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琴音さんがお店に突撃してくるアクシデントはありつつも、それ以来これといった問題に見舞われることもなく、煌竜は至って平和だった。
常連さんに時にからかわれ、時にサポートしてもらいながら、時間はあっという間に過ぎ去っていく。
気がつけば、煌竜で働き出してからもう1ヶ月が経っていた。
*
「かんぱーい!」
店内に大声が響き渡る。席は全てが常連さん達で埋まり、その中央には菊子さんが座っていた。
今日は菊子さんの退院を祝して、煌竜で祝賀パーティーが開かれている。お店は貸し切りだ。個人営業は大変だけど、他店で予約をしなくても自由にお店を使えるのはメリットだよね。
とは言え、1日仕事を終えた後だったので、菊子さんも俺も皆クタクタで、竜さんも流石に料理を作るのは難しいとなり、出前を取り寄せることになったのだった。
テーブルに並ぶ様々な料理から寿司を何貫か取り、キッチンへと持っていく。
「竜さん、これ」
「……ありがとう」
竜さんは、せっかくの祝賀パーティーだというのに、キッチンに引きこもっていた。キッチンの隅に丸椅子を置き縮こまっている姿を見ていると何だか可哀想に思えてきて、俺が代わりに食べ物を取ってきてあげることにしたのだった。
最初は黙々と食事をしていた竜さんだが、しばらくすると慣れてきたのか、少しずつ喋るようになってくれた。
「ダースベ○ダーの君、今日は来なかったんだ」
「何ですか、その風流と殺伐の中間みたいなあだ名は」
「君の奥さんのことだよ。名前、忘れちゃったから」
本当にこの人、料理のこと以外は忘れっぽいよなあ。結局締め作業も全部俺がやってるし。
「琴音さんですよ、琴音さん。俺の奥さんに変なあだ名をつけないでください」
「ごめん……ところで、その琴音さんは来なかったの? ばあちゃん、君の奥さんのことも誘ってたよね」
「それが、原稿作業に追われてて、来れなくなっちゃったんですよ」
琴音さんはああ見えて、俺や漫画が絡むこと以外に関しては大抵常識人だ。原稿の締め切りを破ったことはないし、人付き合いも、むしろ俺よりも得意だと思う。
だから今日のパーティーだって本来なら来る予定だった。でも、どうしても原稿の仕上がりに納得がいかないようで、部屋に篭ってしまった。
お詫びに、と持たされた手土産は、既にその殆どが参加メンバーの胃の中に収まっている。
「でも、来なかった方が君にとっては都合がよかったかもね」
「え?」
「ここの常連、ばあちゃん以外はほとんど男の人だから。あれだけ美人な奥さんを持つ身としては、君も気が気じゃないんじゃない?」
図星を突かれ、飲み込みかけたご飯が喉に詰まりそうになる。急いで水を飲み、一息。
「そうなったら、俺が守るだけですよ」
竜さんは楽しそうに目を細めた。
「それは、僕が相手でも?」
この人は本当に、俺を揶揄うことに全力だ。
「たとえ竜さんが相手でも俺は負けませんよ。それに、琴音さんは俺のことが大好きなんです。竜さんになびくことはないと断言できますね」
「へぇ、言うじゃないか」
「それに、竜さんは琴音さんみたいなタイプはそんなに好きじゃないでしょ?」
「そんなふうに見える?」
「琴音さんに一目惚れする人って、目つきで分かるんですよ」
琴音さんの傍に何年もい続けるのは、簡単なことじゃない。美人な彼女や奥さんを持つ人なら、誰だって分かるはずだ。
たとえ本人にその気がなくたって、人を惹きつけてしまう人はいる。琴音さんはそのタイプだ。男だけでなく、女性さえも、彼女の魅力に呑まれずにはいられない。
だから、竜さんの反応を見たら、「この人は問題ない」とすぐに分かった。竜さんは度々琴音さんのことを「美人だ」と言うけど、そこに欲のようなものは感じられなかった。
「まあ、君の言う通りだね」
竜さんは肩を竦める。
「僕は落ち着いた人が好きなんだ。大和撫子のように、穏やかで、だけど凛とした人がいい」
ちょっと意外だ。偏見だけど、竜さんみたいな人は、もっと派手な人が好きだと思ってた。
「君の知り合いにそういう人がいたら、ぜひ紹介してほしい」
「そうしたいのは山々なんですけど、俺には琴音さん以外の知り合いがいないんですよねぇ」
竜さんは細長いため息を吐く。
「彼女、欲しいな」
あまりに切実なその呟きを揶揄う気にもなれず、俺は苦笑した。
結局のところ、何事もタイミングだと思う。
できない時はできないし、思いもよらないタイミングで、運命の人と出会うこともある。
逆に、それまで友達と認識していた人を異性として認識することもあるはずだ。
「君と琴音さんは、どういう成り行きで付き合うことになったの?」
ビールを飲み、据わった目をした竜さんに問いかけられる。
「昔からの知り合い? それとも、大人になってからの付き合い?」
恋人探しの参考にしたいから。そう言われ、俺は暫し考える。
まあ、竜さんになら本当のことを言ってもいいか。
「琴音さんとは、ネットで知り合ったんです」
「マッチングアプリってやつ?」
「いえ。元々共通の趣味があって、SNSで繋がってたんですよ。それで、せっかくだから会わないかって話になって」
「付き合うことになった?」
「まあ、付き合うまでにも紆余曲折ありましたけどね」
竜さんの目が爛々と輝き出す。面白いネタを見つけたって顔だ。
キッチンの向こう側では、常連さん達が盛り上がっている。明日は定休日だ。宴会はまだまだ続くだろう。
「へぇ。教えてよ、その紆余曲折を」
いつもの俺だったら、言うべきか迷っていたかもしれない。だけど、お酒を飲んで気が緩んでいた俺は、何となく、これまで誰にも言わなかった話をしてもいいという気持ちになった。
「そうですね。じゃあ、どこから話しましょうか」
酒でふやけた頭から、過去の記憶を取り出す。これまで全く振り返ることもなかったのに、案外すんなりと、当時のことを思い出すことができた。
「琴音さんはネット上では自分のことを男だと言っていて、俺にとって琴音さんは、当時の唯一の友達だったんです」




