5-1
午前11時。店を開けるのは俺の仕事だ。メイド服姿で外に出て、「営業中」の立て看板を出す。この姿にもすっかり慣れた……とは流石に言えないけど、俺よりも先に、普段この辺りを通りかかる人の方が慣れてしまったみたいで、近所に住むおばあちゃんなんかは「今日も頑張ってね」と声をかけてくれる。
その何とも言えない優しさに「ありがとうございます」と返すのもまた、俺の仕事だ。
「よお、ハオちゃん、今日も来たぜ」
開店して早速来てくれたのは、常連のおじいちゃん二人組だ。俺はこの二人を頭の中でこっそりと「エビチリさん」「炒飯さん」と呼んでいる。いつも注文するものが決まっているからだ。
ちなみにこの二人は、雀荘で何試合か打ってからこの店に来ているらしい。なんというか……平和で羨ましいね。
「ハオちゃん、今日は随分と雰囲気が違うじゃねえか」
エビチリさんが笑いながら言ってくるので、俺も苦笑で返す。
「分かります? 菊子さんから頂いたんですよ」
今日の俺は一味違う。というのも、化粧をしているから。
昨日菊子さんのお見舞いに行った時、「ちょうど渡そうと思ってたのよ」と貰ってしまい、やらないのも申し訳ないので、菊子さんに教えてもらって、試しにメイクをしてみることにしたんだ。
ちょっと不安だったけど、違和感はないみたいだ。
男だとバレてないならよかった、けど……やっぱり複雑な気分。
ちなみに竜さんの反応はと言うと、横目で俺をチラッと見て、無言で肩を震わせて笑っていた。この野郎。
炒飯さんがスマホのレンズをこっちに向けてくる。
「ほら、笑って。ピースピース」
ああ、もうどうにでもなれ。
竜さんの賄い付きとあれば、お釣りが返ってくるくらいだ。そう思わないとやってられない。
俺は言われた通りにポーズを取り、愛想を振り撒く。何枚か写真を撮られたところで_____
……?
ふと、視線を感じて背後を振り返る。店の前に人影があった。黒い人影は店の前で立ったまま、入ってくる様子がない。
荷物で手が塞がっていてドアを開けられないのかもしれない。俺が開けてあげないと。
入り口に駆け寄り、「いらっしゃいませ」と声を掛けようとして_____ギョッとした。
客らしきその人は異様な格好をしていた。
真っ暗なコートを羽織り、頭をコートのフードで覆い、黒いマスクと黒いサングラスを着けている。
な、なんだこの人! 怪しい。怪しすぎる!
仮に不審者じゃないとしたら、熱中症RTAをやってるとしか思えないよ。
何をしようとその人の自由ではあるけど、命に関わることは、あまりしないほうがいいんじゃないかなぁ。
「……」
俺とその人は無言で見つめ合った。その人は全く喋らず、かと言って立ち去る気配もない。
「……え、えっと。お客さんでしょうか」
俺が尋ねた途端、ブンブンと頭を大きく振って頷く不審者(仮)。
なんてことだ。客であることが確定してしまった。
「そ、そうですか。ではお席にご案内しますね」
一人だけどまだ客はいないし、テーブル席でいいか。とりあえず、一番奥に連れていこう。
俺はその人を座席に座らせ、おしぼりとお冷やを置く。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
踵を返したところで、ガッと手首を掴まれた。
ヒィッ、怖い!
「……」
そして、一向に何も喋ろうとしない。
……シャイな人なのかな。
「ご注文がお決まりですか?」
その人は頷くと、メニュー表の「とんこつラーメン」を指差した。
「以上でよろしいですか?」
頷かれる。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
俺は頭を下げ、厨房に向かった。
「ね、ねぇ、竜さん。さっきの人、見ました? あの人、この店の常連さんですか?」
「いや。僕はあんなダース○イダーみたいな人、見たことないよ」
はあ、よかったぁ……。常連だとしたら、流石に怖すぎるよ、この店。
「でも、対応には気をつけなよ。もしかしたらただならぬ人物かもしれないよ」
「ただならぬって?」
竜さんは神妙な顔つきになる。
「覆面調査、とか」
「覆面にも程があるでしょ! あそこまであからさま過ぎたら、かえって怪しいよ!」
「大丈夫。怪しさで言ったら君とトントンだよ」
「何も大丈夫じゃないですよ!」
というか、やっぱり怪しいんだ俺!
褒められても嬉しくないけど! ないけど!
「ほら。僕と喋ってないで客の対応をしてきな」
竜さんが店の入り口を指す。気がつくと、お客さんが入り口に立っていた。
竜さんはニヤッと笑う。
「頑張れ、新人メイドさん」
この人、自分はメイド服を着なくていいからって調子に乗ってるな。
決めた。いつか、竜さんに何がなんでもメイド服を着せてみせる。俺と同じ屈辱を味わわせてやる。
「……覚えててくださいよ」
俺は慌ててホールへと戻り、客の案内をした。
そこからはいつも通りの流れだ。注文を受け、客の対応をする。常連さんと喋りつつ例の不審な人を様子見しているけど、これと言って変わったことは起きていない。
俯いて食事をしているから、顔が見えないのは気になるけど……。
そもそも、男なのか女なのかさえ分からない。男にしては小柄だけど、女にしては背が高いって感じだ。
その人は食事を終えるといそいそとマスクを付け、スマホを弄り始めた。
時間的に、満席になってもおかしくない。長居はせずに帰ってもらった方がありがたいけど、直接そう言うのはなあ。どうしたものか……。
いや、ここはきっぱりと言わないと。
1回遠慮してしまったら、この先他の客にも同じ対応をしなくちゃいけなくなる。
俺は、つかつかと黒い不審者(仮)に近いた。
「すみません、お客様_____」
声を掛けようとして、不意に、うなじの辺りにピリピリと電流が走る。俺は咄嗟に一歩後ずさった。
その人は顔を上げる。黒々としたサングラスに覆われ、目元から表情を知ることはできない。
ま、まさか。この嫌な予感。並々ならぬハプニングに巻き込まれる予感。俺をこのような気持ちにさせる人は、今のところ世界に一人しかいない。
「……琴音さん?」
目の前の人物が、サングラスとマスクを外す。
そこにいたのは、まごうことなき、俺の愛すべき妻だ。




