第20話 王女と大司教、北緑館へ到着する(前編)
洗礼を受けさせると決めてから一週間余り後、要塞都市ヴァルネの北門は朝から軍馬の足音に満ちていた。
門前では、前線へ向かう補給荷車が一台ずつ止められ、衛兵が積み荷と通行証を確かめている。
城壁の上にも見張りが立ち、大通りでは傷ついた装備品を運ぶ兵と、避難民へ配る毛布を積んだ荷車が行き交っていた。
ヴァルネ方面で大規模な戦闘は止まっている。
それでも隣国からの侵略は続き、領都は軍事指揮と補給、負傷兵の後送、避難民の受け入れを休めてはいなかった。
大通りの店はいつも通り開いていたが、軒先には前線へ送る乾燥肉や薬草の木箱が積まれている。
教会へ向かう道では、避難民への配給を待つ者たちの横を、包帯などを満載した荷車が通り過ぎた。
それから少しして王家の紋章を掲げた馬車が入城した。
馬車を囲む12名の王室近衛騎士に続き、24名の王国騎兵が蹄の音をそろえる。
普段から兵の多い街でも、王族を守る一団は人目を引いた。
衛兵が補給荷車の列を止めないよう道を半分だけ空けると、王女の一行も速度を上げずに門を抜けた。
戦時下の領都で、王族のために軍務を滞らせることはできない。
店先にいた男が、遠目でその光景を見て荷下ろしの手を休めた。
「あれは…貴族…それの結構上のほうか? 前線で何かあったのか」
応対していた店員は、馬車を同じように眺めた。
「あれは王族…それも第二王女殿下だろう。少し前に領都内でお触れがあった」
「だ、第二王女殿下…?! なんでまた」
「それだけじゃない。どうも大司教猊下まで来るらしい」
昼前には、聖灯教会の印を掲げた馬車も北門を通った。
白い外套を着た8名の神殿騎士が馬車を守り、その後ろには補佐司祭や侍祭が続いている。
王女の騎兵とは異なる装具をまとった一団が加わり、門前の空気はさらに物々しくなった。
「王女と大司教が同時に? 何の会議なのよ」
荷車の順番を待っていた女が、声を抑えて答えた。
「北緑館にいる、あの貴人が庇護している娘だそうだよ」
「娘?」
「人間の赤子だ。洗礼を受けるらしい」
「赤子一人の洗礼に、王女と大司教が来るの?」
王女と大司教が、赤子一人の洗礼のために来た。
その話は、たちまち大通りの人々の間に広まった。
◇
一方、領主館ではギルベルト・グレイフェルが、入城報告とは別の文書を開いていた。
「東方砦の敵影は後退したままです。ただし、夜間の斥候は確認されています」
ギルベルトは戦況図をみつつ、「むむむ」と呟く。
「小康状態だが、いつ均衡が崩れるかわからんな…。補給を速やかに整えた後、反転攻勢をかける準備は怠るな」
ギルベルトはまず、翌朝、東方砦へ向かう補給部隊の荷数を確認した。
不足する荷馬は、領内の別部隊から回す。
ただし、負傷兵を運ぶ馬車とその馬は、補給部隊へ回さない。
さらに、城門と街道の警備を今のまま維持するよう命じた。
軍務の手配にひとまず区切りをつけると、ギルベルトはそのまま王女と大司教を迎える準備へ移る。
王女一行には王族や国賓を迎えるための領都最高位の迎賓館を用意し、大司教一行にはヴァルネ教会の客舎を割り当て、それぞれの滞在先に合わせて警備配置を組み直した。
王女の護衛騎兵と市内守備隊が同じ道へ集中しないよう巡回路を分ける一方、ヴァルネ教会の周辺に置く地元兵は必要最小限にとどめる。
王女側の警備を滞らせず、教会側にも包囲と受け取らせないためだった。
しかしながら、隣国と王女と大司教を、同じ時期に相手にするとは思わなかった。
だが、どれも大事なことで、決しておろそかにはできない。
本来なら、領主であるギルベルトは、王女の入城後すぐに迎賓館へ挨拶に赴くべきだった。
だが戦時下では、前線への対応を優先しても非礼にはあたらない。
王女もその事情を承知しており、正式な挨拶は翌日、北緑館へ向かう前でよいと伝えていた。
「この緊迫した戦時下の中で、王女殿下の歓待を考えなくてもよくなったことは、こちらにはとって良かったこと、そう考えるべきか…」
そのようなことがありつつも、ようやく書類を一枚減らしたところへ、今度は王女と大司教から同じ要望が、ほぼ同時に届いた。
その要望とは、リュセル殿下への拝謁を一番最初に行いたい、と言うものであった。
「……なんと面倒な」
迷いに迷ったギルベルトはあえて自分では判断せず、北緑館へ判断を求めた。
ほどなく、北緑館から戻ったイレナが執務室へ入ってきた。
「リュセル様から返答を預かってまいりました」
ギルベルトは手元の書類を置く。
「どうだった」
「王女殿下と大司教猊下を同席させ、一度で話を済ませるとのことです。面会には、いくつか条件がございます」
「使者たちは、まだ控え室にいるな」
「はい」
「ならば、お前から伝えてくれ」
「承知しました」
イレナは執務室を出て、両使者が今も返答を待つ控え室へ向かう。
王女側と教会側の使者の前で足を止め、リュセルの言葉を告げた。
「リュセル様は、『同じ話のために来たのなら、一度で済ませろ』とのことです」
「「………」」
面会は翌日の午後、授乳を終え、リーネが昼寝から起きた後。
次の昼寝までに終え、王女と大司教は同席する。
そして随行者は館内へ入れないことを告げた。
「遅れた場合は、リーネ様の生活が優先されます」
「「………承知いたしました」」
二人からの了承は、ほぼ同時に届く。
結局、どちらも先にリュセルと話せないまま、翌日を迎えた。
そしてその日の午後、ギルベルトは王女と大司教を北緑館へ案内する。
北緑館の門外には、王室近衛4名だけが残る。
そこから少し離れた交差点や道には王国騎兵が分散し、さらに外側では地元兵が通行を整理していた。
神殿騎士は王女側の兵と持ち場が重ならない別の道に待機し、大司教に同行した教会関係者を守っている。
王国騎兵と神殿騎士は、離れた場所から相手の人数を数え、顔を合わせても挨拶ひとつ交わさない。
お互いが黙するも、一方でけん制し合うこの状況は、リーネの洗礼を巡って一歩も譲る気がないことを如実に示すものだった。
そしてどちらも事前の取り決め通り敷地内へは入らず、館の外でそれぞれの持ち場を守っていた。
◇
「王女一人の移動に、人間はこれほどの数を必要とするらしい」
『戦時下でございますからな』
「私がいる場所へ、敵が近づけるとは思えないが」
『それを人間側へご説明する方が難しいのでございましょう』
兵たちは人間の尺度で役目を果たしており、こちらがそれ以上、気にすることでもない。
授乳を済ませ、昼寝から起きたリーネは、仕立て屋で選んだ柔らかな上着を着ていた。
片手には青い胴と黄色い翼の布の鳥を握り、もう片方の手でイレナの指をつかんでいる。
シスターが来訪を告げても、イレナは指を引こうとしなかった。
その状況を目の前で見ていた私は、容赦ない一言を告げる。
「待たせておけ」
やがてリーネは自分から手を離し、布の鳥の翼を引っ張り始めた。
リーネが他のことに気を向けたことを確認した私は、ようやく王女、大司教、そして領主であるギルベルトを居間へ通した。
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