第28話 位置ズレなし
金属片では済ませてもらえない。
次に試すのは、戦場で使うための大きさだった。
五つ。
今は全部空いている。
決済タグより大きい。重さも違う。だが、枠に入るかどうかは重さでも体積でもない。俺がそれを一つの対象として見られるかどうか。少なくとも、今のところはそう感じる。
喉が乾いた。
失敗すれば、やっぱり危険物だ。成功しても、もっと厄介なものになる。
『顔が固いぞ』
「壊したら怒るって言われたからな」
『怒るだけで済むようにしろ』
「無茶言うな」
『やれ』
俺は息を吸った。
手は伸ばさない。触れない。フレーム全体を見る。固定具ごとではない。フレームだけだ。支えている器具は別。吊られている骨格だけを、一つの対象として掴む。
意識を、枠の内側へ押し込んだ。
試験用フレームは、すぐには消えなかった。
最初に歪んだのは、作業灯の光だった。黄色い線が骨格の輪郭で折れ、真っ直ぐ届かなくなる。そこにあるはずなのに、目が焦点を結ばない。腕部の骨格が揺れ、脚部の影が床から剥がれる。
固定具が遅れて軋んだ。
金属が外れる音はしない。切断もない。転送光もない。爆発もない。ただ、そこに置かれていた重さだけが、世界から抜き取られていく。
フレームの輪郭が薄れた。
次の瞬間、固定具が支えるものを失って、わずかに跳ねた。吊り具が遅れて揺れ、乾いた金属音が検証室の壁へ飛ぶ。
試験用フレームは、なくなっていた。
床には影だけが残り、その影も作業灯の揺れに合わせて薄く崩れていく。
「質量反応、消失。位置情報、喪失。搬送ログ、不一致。外部転送履歴、該当なし」
アリアの声が細くなる。
端末上に赤い警告窓がいくつも開いた。彼女はその全てを追おうとしていたが、指が明らかに遅れている。機械が異常を吐き、アリアがそれを拾う。順番が逆だ。
ジンは動かなかった。
笑わない。驚きもしない。ただ、消えた場所を見ている。頭の中で、起きた現象を分解している目だった。
『戻せるか』
第一声は、またそれだった。
アリアが顔を上げる。
「兄さん」
『壊れてないなら戻せるはずだ』
「壊れていない保証がありません」
『だから戻せるかを見る』
ジンの声は低い。けれど、熱があった。
『消滅じゃねぇ。破壊でもねぇ。質量反応が切れたあと、残留熱だけが残ってる。転送なら座標の尾が出る。圧縮なら空間負荷が残る。今のは、そのどれでもねぇ』
ジンは一歩だけ前に出た。
消えた場所へ手を伸ばしかけ、途中で止める。自分の指を危険域に入れない。興奮していても、その線は踏まない。
『世界の中で動かしたんじゃねぇな』
俺は答えなかった。
肯定もしない。否定もしない。
視界の端を見る。
五つある枠の一つが埋まっている。表示名はない。ただ、ぼんやりとした輪郭だけがある。試験用フレーム、と俺が認識しているものが、そこに収まっていた。
重さの表示はない。体積もない。枠だけが埋まっている。
ジンの目が、俺の視線の動きを追った。
『見えてるんだな』
「俺には」
『枠か』
ジンの肩が、わずかに止まった。
それだけで十分だったらしい。
『出せ』
「場所は」
『元の場所だ。固定具に噛ませろ。置けるならな』
「また要求が高い」
『戦場で使うなら、雑に戻す方が危ねぇ』
言われて、反論できなかった。
戻す場所を意識する。
座標ではない。距離でもない。置かれていた場所。吊られていた姿勢。固定具に支えられていた角度。作業灯の下にあった、あの状態。
この世界の計測ではなく、俺の認識で指定する。
枠の中のものを掴む。
意識を、逆向きに押し出した。
空間がまた歪んだ。
最初に現れたのは影だった。次に、金属の輪郭。黄色い作業灯が折れ、骨格の表面に戻っていく。腕部、脚部、胴体、センサー枠。欠けていない。焼けてもいない。
試験用フレームが、元の位置に戻った。
固定具が、最初からそこにあったみたいに噛み合っている。吊り具もずれていない。床も鳴らない。ただ、消えていた重さだけが、世界へ戻った。
検証室の機械音が、遅れて耳に入ってくる。
アリアが端末を見下ろした。
指が止まる。
「質量反応、復帰。外装損傷なし。熱変化、軽微。位置ズレ……」
声が止まった。
ジンが視線だけを向ける。
『どうした』
「位置ズレがありません」
赤い警告窓が、ひとつずつ消えていく。
「元座標と完全一致。姿勢角、固定点、接触圧、すべて復帰前と同じです」
アリアの声がかすれた。
「……ありえません」
ジンの顔から、薄い笑みが消えた。
今度こそ、技術者の目になった。
『ズレなしか』
彼は試験用フレームへ近づいた。固定具に指を当て、支柱を見て、床の傷を見る。フレームの表面を軽く叩くと、乾いた金属音が鳴った。
『転送なら無理だ。再配置なら必ず誤差が出る。吊り具の応力も変わる。だが、こいつは戻したんじゃねぇ』
「戻したんじゃない?」
『元にあった状態そのものを戻した』
俺は答えなかった。
頭の奥に熱が残っている。痛みではない。強く集中したあと、視界の端だけがわずかに遅れるような感覚だった。大きいものを一つの対象として掴むには、まだ意識をかなり持っていかれる。
ジンはそれも見逃さなかった。
『負荷はあるな』
「ある。けど、できないほどじゃない」
『連発は?』
「できる。ただ、雑にやるとズレる気がする」
『ズレる?』
「感覚の話だ。大きいものほど、ひとつの対象として掴むのに集中がいる。慣れれば短くなるかもしれない」
ジンの目が細くなった。
『限界じゃなくて、操作精度の問題か』
「たぶん」
『いいな。訓練で詰められる』
アリアの端末を持つ指が止まる。
「その“たぶん”で装備を出し入れするつもりですか」
「だから、今ここで試してる」
『正論だな』
「兄さん、正論ではありません。危険な検証です」
『危険だから記録してる』
ジンは壁に表示を開いた。
試作ホバーバイク。
固定砲台型狙撃スーツ。
どちらにも、赤い警告が並んでいた。推奨不可。安全基準外。通常販売不可。同時運用、却下。
『ようやく話が戻るな』
ジンは笑わなかった。
『お前が欲しがった二つだ。次は、それを繋げるか見る』
俺は作業灯の下に戻った試験用フレームを見る。
頭の奥には、まだ熱が残っている。だが、膝は崩れていない。吐き気もない。少なくとも、一度なら大きなものも扱える。
その事実を、ジンもアリアも見た。
便利な力ではない。安全な力でもない。だが、使い道はある。
壁の赤い警告表示の向こうで、試作ホバーバイクの細いフレームが浮かんでいた。その隣に、固定砲台型狙撃スーツの長い銃身が伸びている。
撃つための装備。帰るための足。
その二つの間に、ようやく俺の異常が置かれた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、リゼルの力が次の段階へ進む回でした。
便利かどうかではなく、どこまで正確に扱えるのか。
そこを見られ始めています。
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