」
マリーベルを助けに行かなくちゃいけないのに、情けなくも先に安心してしまって俺は泣いた。
それはもう、ぼろぼろと涙も鼻水だか鼻血だかも盛大に垂らして泣いちゃったんだ。俺のせいで胸元とか絶対汚れたのに、この人はいやがりもせず拭ってよしよししてくれたから、その黒い革手袋をはめた手を思わずぎゅっと掴む。
ああ、きっと、本当に優しい人だ。
この人なら、あの子を助けてくれるかも知れない!
なんとか嗚咽を堪えて息をついて、俺は必死に大きくて温かい手を掴んで訴えた。
「どうしたの?」
「…っ、……!」
くそ、声が出ない! 慌てて大きな手のひらに字を書く。
「マ、リー、ベ、ル…?」
そう! あの子を助けて欲しいんだ!!
ダメなら俺が自分で行く!
「ああ、待って。慌てないの。ピンクの花束みたいに可愛い女の子のことでしょう?」
「!」
そう、その子! 縋るように見上げたら、急に動いたせいか点滅する暗い視界の中に、まるで月のように二つの金色が浮かんで見えた。
そうか、この人の目だ……。
「その子なら大丈夫だよ。悪者に狙われたけど、自分で相手を火だるまにしてやっつけちゃったからね。それから無事に僕たちに出会って、君を助けて欲しいって訴えてくれたんだ。今はピルさん……ピルパッシェピシェールさんといっしょにいるよ」
マリーベル…よかった! それに、ピルピルさんまで来てくれたなんて。
あの人も強いし、きっとマリーベルを守ってくれる!
「強い子だね。自分も怖かっただろうに、自分の保護なんていらない、それより君を助けてって、本当に必死だったよ」
安心して気が抜けそうになったけど、いや。まだだ。ちゃんと自分の目で確かめなくちゃ!
「さあ、これで少しは落ち着いたかな? 行こう」
それから羽織ったままだった黒い上着に俺の腕を通して、たくましい片腕でひょいと抱えてくれた。力持ちだ!
この上着も俺にはかなり大きいから、これ一枚でしっかり大事なところが隠れてくれるのがありがたい。
黒い上着の下は黒いシャツか……。黒ずくめだな。絹じゃないけど、綿シャツってわけでもなさそう。こっちの世界で俺が見たり触ったりした中では知らない素材だ。
それにかなり背が高い。目に血が入って見えにくいけど、そういえばこの人、誰だろう?
何度か瞬きしてたらやっと間近にあった顔が見えて、俺は息を呑んだ。
え…え? ウソだろ…!?
信じられなくてごしごしともう一回、今度はしっかり血と涙を拭って、端正な横顔をじっと見る。
艶のある黒い髪に、黒い立ち耳と豊かで艶やかなふぁっさあぁと揺れる黒い尻尾! 転がった松明に照らされた滑らかな肌は鞣したような褐色で、俺を見た切れ長の目は狼そのものの闇に光る金色だった。
めったにいない獣人族の狼、それも月光旅団の漆黒の魔狼、ヴィントじゃないか!! なんでここに!?
「どうしたの?」
驚きすぎて口をぱくぱくさせてたら、「ああ」となにかに気づいた様子でヴィントが笑って名乗ってくれた。
笑ったらおっかなそうな顔が、牙もあるのに途端に優しいお兄さんになる。
「サトル・ウィステリア君。助けに来るのが遅くなってごめんね。僕は月光旅団のヴィント・エスペランサ。ナーオットのギルドで君の捜索依頼を受けたんだ」
ギルドで!? なんでまた……。
理由を聞きたいけど、声が出ないしわざわざ書くのも時間がかかるし!
とっさになにも言えずにヴィントの顔を見たまま唇を噛んだら、切れてたらしくてめっちゃ痛くて泣き声っぽいのが漏れた。
いや、もう泣いてないんだよ。単純に痛くて「いてっ」って言いたかったのに、声にならなかっただけなんだ。
「こんなに腫れて…痛いよねぇ…」
「…ぃ、き」
自分の方が痛いみたいな顔をするんだな。長い指がそっと腫れた口元に触れて、平気って言いたいのに、掠れすぎてぜんぜん伝わらない。
「平気じゃないよ…酷いなあ」
いや、伝わってた。
色男だけど女の人を千人ぐらいソープに沈めてるホストか、良くてマフィアって感じの危ないお兄さんにしか見えないのに、悲しそうな顔をしたらリアルに存在してる耳と尻尾がしょぼん…ってなるせいで、むしろ愛嬌あるのがすごいな!?
「悪さもしてない子どもに手を上げるような輩はろくなもんじゃないよ。首の前にこいつの四肢を落とすべきだったよね」
いや、そういうのはいらないです!
一転、冷たい目で自分が殺した相手を見下ろす横顔は、ちらっと覗く牙と相まって本当に怖い。
さっきまでだって怖かったし痛かったけど、今はあんたの腕の中にいる現状が一番怖い気がするよ!?
これで俺が実は大人だってバレて、この冷たい顔と声で「いい大人でしょ? 自分でなんとかしなよ」なんて言われたら絶対立ち直れない自信がある!
「しばらく手に力を入れすぎちゃいけないよ。凍傷になってしまってるからね」
それはわかった。それより下ろして欲しいけど、弱々しい抵抗に気づいてもらえない。
長い脚から繰り出される大きなストライドで出口に向かわれて、そこにもう一人、長身の人影を見つけた。




