5-3
ひとしきり俺に抱きついていた琴音さんは、スッキリとした顔つきになっていた。
「ほなウチ、原稿描いてくる! またな、はーくん!」
バタン、とドアが閉じた。どっと疲れが押し寄せ、テーブルに突っ伏す。
竜さんが出してくれたお冷を一気に飲み干し、濡れた口元を手で拭う。
「はあ……ご迷惑をおかけしました」
「いや、全然。熱愛シーンを見るのなんて初めてだったから、面白かったよ」
竜さんは口元を手で隠して笑う。
面白い、か。全く、この人もいい性格をしてるよ。
「君の奥さん、可愛い人だね」
「よく言われます」
竜さんに褒められると悪い気はしない。
「それから……うん、情熱的な人だ」
「愛が重すぎて、ちょっと疲れる時もありますけどね」
「でも、そういうところが好きなんだろ」
「え、えへ、えへへ……」
照れくさくなって愛想笑いを浮かべる。竜さんは舌打ちをした。
「やっぱり腹が立ってきたな」
「ちょっと。何ですか、その言い方は」
「羨ましいってことだよ。一昔前の言い方をするなら『リア充爆発しろ』ってやつかな」
それからしばらくの間、竜さんは黙って作業をしていた。俺は皿の上に残っていたおかずを全て食べ終え、厨房に向かった。
「竜さん、皿」
「そこに浸けておいて。後で洗うから」
「手伝いましょうか?」
「いいよ。自分の領域に手を付けられるの、あまり好きじゃないんだ」
犬を追い払うようなジェスチャーをされる。少し棘のある言い方だけど、翻訳するなら、「君は休憩してろ」ってことかな。
お言葉に甘えて退散しようとした。その背に声がかかる。
「大切にしなよ、奥さんのこと」
振り返る。竜さんはこっちには視線を向けず、淡々と作業をしている。
「あんな風に愛してくれる人に出会えるなんて、それこそ天文学的な確率だ。それを当たり前のことだなんて思わない方がいい。夫婦なら尚更ね」
……。
「分かってますよ」
俺はいつもより大きな声で言った。
琴音さんは少し感情表現がオーバーなところがあって、(自分でこれを言うのもなんだけど)俺のことが好きすぎる節はある。
でも、俺みたいな不甲斐ない男を好きになってくれるのはきっと、そういう人なんだ。
割れ鍋に綴じ蓋って言うと、ううん、ちょっと言い方がまずいか。
とにかく、琴音さんと俺はかなり相性がいいんだと思う。
そしてその相性っていうのは、理屈を超えた感覚の部分にあると思うんだ。
そういう意味で俺は、琴音さんのことを嫌いにならないという確信がある。
「俺が琴音さんを幸せにしてみせます。だから、竜さんは安心してください」
竜さんは手を動かすのをやめ、呆気に取られた表情になった。ぽかんと開かれた口が、やがて笑顔に変わっていく。
「なにそれ。僕は君の奥さんのお父さんじゃないよ」
店内に竜さんの笑い声が響き渡る。最初はからかわれている気がしてムカついたけど、段々と俺もおかしくなって、最後には一緒に笑った。
……ああ、平和だな。
こういう日が、ずっと続けばいいと思う。
*
数日後の夜、俺が煌竜から帰ってくると_____
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
俺の妻がメイド服姿で待ち構えていた。
膝上の丈のショートスカート。その代わりとばかりに、琴音さんの脚を覆っているのは、黒いニーハイソックス。そして、太物の部分に靴下を固定するためのベルトが付けられている。
そのモノクロなデザインは、琴音さんの腰まで伸びた金髪の輝きをより一層際立たせるようで_____
「か、かわいい」
素直に、ぽろっと、そう口にしていた。
「えへ、ありがとうございますやで♡」
敬語の使い方がおかしい気がしなくもないけど、とにかく可愛い。
琴音さんが俺の手から鞄を取り、そそくさと廊下を歩いていく。
「ご主人様、早く早く!」
「琴音さん! 俺の荷物をどこに持っていくんですか!」
「ふふ、とってもいいところ♡」
琴音さんはスキップでもしそうな軽やかさで廊下を抜け、俺達夫婦の寝室へと入っていった。俺も続けて部屋に入る。
あれ、おかしいな。部屋の中が真っ暗だ。
「琴音さん、どこにいるんですか_____うわぁ!」
突然背中を押され、地面に倒れ込む。
「引っかかったな、はーくん」
何……!? ドアの裏に隠れていただと!?
琴音さんはドアを閉じると、後ろ手に鍵を閉めた。
「ちょっと琴音さん。俺、帰ったばかりなんですけど」
「うん。知っとるで」
「知ってるなら、汗も掻いてるし、先に風呂にいかせてほしいなあ……なんて」
俺がそう言ってる間にも、琴音さんは俺の服のボタンに手をかけ、ひとつひとつ外していく。
「どうせ後でまた浴びることになるんやから、1回で済ませた方がお得やと思わへん?」
「……いえ、まったく」
「もう、はーくんったら、素直やないんやから。そういうところもウチ好みなんやけどな」
ところで、と。琴音さんは俺の体を片手で器用に押さえつけながら、もう片方の手で何かを手繰り寄せる。
「ジャーン、これなあんだ♡」
電気のつかない暗い部屋の中、段々と俺の目は暗闇に馴染んでいく。琴音さんの手にあるものに気がついた時、俺は猛烈に逃げ出したくなった。
「……俺の見間違いじゃなければ、メイド服、ですね」
「うん。ちなみにこれは、はーくんの分やで」
「う、嘘ですよね?」
「嘘やない。ウチはいつだって本気や」
じゅるり、とよだれを啜るような音がした。
ヒイッ、変態!!
「お、俺、女装は別に趣味じゃないって言いましたよね!」
「言っとったなあ。でもな、ウチ、うっかり注文した商品をキャンセルするのを忘れとってん。せやから、どうせならはーくんとお揃いのメイド服も買ったんや」
ウッカリ!? 本当にウッカリなんですよね!?
暗闇の中でも分かるほど、琴音さんは綺麗な笑みを浮かべる。
「初めてのペアルックやな、はーくん♡」
「_____イ、イヤーーーー!!!!!!」
琴音さんのことは好きだけど、好きだけど!!
正直、この人の趣味にはついていけない……。




