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「時雨覇王」
と、俺の名前を読み上げるのは、スーツ姿の男。「榊原」と名乗ったその人は、履歴書と俺の顔を交互に見る。
意味ありげに。
……デジャヴではないんだよねえ。
片手では足りないくらいの回数、俺はこのやり取りを行なっている。
全てはこの、「覇王」という自分には不釣り合いな名前のせいだ。
「何か言いたいことでもあるのでしょうか」と喉元まで出かかったのを飲み込み、俺は引き攣った笑みを浮かべる。
面接官は掛けていた眼鏡を指で押し上げる動作をした後、再び履歴書に目を通した。彼の下瞼には濃い隈が浮かんでいる。
「かつて天下を取ったことは」
「ないです」
「全身に刺青が入ってたりとか」
「しないですって」
「これから我が社でクーデターを起こす予定は」
「ありませんよ!」
俺の名前にイメージが引っ張られ過ぎでしょ!
というか、覇王ってそんなのだっけ?
「……そうですか。ないんですか」
面接官は残念そうな顔をした。
俺は、ちょっぴり申し訳ない気持ちになった。
でも、仮に俺がそんなヤバい奴だとしたら、絶対採用しない方がいいと思いますよ。
*
面接を終えた時、時刻は11時を回っていた。
昼食にはちょうどいい時間だ。
さーて、どこで食べようかな。
なんて。本当は行きたい場所は決まってたりして。
実は、あの雨の日に立ち寄った中華料理屋は、ここからさほど遠くないところにあるんだ。
今朝そのことに気がついた時にはもう、俺の舌は中華の気分になっていた。脳内でメニューを反芻しながら、今日は何を食べようかなー、とか考えていたんだ。
だけど……店にたどり着いた俺を待ち構えていたのは、メイド姿のおばあさんでも、ダクトから漂う食欲誘う香りでもなかった。
「臨時休業」の紙が貼られた立て看板だ。
休み、だと……。
この熱い中を汗だくになりながら歩いてきたのに、休みだと!
予想外の出来事は、突然見知らぬ人から通りがかりにビンタをされたような衝撃を俺にもたらした。
……そうか、休みなのかあ。残念だな。でも開いてないんだから、どうしようもない。
分かってるよ。分かってるけど。でも、地図アプリには「営業中」と書かれていた分、期待を裏切られた感じがしてちょっと悲しい。
それにしても臨時休業だなんて、どうしたんだろう。店員が風邪を引いたとか、身内の用で急遽出かけなくちゃいけなくなったとか、そんなとこだろうか。
……はあ。今日はまた以前頼んだのとは違うメニューに挑戦してみるつもりだったんだけどな。
仕方ないから帰りにスーパーに寄って冷凍の餃子を買っていこう。いつもは琴音さんに合わせて和食を作っているけど、1日くらいは違うものを作っても構わないはずだ。
うん、そうしよう。
誰に見せるでもなく大きく頷き、店に背を向けた。その時だった。
「ひえっ」
突然、冷たいものが俺の首に触れた。
な、なんだ!? また雨か!?……いや、めちゃくちゃ晴れてる。狐の嫁入りって感じでもない。
咄嗟に首筋を手で覆う。すると、今度は手の甲の部分に冷たいものがピタッと触れた。
この痛いほどに冷たくて、硬い感触は。
振り返る。薄いピンク色の髪をした男が、保冷剤を握りしめて立っていた。
この人は……。
「竜、さん」
確かそんな名前だったはず。
この人と直接会話をしたことはないけど、厨房の奥でフライパンを振っていた姿を覚えている。人違いということはないよな。
それにしても、遠くで見た時は気が付かなかったけど、背が高い人だなあ。
いや、俺が背が低いってわけじゃないんだけどね。平均身長くらいはあるし。ただ、竜さんは俺よりも更に背が高い。
だからかは分からないけど、無表情で俺を見下ろすその姿には妙な威圧感がある。
「にわか雨の君」
「は、はい?」
なんだ、そのやけに気障で風流な呼び名は。
「君、この前ばあちゃんが無理矢理連れてきた人だろ。僕の店に何か用?」
「ばあちゃん」っていうのは、菊子さんのことだよな、たぶん。
「ご飯食べにきたんですけど、お店が開いてないみたいだったから、どうしたんだろうって思って」
「……チッ」
ひえっ。今この人舌打ちしたぞ。
ちゃんと答えたのに、何が不満だったんだ。
「ばあちゃん、怪我した」
……怪我?
「階段で脚を滑らせて、全治1ヶ月。今入院してる」
「入院って……大丈夫なんですか?」
竜さんはまた舌打ちをする。
「大丈夫じゃないから臨時休業してるんだよ。見て分からないかな」
怖い。この人、とてつもなく怖い……。サボテンみたいだ。
で、でも、俺は知ってるんだ。美味い飯を作る人に悪人はいないはずだと。
「そ、そうですよね。余計なこと聞いてしまって、すみません……」
俺が頭を下げると、竜さんは今度は深いため息を吐き、腕を組んだ。
「時間ある?」
「時間、ですか」
何と答えるべきか迷っていると、
「飯、食べにきたんだろ。炒飯でよければ奢るよ。僕もちょうど食べようと思ってたところだし」
竜さんは俺の手に保冷剤を握らせると、返事を待たずに店の中へ戻っていった。
*
……めちゃくちゃ気まずい。
どういう状況なんだこれ。何で俺、竜さんとご飯食べることになったんだろう。
いや、本当は帰りたかったんだけどさ。保冷剤を持って帰って泥棒扱いされても困るし、この竜って人はなんだか怒らせたら怖そうだし、仕方なかったんだよ。
別に、炒飯に釣られたわけじゃないから、そこは勘違いしないでほしい。……って俺は誰に言い訳してるんだろうな。
「待たせたね」
竜さんは二人分の炒飯を持って、厨房から戻ってきた。ほかほかと湯気を立てるそれを見て、思わず唾を飲み込む。
竜さんは俺の向かいに座り、黙々と食事をし始めた。俺は早速炒飯を食べる。
……美味い! 米のパラパラ感が何と言ってもいいし、味付けもたまらない。卵の甘さと胡椒の塩辛さが絶妙だ。
お腹が空いていたこともあり、俺はあっという間に食べ終えてしまった。
はあ、満足満足。でも、一人でこれを食べてしまったことが、もったいない。今度時間がある時は琴音さんと一緒に来たいなあ。和食派の琴音さんでも、きっと気に入ってくれるはずだ。
手を合わせ、頭を下げる。煌竜に出会わせてくれた神に感謝。
「ごちそうさまでした! めっちゃ美味しかったです、ありがとうございます!」
竜さんは無言で頷いた。相変わらず素っ気ない態度だけど、腹が満たされたおかげか、竜さんに対する恐怖は多少薄れていた。
やっぱり、料理が上手い人に悪い人はいないんだ。さっきは虫の居所が悪かったに違いない。菊子さんが入院をしているのだから、不安になるのも仕方ないことだ。
「でも、奢っていただいて本当によかったんですか? 一度ならず、二度までも……」
琴音さんのお金を使うことに罪悪感がある俺としてはもちろん嬉しいことなのだけど、これはこれで竜さん達に申し訳ない。
「別にタダとは言ってない」
「え?」
「金は支払わなくていい。その代わりに頼みがある」
頼み? 俺に?
「僕の飯を食べたんだから、もちろん聞いてくれるよね」
「えっと……内容にもよりますけど」
竜さんがずいっと顔を近づけてくる。
近い、近いよ。
「君の知り合いに、仕事を探している人はいないか。できるだけ若くて体力がある人がいい」
思ってもみない提案だった。
だけど、状況が状況だけに、最悪の事態が脳裏をよぎる。
「……菊子さんの容態、あまりよくないんですか?」
俺が声を潜めて尋ねると、竜さんは目を伏せた。
「最悪というほどではない。でも、ばあちゃんは一人で働くことに限界を感じてるみたいだ」
常連さんと会話をしながら店の中を動き回る菊子さんは、背筋もピシッと伸びていて、見た目の数倍若々しく見えた。だけど、今回の怪我を切っ掛けに仕事をセーブしたいと思うのは、確かにおかしくはない。
「親戚に手伝ってもらうことはできないんですか?」
「僕の家族はばあちゃんだけだ」
「じゃあ、常連さんに手伝ってもらうことは? 菊子さんの頼みとあれば、皆さん快く手伝ってくれるんじゃないですか?」
竜さんは再び、ずいずいっと顔を近づけてくる。
「この僕が、ばあちゃんの知り合いと問題なく仕事ができると思う?」
知りませんよ。知らないけど、そんなに自分のことを卑下しなくても……。
「それにこの店の常連は、ばあちゃんと同年代だ。手伝ってもらったとしても、ばあちゃんみたいに怪我をさせてしまっても困る」
「それは、確かにそうかもしれないですね」
「だから君の知り合いを紹介してほしいんだ。もちろん給料は出すし、待遇もできるだけよくすると約束する」
竜さんは本気みたいだ。何としてもこの店を続けたいという熱意が伝わってくる。
でも、申し訳ないことに、竜さんの頼みは聞けない。何故なら俺には琴音さん以外の知り合いはいないからだ。
「……ちなみに、その待遇というのは?」
「交通費は出す。あと、残業代っていうのも出す」
うん。大切だね。特に残業代は法律で決まってますからね。
「なるほど。それから?」
「制服は支給する。クリーニング代も店から出させてもらう」
ほう……。クリーニング代も馬鹿にならないですからね。
……いや、駄目だ。一時のノリに流されちゃいけない。
家には琴音さんが待ってるんだ。
俺は彼女のために安定した仕事を得ると決めた。いつまで続くか分からない個人経営のお店で働くのはリスクがある。
「賄いは僕が作る」
「ここで働かせてください」
ノックアウトだった。俺はこの店に完全に胃袋を掴まれていた。むしろ俺の方から頭を下げていた。
「……は?」
流石の竜さんも困惑している。
「実は俺、就活中で、今日もここに来る前に面接を受けてきたところなんです。やろうと思えば、今すぐにでも働けますよ」
だからスーツを着ているんだ。そう付け加えると、
「完全にサラリーマンだと思ってた」
と竜さんが呟いた。
ふふん。スーツを着る機会はそんなにないが、俺はそれなりに似合っているらしい。
琴音さんにも言われたもんね。「スーツ姿の旦那さんをお出迎えするのって、夫婦みたいでええな」って。
「……接客経験は?」
竜さんはキラッと目を光らせる。ここ最近の就活で何度も経験した、人の能力をジャッジする鋭い視線だ。
「レストランでウェイトレスとして働いてたことがあります」
「うちの店は結構忙しいよ。覚えてもらうことも多いかもしれない」
「それも任せてください」
俺は自分を親指で指差す。
「俺、記憶力には結構自信あるんです。このお店のメニューも、既に頭に入ってますよ」
「……は?」
二度目の「は?」だった。
「君、この店に来たのはまだ2回目だよね」
「はい」
「それなのに、何でメニュー覚えてるの?」
「それはもちろん、竜さんの作るご飯が美味しかったからです!」
「……答えになっていないような気がするけど」
竜さんは呆れたように言う。
そんな、「何を言っているんだこいつは」みたいな顔をしないでほしい。
覚えてるのは事実なんだ。この前ご飯を食べた時、「次来た時は何を食べようかな」と考えながらメニューを見ていたら、気がつけば覚えてしまっていた。
まあ、チェーン店ほどメニューも多くなかったおかげでできたことだ。そんなに驚かれるほどのことじゃない。でも、面接っていいのはできるだけ自分を大きく見せるのがコツって聞くじゃない? だったら、ちょっとばかり自信満々に答えてみても許されるはずだよね。
「今ここで、全メニュー暗唱してみせましょうか?」
「それはすごく面白そうだけど、今はやめておくよ。君が覚えてるかどうかを知る機会はまだあるからね」
機会はまだある。ということは……。
竜さんは唇の片端を釣り上げて笑った。
「採用だ。気に入ったよ、にわか雨の君。見た目の割に面白い人みたいだね」
……やった! やったよ琴音さん!
長い道のりだったけど、俺、ついに採用されたよ。
やったあ!
って、見た目の割に、は余計ですよ。
「僕は天ヶ瀬竜聖。よろしく」
竜さんは手を差し出してくる。
流れとしては、俺も名前を言うべきなんだろうけど、ちょっとなあ……。
「どうしたの?」
竜さんが首を傾げる。
「あ、いや、その……俺、ちょっと名前が独特ですから」
「独特? キラキラネームってやつ?」
「そんな感じです」
「……ふーん、そう。で、君の名前は?」
心底「どうでもいい」という反応だった。あまりにも淡白だったので、俺はかえって気が抜けた。
そういえば、琴音さんに初めて俺の名前を打ち明けた時も、こんな反応だったな。あの人は、外見や名前なんかで俺を判断する人じゃなかった。だからこそ俺は琴音さんのことを好きになったんだ。
そして今も、俺は竜さんのことを「信頼したい」と思っている。
「俺は……時雨覇王です」
差し出された手を取る。竜さんは俺の手を強く握り返し、
「なら、君のあだ名は『ハオ』だね」
と無表情で言った。
「ハオ?」
「中国語で『優れている』といった意味を持つ言葉だよ。響きも似てるし、この店にピッタリだと思うけど、どう?」
そうか。そういう考え方もあるのか。
自分の名前を好きになれないなら、新しく名前をつければいいんだ。自分で名前を付けられないなら、他人に付けてもらったっていい。
「……確かに、ピッタリですね」
そうやって少しずつ増えていく名前が、俺の居場所を形作っていく。
煌竜とは長い付き合いになるのかも。
俺はそう思った。
*
「明後日から店は再開だ。開店は11時からだけど、教えたいことがあるから9時までにはここに来てほしい」
「はい。よろしくお願いします」
菊子さんが用意してくれたという、契約書などの書類を受け取り、俺は店を後にしようとした。
「あ、そうだ」
その背中に、竜さんが声をかける。
「ちょっと待って」
竜さんは一度店の中に入り、数分後に俺のところに帰ってきた。
「これ」
竜さんの手には謎の黒い布が握られている。
「これ、制服。ばあちゃんのじゃ入らないだろ。僕のを貸してやる」
布を押し付けられる。広げてみると、それはメイド服だった。
……え?
「多分サイズは問題ないと思う。試しに着てみて、問題があれば連絡してほしい」
「え。いや、ちょっと待ってください」
「あ、それともうひとつ。お客さんには君が男だとバレないようにね」
「ちょ、ちょっと!」
「僕、ばあちゃんにこのことを知らせてこなきゃだから。それじゃ」
竜さんは顔の横で手を上げると、自転車に乗って立ち去ってしまった。
メイド服を握りしめた俺が取り残される。
「……ええ!?」




