第3話 こんな世界だと知ってたら
未来は、剣も魔法も連れてこなかった。
天井は白かった。
見覚えがあるほど、無機質な白だった。鼻の奥に消毒薬の匂いが刺さり、どこかで短い電子音が鳴っている。
目覚めた瞬間、森の匂いも、土の匂いも、川の音もなかった。代わりにあったのは、薬品と金属と、体の内側まで覗かれているような冷たい空気だった。
「リゼルさん……やっと起きましたか」
視界に入ったのは、白衣を着た、頭の薄い男だった。眉の形。無表情な目。やけに抑揚のない声。
宿屋の女将でも、村の神官でも、森で俺を拾った美少女でもない。白衣。完全に白衣。この時点で、俺のスローライフ予定表に最初の亀裂が入った。
「初期投与は問題なし。ナノマシンの定着も良好だ」
腕に、鈍い痛みが走る。太い注射針が、抜かれた。
壁に映像が浮かぶ。人体図の中を、細い光が巡っている。骨格、血管、神経。見たくもない内部情報が、やけに滑らかに表示されていた。
「適性判定、完了。高適性。戦士登録を行う」
……戦士?
「ちょっと待ってください」
思ったより、冷静に声が出た。
「俺、商人になりたいんですけど」
白衣の男は、首を傾げる。
「不可能です」
即答だった。早い。あまりにも早い。
「高適性者は、戦士登録が義務付けられています」
「いや、だから──」
「拒否した場合、拘束処置となります」
声に温度がない。本当に、事務的だった。俺の人生設計が、受付窓口の書類ミスみたいな軽さで処理されていく。
「待ってください。俺は商人志望です。荷物を運べますし、言葉も通じる。戦うより、そっちの方が向いていると思うんですけど」
「戦士適性があります」
「そこを活かさない働き方でお願いします」
「規定違反です」
おかしい。話が通じない。万能言語よ、仕事しろ。
画面が切り替わり、“戦士登録:承認済み”の文字が表示された。その下には、名前がある。
リゼル。
その名前を、俺は伝えても設定もしていない。でも、知っている。昔、使っていた。何百時間も操作した、あのキャラの名前だ。
喉の奥が、嫌な形に狭まった。
その時、遠くで低い音が鳴った。
腹の奥を押されるような音だった。建物の外側から空気ごと叩かれたような振動が、寝台の脚をかすかに震わせる。白い部屋にいて聞くには、あまりにも重い音だった。
遅れて、扉の隙間から焦げた匂いが入り込んでくる。
薬品の匂いに混じって、焼けた金属みたいな苦い匂いが鼻の奥に刺さった。さらにその下に、湿った鉄のような臭いがある。何の臭いか考えかけて、すぐに考えるのをやめた。
廊下の向こうで、赤い灯りが何度か明滅する。
「外縁区画で交戦中です。気にする必要はありません」
白衣の男は、顔色ひとつ変えずに言った。
次の振動が来る。
天井の白い板がわずかに鳴り、寝台の金具が低く震えた。白い部屋の中央で、何もない空間に光が集まる。薄い膜のような映像が広がり、そこに外の景色が映った。
さっき注入されたナノマシンの影響かと思った。だが、映像の中身を見た瞬間、その考えは消えた。
城壁だった。
厚い防壁の上を、赤い警告灯が染めている。遠くの砂煙の中から、丸い影がいくつも這い出していた。人の腰ほどある体が地面すれすれに進み、節のある背がぶつかるたび、乾いた音が集音器越しに混じる。
防壁の上から、機銃が撃ち下ろしていた。弾の筋が何本も砂煙へ刺さる。先頭の一匹が弾け、黒い中身を撒いて潰れた。それでも後ろの群れは止まらない。潰れた死骸を乗り越え、壁の根元へ貼りつく。
そのうちの一匹が、倒れた兵士の装甲へ群がった。細い脚が胸部の板を掻き、頭のような部位を隙間へ押し込む。
映像の端に、赤い文字が走る。
【外縁防壁 第三ゲート】
【接近警報】
【戦士部隊、出撃要請中】
俺は、息を止めていた。
次に映像が切り替わる。城壁も、砂煙も、赤い警告灯も消えた。代わりに映ったのは、演壇だった。
『──諸君』
低く、よく通る声だった。心臓が、嫌な音を立てる。
『人類は今、存亡の岐路に立っている』
違う。いや、違わない。これ、知っている。
『我々は戦わなければならない。この星を、次の世代へ繋ぐために』
言い回し。間の取り方。スライドが切り替わるタイミング。全部、記憶にある。
スキップできなかった。何度も聞かされた。あの戦争ゲームの、最初の演説だ。
背筋を、冷たいものが走る。視界の奥で、風景が揺らいだ。見覚えのある場所。死んだあと、何度も立った、あのリスポーン地点。
記憶と目の前の映像が、そこで繋がった。
ここは、ゲームだ。剣と魔法の世界なんかじゃない。ナノマシンとエイリアンと、戦争前提で作られた世界。
国家同士が資源を奪い合い、前線では兵器が壊れ、修理費が消え、弾薬が尽きる。勝てば維持できる。負ければ削られる。逃げても、次の戦場に呼ばれる。
そんな世界だと知らずに、俺はスキルを選んだ。
アイテムボックス。万能言語。戦闘補助。
商人プレイ。スローライフ。安全第一。
喉の奥から、声が漏れる。
「……こんな世界だと知ってたら」
握った拳が、震えた。
鑑定を取っていたかもしれない。身体強化を取っていたかもしれない。せめて、もっと戦場向きの何かを選んでいたかもしれない。
いや、違う。そもそも商人プレイとか言わなかった。美女に囲まれて宿を持つ未来を想像した俺を、今すぐ殴りたい。
「そんなスキル構成、絶対に選ばなかっただろぉぉぉぉ……!!」
「いきなり叫ばないでください」
白衣の男は温度のない声で告げ、ためらいなく鎮静剤を注入した。
「拘束します」
視界がぼやけていく。うっすらと見えた画面には、何事もなかったように文字が浮かんでいた。
“新兵登録完了”
俺の商人生活は、始まる前に終わった。そして、終わった代わりに残ったのは、見覚えのない債務だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
商人生活は始まる前に終わりました。
ここからリゼルがどう生き残るのか、少しでも気になっていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。
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