第34話 黒い輪と長い銃身
一秒だけ、世界から隠れる。
横扉が開いた。
黒いケースを抱えた警備兵が二人、訓練場へ入ってくる。ケースの角には赤い封印が貼られていた。片方の警備兵は、俺ではなくジンの手元を見ている。中身を運んでいるというより、何かあればジンを止めるために立っているように見えた。
ジンは気にした様子もなく、ケースを机の上に置かせた。封印が外れ、中から黒い輪が現れる。内側には細かな端子が並び、外側には細い溝が何本も走っていた。装飾品には見えない。かといって、ただの端末でもない。黒い金属が、訓練場の白い光を細く吸っている。
「試験用外装換装補助具。外向きにはそう記録する」
ジンは黒い輪をつまみ上げた。
「装備を出すのは、お前の五枠だ。これは装備を作らない。着せもしない。見られたら困る一秒を黒く潰して、外部には“換装試験”のログだけ残す」
アリアが端末に項目を開いた。
「運用上の呼称は、ロードアウトシステムとします。装備構成を事前登録し、必要な場面で切り替える、という建前です」
壁の表示が切り替わる。LOADOUT SYSTEM。起動語、登録待機。白い文字が並んだあと、ジンが端末を弾いた。
古い実験映像が壁に開く。
白い試験室の中央に、防護服を着た人間が立っていた。腕には、今のものより大きな黒い装置が巻かれている。起動表示が走った瞬間、試験員のいた場所が黒く潰れた。
床も、壁も、装置を巻いた腕も見えない。映像の中央だけが、奥行きのない穴になっている。音声波形が跳ね、空調表示が一瞬だけ消えた。
五秒。
黒がほどける。
試験員は床に片手をついていた。もう片方の手が、足元を探るように白い床を叩いている。防護服の肩が荒く上下していた。ジンはそこで映像を止める。
「五秒でこれだ」
黒い輪の溝が、訓練場の白い光を細く噛んでいる。
「周囲の光、音、熱、空気の流れ、それから重力の偏りを一気に飲ませる。透明化じゃない。透明なら売れた。これは、そこにあるものを黒く欠けさせるだけだ」
ジンは楽しそうに黒い輪を揺らした。
「隠れるには短い。戦い続けるには危ない。潜入にも向かない。だが、お前が五枠から装備を出す一瞬を潰すだけなら、一秒で足りる。だから、一秒で支度しろ」
「兄さん」
アリアの声が短く入った。
ジンの指が、端末から離れる。アリアは黒い輪の登録欄を閉じ、起動語の項目だけを残した。
「起動語は固定します。ロードアウト、オン。解除は、ロードアウト、オフ。装備名は口に出す必要はありません。内部表示で処理します」
俺は黒い輪を手に取った。内側に並んだ端子が、手首の皮膚に触れる。細い針のような違和感が走り、端末に黒化持続時間が表示された。
最大使用時間、一秒。
長く隠れる道具じゃない。戦うための防御でもない。けれど、五枠から装備を出す瞬間を隠すだけなら、それで足りる。装備を出す。黒い幕で隠す。外には、試験用外装換装補助具による展開として残す。必要なのは、それだけだった。
警告の数は多い。だが、五枠を人前でそのまま使うよりはましだ。
黒い輪を手首に通すと、端子が皮膚に吸いついた。手首の骨の上で輪が小さく締まり、冷たいものを皮膚の下へ差し込まれたような違和感だけが残る。
アリアは黒い輪の登録確認を終えると、固定砲台型狙撃スーツの仮想データを開いた。
「では、射撃設定を確認します。ロードアウトの建前は整いました。実際に外で使うなら、撃ち分けを先に身体へ入れる必要があります」
壁に三つの項目が並ぶ。通常射撃。速射支援。高威力狙撃。
「通常射撃は、精度、威力、反動のバランスを取った標準設定です。遠距離目標を安定して狙う場合に使います」
仮想標的が一体、遠方に出る。
シートに身体を固定され、仮想のスーツが肩と腰に重なる。照準補助が標的の中央へ重なり、引き金を絞ると、銃身の奥で低い音が鳴った。肩から背中へ反動が抜け、標的の中心に穴が開く。
悪くない。ただ、次弾までの間はある。撃って終わりではなく、銃身を戻し、反動を逃がし、次の照準へ移る時間がいる。
「速射支援は、威力と有効射程を落とす代わりに、次弾準備を早めます。小型個体の連続処理、密集した敵の行動阻害、味方の退路確保に向いています。ただし、硬い外殻を抜く用途には適しません」
仮想空間に、小型の敵影が複数出る。
右から三。中央に二。左後方に四。標的は決まった速度で流れ、重なり、離れていく。味方反応はない。敵だけが、射線の中で形を変えていた。
俺は息を吐き、銃身を右へ振った。
一発目。手前の一体が崩れ、弾線が奥の脚を削る。照準はすぐ中央へ戻した。二発目。三発目。通常射撃より次へ移るのは早い。だが、決して軽くはない。
一射ごとに銃身を動かし、反動を逃がし、次の標的の位置を読む。味方がいない仮想空間でも、射線が重なれば撃てない角度が生まれる。速射という名前でも、弾をばら撒く装備ではなかった。
照準の戻りと敵影の流れを見ていると、前世のゲームで身体に残った癖が少しだけ戻ってくる。後ろに居座って射線を置く撃ち方も、前へ詰めて一発で抜く撃ち方も、何度もやった。けれど、一番手に馴染んでいたのは、自分一人で全部を倒す動きではない。
敵がどこから流れ、どこで詰まり、どの一発を置けば味方の退路が残るのか。派手な撃破より、間に合う一発。その感覚だけが、仮想の照準の奥で少し戻ってきた。
最後の標的が止まる。アリアはログを確認した。
「速射支援、基準内です。ただし、連続処理中の反動復帰に遅れがあります。実戦では味方位置、射線制限、冷却も加わります」
「これでもまだ足りないのか」
「はい。シミュレーターは、撃てるかどうかを見るものです。戦場で撃つべきかどうかは、別です」
その言い方で、喉の奥が少し乾いた。
撃てることと、撃っていいことは違う。門外で見た外殻虫の脚が、また頭の隅に戻った。届く前に撃てる。だが、撃つ場所を間違えれば、次に動けない。
アリアは三つ目の設定を開いた。
「高威力狙撃です。威力が高く、長距離や硬い外殻を抜くのに向いています。ただし、反動が大きくなります。距離が伸びれば着弾までの時間差が出ますし、相手の移動予測、威力低下、射線上の障害物も計算に入ります」
「当てれば強いけど、雑には撃てない」
「はい。外した場合の損失も大きくなります」
仮想空間の奥に、硬い外殻を持つ標的が出た。距離がある。手前には小型の反応が横切っている。普通に撃てば、手前に吸われる。遅らせれば、奥の標的が遮蔽に入る。
照準の揺れが細くなる。
反動予測が赤く滲む。銃身の根元で警告が走り、背中の仮想フレームが締まった。
撃つなら、ここしかない。
小型の隙間が開く。その一瞬に、引き金を絞った。
仮想反動が背中を押す。通常射撃とも速射支援とも違う。撃った後、照準がすぐには戻らない。銃身温度の表示が跳ね、次弾準備の表示が遅れる。
奥の標的には、穴が開いていた。
「命中。次弾準備、遅延。高威力狙撃は、連続処理には向きません」
「使う場所を間違えると、隙になるな」
「はい」
通常射撃は、普通に撃つための設定。速射支援は、流れを止めるための設定。高威力狙撃は、抜かなければ終わらないものを抜くための設定。全部強いが、全部いつでも使えばいいわけではない。
黒い輪が、手首の上でわずかに冷たくなった。
射撃設定のログが端末へ流れていく。通常射撃、基準内。速射支援、基準内。高威力狙撃、命中。次弾準備遅延。冷却注意。
仮想空間が消え、訓練場の白い壁が戻る。
肩には、まだ仮想反動の重さが残っている。手首では黒い輪が冷たく沈み、照準の残像だけが視界の奥に薄く残っていた。俺は一度、指を開こうとして、まだ力が入っていることに気づく。
その時、床が低く鳴った。
音というより、建物の奥を何かが押したような振動だった。白い壁の端末が赤く走り、照明が一度だけ落ちる。すぐに戻った光の中で、アリアの指が端末の上で止まっていた。
『門外防衛線、圧力増大。待機戦闘員は指定区画へ移動せよ。繰り返す。門外防衛線、圧力増大。各員、装備確認後、担当区画へ移動せよ』
警告音の奥に、別の声が入った。
年季の入った、掠れた男の声だった。訓練場の白い壁にまで、その声は届いてくる。
『門に立つ者たちよ、聞け。この壁の後ろには、眠れぬ子がいる。炉を止められぬ工員がいる。傷を塞ぎながら、それでも明日の食事を作る者がいる。彼らは銃を持たない。装甲も着ない。だから我々がここに立つ』
赤い表示が、壁の端で脈を打つ。
『前へ出る者は、戻る道を忘れるな。上に立つ者は、下の背中を見ろ。ひとつの射線が、十人の退路を残す。ひとつの踏み止まりが、百人の夜を守る』
声が、そこでわずかに低くなった。
『帰る場所を、明日へ渡せ』
放送が切れたあとも、赤い表示は消えなかった。
壁には、さっきまで仮想で扱っていた固定砲台型狙撃スーツの輪郭が残っている。通常射撃。速射支援。高威力狙撃。どれも、ついさっきまで画面の中で選んでいた設定だった。
ジンが、その機体図と俺の手首の黒い輪を見比べた。
「試す場所が来たな」
アリアは端末を開いたまま言った。
「これは、訓練ではありません」
俺は息を吸った。
「ロードアウト、オン」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
五枠をそのまま見せないための黒い輪と、近づかずに撃つための長い銃身。
次回、訓練ではない場所で、ロードアウトが動きます。
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