第4話 自由は軽かった
自由と呼ぶには、少し手遅れだった。
次に目を覚ましたとき、俺は別の部屋にいた。
狭く、白い。ただ、さっきの“白”とは違う。壁には番号が振られていた。扉の上には小さな監視レンズが埋め込まれ、こちらのまばたきまで拾っているように、赤い点が淡く灯っている。
寝台は硬く、枕も薄い。病室というより、処理待ちの荷物を置いておく箱に近かった。
腕には、見覚えのない端末が巻かれていた。外そうと指をかけた瞬間、短い警告音が鳴る。
【個人端末:強制認証済】
【戦士登録:完了】
【一時拘束:解除】
【問題行動記録:確認中】
……解除、ね。
自由になったというより、処理がひとつ終わっただけに見えた。
端末の画面を指で送る。表示は勝手に切り替わり、登録内容と注意事項が並んでいく。
現在、人類はエイリアンとの戦争状態にあること。この都市は、その前線拠点の一つであること。適性検査で一定以上の数値が出た者は、戦士登録が義務付けられること。
拒否した場合は、拘束、処罰、あるいは都市外退去。
都市外退去。その四文字だけ、やけに軽かった。でも意味は分かる。街の外へ放り出されるということだ。エイリアンがいる世界で、身分も補給も医療もないまま、壁の外へ出される。
言い方を変えただけの死刑に近い。
代わりに、戦士には特権が与えられるらしい。
税の免除。居住区の優先割当。医療と補給の保証。ギルド経由での依頼受注権。
“特権”という文字だけがまともで、それ以外の全部を誤魔化している気がした。生き残るための最低限を、人参みたいに吊るしているだけだ。
さらに画面が下へ流れる。
【戦士支度金:100,000ガン】
【鎮静処置費:2,500ガン】
【一時拘束管理費:8,000ガン】
【問題行動罰金:15,000ガン】
【残額:74,500ガン】
目覚めただけで、もう減っていた。
「……寝起きから赤字かよ」
声が部屋の壁に当たって、すぐ落ちた。
戦士登録は完了。一時拘束は解除。問題行動記録は確認中。支度金は支給済み。ただし、処置費と罰金は差し引き済み。
俺が何かを選ぶ前に、すでに数字だけが進んでいる。
扉のロックが外れた。
入ってきた職員は、こちらの顔をろくに見なかった。端末を確認し、必要事項だけを読み上げる。
「リゼルさん。拘束措置は解除されました。以後の行動は自由です。ただし、戦士登録者としての活動はギルドを通してください」
「自由、ですか」
「はい。規定範囲内で」
規定範囲内。そこが一番大事だろ。
「初心者講習は?」
「受講可能です。ただし、問題行動記録の確認中は、部隊参加申請に制限がかかる場合があります」
「依頼は?」
「個人依頼は受注可能です。ただし、講習未受講者には制限があります」
「つまり?」
職員は、初めて少しだけ俺を見た。
「まず、ギルドで確認してください」
それだけだった。
廊下に出ると、人の声が増えた。金属の床を踏む靴音、どこかで開閉する扉、壁面案内の電子音。白い通路の先には、広いホールがある。
ギルド。そう呼ぶには、あまりにも無機質だった。
木のカウンターもない。酒場もない。依頼書が貼られた掲示板もない。あるのは、壁一面の大型表示端末と、受付カウンターと、武装した人間たちの列だった。
装甲服を着た者、軽い外骨格を背負った者、弾薬ケースを運ぶ者。誰も剣を腰に差していない。
俺のスローライフ予定表は、もう原形を残していなかった。
依頼掲示板の前で立ち止まる。画面には、依頼が並んでいた。
外縁部巡回。補給線護衛。低危険区域の残骸回収。訓練場補助。弾薬搬送。前線支援。
思ったより多い。けれど、受注ボタンの横には灰色の文字が並んでいる。
【初心者講習:未受講】
【単独受注:制限あり】
【部隊参加:要確認】
【問題行動記録:確認中】
自由。その言葉が、画面の灰色に潰れていく。
「……君、登録だけ?」
背後から声がかかった。
振り返ると、二人組が立っていた。
一人は、年が近そうな男だった。髪をきっちり整え、軽装甲の留め具まで新品に見える。肩には小型の照準補助装置。腰の弾倉ケースも揃っている。金がかかっているのが、見ただけで分かった。
もう一人は少し背が高い。口数は少なそうだが、目だけがこちらの腕輪端末を見ていた。端末の表示、装備の薄さ、立ち位置。見る順番が慣れている。
「いや、登録だけじゃないか。拘束区画から出てきた顔してる」
最初の男が、口の端を上げた。
「初日からすごいね。普通、戦士登録って、もうちょっと地味に始まるものだけど」
言い返す前に、背の高い方が俺の端末へ視線を落とす。
「問題行動記録、確認中か」
「見えるのかよ」
「見えない。でも分かる。講習未受講なのに、部隊参加が灰色になっている。初日拘束の新兵は、だいたいそうなる」
淡々としていた。だから余計に刺さる。
「いやぁ、きついね」
軽装甲の男が、わざとらしく肩をすくめた。
「講習前に札つくのは、さすがにセンスある。逆方向に」
「札?」
「部隊側が嫌がる記録のこと」
背の高い方が答えた。
「前線では、動けない奴より、何をするか分からない奴の方が危ない。命令を聞かない。勝手に叫ぶ。勝手に動く。そういう新人は、自分だけじゃなく周囲も巻き込む」
正しい。腹は立つが、間違っていない。
俺は、実際に叫んだ。実際に拘束された。実際に講習も受けていない。端末の灰色表示が、横からもう一度刺してくる。
「それで、君は何希望?」
軽装甲の男が、にやけた顔で聞いてきた。
「前線? 支援? 補給? あ、違うか。商人志望の戦士様だっけ?」
こいつ、どこまで聞いている。
「記録、回るの早いな」
「ギルドは早いよ。変な新人の情報は特にね。部隊長だって、弾より先に危険人物を避けたいから」
笑い声は小さい。だが、周囲の何人かがこちらを見た。
熱が顔に上がる。握った拳に力が入る。でも、殴るわけにはいかない。殴れば、問題行動記録が増えるだけだ。
「初心者講習は受けた方がいい」
背の高い方が言った。
「戦線図、補給線、基礎動作、撤退信号。知らないまま前に出ると死ぬ。運が悪いと、味方も死ぬ」
「親切だな」
「親切じゃない。巻き込まれたくないだけだ」
それも正しい。正しいのに、胸の奥がざらつく。
「まあ、講習受けても、部隊に入れるかは別だけどね」
軽装甲の男が、さらに続けた。
「初日拘束。講習未受講。支度金は罰金で目減り。装備なし。記録あり。いやぁ、すごい。詰み要素が綺麗に並んでる」
「やめろ」
背の高い方が止める。けれど、止めるのが少し遅い。
「でも事実だろ?」
軽装甲の男は、俺を見たまま笑った。
「俺なら部隊に入れない。弾薬箱も預けない。後ろで荷物持ちでもしててくれって思うね」
その言葉で、周囲の空気がほんの少し動いた。
荷物持ち。俺が選んだアイテムボックスが、胸の奥で嫌な音を立てる。
知らない世界で荷物を運ぶために選んだ力。商人として稼ぐために選んだ力。危ない場所から逃げるために選んだ力。
それを、こいつは笑った。
でも、今の俺には返せるものがない。装備もない。講習も受けていない。実績もない。あるのは、問題行動記録と、七万四千五百ガンだけだ。
「行こうぜ」
軽装甲の男が、背の高い方へ顎をしゃくる。
「講習の時間だ。遅れると教官がうるさい」
背の高い方は、最後に一度だけ俺を見た。
「本当に前線へ出るなら、講習は受けろ。笑い話で済むのは、ここまでだ」
それだけ言って、二人は講習区画の表示が浮かぶ通路へ歩いていった。
軽装甲の男の声だけが、少し遅れて届く。
「商人志望の戦士様が来たら、弾の撃ち方くらい教えてやるよ」
腹の奥が熱くなった。言い返したかった。今すぐ、その背中に何かを投げつけたかった。
でも、端末の灰色表示が目に入る。
【問題行動記録:確認中】
ここで動けば、負けだ。
俺は歯を噛み、掲示板へ視線を戻した。
依頼一覧は、まだそこにある。だが、受けられるものはほとんどない。講習を受けていない。部隊参加も怪しい。記録は確認中。支度金はすでに削られている。
自由になったはずなのに、選べる道は細い。
選べる道が細いなら、その細さを確認するしかない。
俺は一度だけ息を吐き、受付カウンターの方を見た。
まずは、何ができないのかを確認するところからだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
自由になったはずなのに、選べる道はほとんど残っていませんでした。
少しでも「この世界でどう足場を作るのか気になる」「リゼルがここからどう巻き返すのか見たい」と思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。
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