第35話 家は、生やすものだ(後編)
高台へ到着すると、ギルベルトは周囲を見渡した。
職人も、木材も、道具もない。
あるのは、木々に囲まれた高台と、その中央に広がる土だけだ。
「本当に、ここで今からお作りになるのですか」
「そのために来た」
私はリーネをルヴェンへ預けた。
ルヴェンは高台の端にある木陰へ移動し、長い尾を外側から内側へ向かって巻いていく。
尾の下には薄い風が集まり、中央へ置かれたリーネの身体を柔らかく支えた。
さらにルヴェンが翼を一度動かすと、周囲を流れる風が土埃と落ち葉を外へ運んでいく。
リーネは尾の毛を握り、私が高台の中央へ進む様子を見ていた。
尾の下の風は揺らがず、リーネの身体も傾いていない。
「うむ。準備は良いようだ」
私は片膝をつき、土へ掌を触れた。
高台の下へ意識を沈める。
土の中には、落ちたまま芽吹く時を待っている幾つもの種があった。
その中から、深く根を張り、大きな幹を育てられる一つを選ぶ。
魔力を注ぐと、掌の下で小さな命が動いた。
土がわずかに盛り上がり、緑の芽が地表へ顔を出す。
芽は双葉を開くと同時に背を伸ばし、細い茎を若木へ変えた。
根は高台の深い土へ潜りながら枝分かれし、泉の流れと周囲の木々を避けて広がっていく。
地表では、若木の幹が私の腕ほどの太さになり、さらに人の胴ほどへ膨らんだ。
それでも成長は止まらず、幹は家を幾つも重ねられるほど太くなっていく。
幹が太くなるにつれ、地面は緩やかに押し広げられたが、周囲の木々が倒れることはない。
伸びた枝は、私が確認していた頭上の空間へ向かい、既存の枝を避けながら空へ広がっていく。
葉が次々と開き、午後の光を受けて揺れた。
ちらりと周囲に目を向けると、ギルベルトとイレナの姿は、成長する幹の向こうへ隠れていった。
三十人が腕を広げても囲みきれない太さになったところで、私は上へ伸ばしていた魔力を緩める。
高台の中央には、周囲の森を大きく見下ろす大樹が立っていた。
樹冠が風を受けるたび、木漏れ日が地面を流れていく。
イレナは幹の根元から枝の先までを見上げた。
「……この木を育てるために、土の深さと頭上の空間を確認なさっていたのですね」
「そうだ」
ギルベルトは大樹から目を離さない。
「これだけでも、すでに城壁の物見塔より大きいのでは……」
「まだ木を育てただけだ」
家にはなっていない。
私は幹へ近づき、両手を樹皮へ触れた。
魔力を流すと、硬い樹皮の内側で木の繊維がゆっくりと動き始める。
幹を傷つけて空洞を削るのではない。
木そのものへ、どこを壁として残し、どこを部屋として開けるのかを伝える。
根元に近い樹皮がせり出し、一段目の踏み板へ変わった。
その先にも木の段が生まれ、幹の外側を囲みながら上へ続いていく。
階段は大樹の周囲を何度も巡る螺旋を描き、外側には枝を組んだ手すりが伸びた。
手すりの向こうは壁で塞がず、昇るほど眼下へ広がる森と遠くの空が見える。
螺旋階段が周囲の木々の梢を越えたところで、幹の表面に広い踊り場を作る。
その正面で樹皮が左右へ分かれ、高層部の住居へ入る開口部が生まれた。
内部では木目が波のように動き、幹の中心を太い支柱として残しながら床と壁を形作っていく。
住居部分は上下三つの階層に分けた。
どの階も、人間の尺度で百平方メートルほどの一室を置き、その周囲へ通路を巡らせられる広さがある。
最下層には三人で過ごす広間を置く。
朝日が入る東側にはリーネの部屋を作り、そのすぐ近くへ私が休む場所をつなげた。
二層目にはルヴェンが翼を広げても壁へ触れない部屋を作る。
三層目にも同じほどの広さを確保し、枝の間から遠くを見渡せる窓を開いた。
外側の螺旋階段は、三つの階の踊り場を順につないでいる。
形が整ったところで、イレナが螺旋階段の一段目を見た。
「殿下」
「何だ」
「この階段を、リーネ様は上れません」
一段ごとの高さは、エルフが歩くには何の問題もない。
だが、人間の幼児の脚には高く、手すりを形作る枝の間隔も広かった。
「いずれ歩けるようになる」
「歩き始めたばかりの人間の子どもが、安全に上れる段差ではございません。それに、この隙間では身体が外へ出てしまいます」
私は木陰にいるリーネを見た。
リーネはルヴェンの尾の中心で上体を起こし、こちらへ手を伸ばしている。
今は自分で立つこともできない。
歩けるようになっても、この高さまで続く階段を一人で安全に昇り降りできるようになるまでには時間がかかる。
私は螺旋階段へ手を触れた。
高かった段差を低くし、踏み板を人間の子どもの足でも置きやすい幅まで広げる。
外側の手すりから細い枝を上下へ伸ばし、リーネの身体が通らない間隔で組み合わせた。
枝の間から森と空は見えるが、外へ落ちる隙間はない。
階段の始点と三つの踊り場には、大人だけが開閉できる門を作る。
住居の三つの階層は、どれも周囲の森の梢より高い。
最下層へ入るだけでも、根元から長い螺旋階段を上りきらなければならない。
大人でも、日々何度も往復するのは楽ではないだろう。
リーネが自分で安全に昇り降りできるようになるまでは、上二層へ続く門を閉じておけばよい。
住居の最下層も形を変えた。
壁から突き出ていた角は丸くなり、床と壁の境目も滑らかに変わる。
リーネの部屋から中央の部屋までは、扉を隔てず、短い通路でつないだ。
最下層だけで、リーネの寝起きと三人の日常が完結する。
「これならどうだ」
イレナは螺旋階段を上り、手すりの枝と踊り場の門を確かめた。
最下層へ入ると、中央の広間からリーネの部屋まで歩き、床と壁の境目にも触れる。
「先ほどより、はるかに安全かと存じます」
「他には」
イレナは高層部の窓と外側の階段を確かめたが、すぐには答えなかった。
「確認してもよろしいのですか」
「リーネに危険があるなら言え」
「では、窓の位置をもう少し低くし、外側へ落ちないよう枝を組んでいただければ、成長なさった後にリーネ様ご自身で森をご覧になれます。それと、入口の近くに濡れた衣類や靴を置ける場所が必要です」
人間の生活には、私が知らないことが多い。
だが、木の形なら後からでも変えられる。
私はイレナが挙げたとおり窓を下ろし、その外側へ細い枝を格子状に組んだ。
入口脇の壁もくぼませる。
ギルベルトは低くなった窓枠へ手を触れた。
「殿下は、完成した後も家の形を変えられるのですか」
「木が生きている限りは」
「……人間の建築とは、根本から違うのですね」
家の形が整ったことを確認し、私はリーネのもとへ戻った。
ルヴェンの尾の中から抱き上げ、そのまま大樹の外側を巡る螺旋階段へ向かう。
リーネは手すりの枝の向こうに広がる森を見ていたが、高層部の踊り場へ着くと、今度は頭上の葉へ顔を向けた。
最下層の内部へ入ると、壁を走る木目へ目を向ける。
中央の部屋には、枝葉を通った柔らかな光が差し込んでいる。
私が壁の近くまで連れていくと、リーネは手を伸ばし、生きた木の表面へ触れた。
指先で木目をなぞった後、こちらを見上げ、口を開けて笑った。
「ふむ。反応はわるくないな」
『リーネ様はご機嫌のご様子ですね』
そして次に私はリーネの部屋へ入った。
東側の窓から光が入り、壁際には木を丸く成長させて作った寝床がある。
私はその上へリーネを下ろした。
リーネは掌で寝床の表面を二度叩いた。
それから仰向けになり、手足を動かして、口を開けて笑った。
「気に入ったようだ」
ルヴェンが寝床の脇から顔を覗かせた。
『リーネ様、こちらの寝床も悪くはございませんぞ』
ルヴェンが床へ座り、長い尾を渦のように丸める。
尾先が木の寝床の縁まで伸びると、リーネは起き上がることなく、その毛を片手で握った。
もう一方の手では、木の寝床を再び叩いている。
「今は木の寝床を選んだようだな」
『まだ十分に比べておられぬだけでございます』
「寝床を競う必要があるのか」
『選ばれる側には、大切なことでございます』
ルヴェンの尾は、木の寝床の横で大きな半円を描いて広がっていた。
広い部屋には、まだ十分な余地が残っている。
木の寝床の隣へ、尾の寝床を並べることもできる。
だが、ルヴェンが毎回、平らな床の上で尾を巻くこともないだろう。
私が床へ手を向けると、木の寝床の隣がゆっくりと広がり、尾を丸く収められる浅い窪みへ変わった。
ルヴェンがそこへ移動して尾を巻き直すと、巻いた尾が窪みにちょうど収まった。
リーネは木の寝床に横になったまま、尾の毛を握り、布の鳥を胸へ寄せた。
これでよい。
部屋を出ると、ギルベルトは高層部の踊り場に立っていた。
外側を巡る螺旋階段の先に広がる森を見下ろし、それからさらに上へ重なる二つの階層を見上げる。
「これは……家というより、城に近いのではありませんか」
「三人で暮らすための、小さな家だ」
「……小さな家、ですか」
ギルベルトは、枝の先まで見上げるために数歩下がった。
そして私はリーネの部屋へ戻る。
生きた木に包まれた部屋の中で、リーネは木の寝床に横たわり、その縁へ伸びたルヴェンの尾先を握っている。
窓から入る光が、布の鳥と柔らかな毛を照らしていた。
仮住まいではない。
誰かに借りた部屋でもない。
リーネが眠り、成長し、自分の未来を選ぶための場所だ。
「ここが、私たちの家だ」
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