第26話 五枠型収納現象
消えたものは戻った。
だが、それで終わりにはならなかった。
黒い決済タグは、ジンの手に戻った。
落ちたわけでも、投げ返したわけでもない。俺が指定した床の上に、最初からそこにあったみたいに収まっていた。白い部屋の空調音が戻ってくる。倒れた椅子に縛られたままの頬には、まだ血の冷たさが張りついていた。
アリアの端末に、新しい記録欄が開く。
「収納系現象、仮分類」
「収納とは限らない」
「では、別名称を」
アリアが打ちかけたところで、ジンが黒い決済タグを指で弾いた。
『名前は後でいい。先に条件だ』
「条件?」
『数だ。何個まで持てる』
そこに来るか。
俺は視界の端に浮かぶ枠を見た。黒い空白が五つ並んでいる。さっきタグが入っていた一つは、今は空いていた。見えているのは俺だけだ。
「五つ」
アリアの指が止まる。
「五つ、というのは対象数ですか。容量ではなく」
「たぶん、枠の数」
「重量、体積、危険物への制限は」
「分からない。危険物は試してない」
「生体は」
「入れない」
アリアの声が、そこで一段変わった。
「できるかどうかではなく、入れない、ですか」
「やらない」
「理由は」
「失敗したら死ぬ。成功しても、どうなるか分からない。人間で試す気はない」
アリアはすぐには返さなかった。
視線が俺の顔から、床に広がった血へ落ちる。それから倒れた椅子、拘束具、さっき自分が踏み抜こうとした位置へ動いた。
「その線引きは、今後も変わりませんか」
「変えたら、俺が俺を信用できなくなる」
ジンが鼻で息を漏らした。
『いい答えだ。綺麗すぎるが、悪くはない』
「綺麗な状況に見えるか?」
『見えねぇよ。だから余計に分かる』
ジンは決済タグをアリアへ投げなかった。手渡しもしない。自分の胸元へ戻し、認証を切ってから、もう一度こちらを見る。
『お前、これを隠して逃げることもできたな』
「今は椅子に縛られてる」
『そういう話じゃねぇ。もっと前だ。誰にも見せずに使えば、しばらくは便利にやれたはずだ』
「たぶん、どこかで死ぬ」
『なぜ』
「俺が限界を知らないから」
ジンの目が止まった。
「自分で試して、自分で失敗して、誰にも言えないまま死ぬ。そういう力だと思った」
血の跡が頬に張りついている。話すたびに引きつる。格好いい言葉にはならない。だが、今はそれでいい。椅子ごと倒されて床に転がったまま、格好をつけても意味がない。
「だから、危ないものを危ないって分かる人間に見せた」
『俺がそうだと?』
「少なくとも、あんたは使えるかどうかより先に、戻せるかを聞いた」
『さっきは医療より先に戻せと言ったぞ』
「そこは最悪だった」
『正直でよろしい』
アリアが小さく息を吐いた。
「兄さん。対象者の出血確認を行います」
『やれ』
「椅子を起こします。拘束は維持」
『任せる』
アリアが近づいてくる。
その足音で、背中が強張った。さっき頭を踏み抜こうとした足だ。理屈では分かっている。今度は殺しに来ていない。それでも体の方が先に反応する。
アリアはその反応を見た。目を逸らさない。
「動かさないでください。傷が広がります」
「動けない」
「知っています」
彼女は倒れた椅子の固定部を確認し、床面のロックを解除した。細い腕に見えるのに、動きに無駄がない。力で引き起こすのではなく、椅子の重心を読み、支点を使って持ち上げる。視界がゆっくり回り、白い床が下へ戻っていく。
椅子が起きた。
拘束具は外れない。肩と腰のベルトもそのまま。だが、頬に床が触れていないだけで、少しだけ息が入りやすい。
アリアは俺の頬を見た。端末から薄い光が走る。
「裂傷。骨折反応なし。軽度打撲。口腔内出血あり。意識は清明」
「殺そうとした割に確認が丁寧だな」
言った瞬間、アリアの目がこちらへ来た。
失敗した。
また余計なことを言った。
「殺していません」
「そうだな」
「次に同種の発言をする場合、先に兄さんへ確認を取ってください」
「血の繋がりの話か」
「それ以上、ここで口にしないでください」
声は落ち着いていた。だが、端末の光が少しだけ揺れた。
ジンが喉の奥で笑う。
『お前ら、相性は悪くなさそうだな』
「最悪に近いです」
「俺もそう思う」
『ならちょうどいい。信用だけで回る関係は、こういうものには向かねぇ』
ジンは壁面ログへ歩いた。
赤い表示がまだ残っている。警備確認対象。取得経路不明。認識異常可能性。その横に、ジンが新しい申請枠を開く。白い部屋の壁に、別のウィンドウが浮かんだ。
外部協力者。
ジンはそれを見て、鼻で笑う。
『違うな』
項目が消える。
次に出たのは、もっと嫌な文字だった。
観測管理対象。
俺は眉を寄せた。
「それ、響きが悪くないか」
『実態よりは優しい』
「どういう意味だよ」
『警備対象のままだと、ここから出られねぇ。協力者だと自由に動けすぎる。観測管理対象なら、俺とアリアの管理下で動かせる』
アリアが端末を見た。
「装備使用、移動、スキルに該当する異常現象の使用、すべて記録対象になります」
「スキルって言葉、知ってるのか?」
「あなたが過去にそう表現した記録があります。公式分類ではありません」
ギルドでの記録か。俺の言葉が、そのまま仮の札になっている。
「その言葉は、あまり使わないでくれ」
俺が言うと、アリアは一度だけ端末を見る。
「では、暫定名称を変更します」
『異常収納でいいだろ』
「よくない」
『じゃあ、五枠収納』
「雑すぎる」
「暫定分類名は、五枠型収納現象とします」
アリアが即座に打ち込んだ。
ジンが少しだけ笑う。
『ほら、似たようなもんだ』
「全然違います」
似ている。
だが、言わない。
ジンは壁面に表示された新しい項目を指で弾いた。
『条件を決める。勝手な使用は禁止。使用時はログを残せ。戦場で使った場合は、帰還後に全部吐け。隠したら装備権限を凍結する』
「拒否権は」
『ある程度は残す』
「ある程度って何だ」
『暴走時、生命危機時、都市保全に関わる場合はこっちが止める』
「止める、の中身は」
『拘束、装備停止、外出制限、最悪の場合は処分』
アリアは否定しなかった。
むしろ、そこは記録する側の顔で立っている。
「最後のはいらないだろ」
『いる。言わない方が信用できねぇだろ』
その通りだった。腹は立つ。だが、隠して優しい顔をされるよりは、まだマシだ。
「俺からも条件がある」
『言ってみろ』
「勝手に前線へ放り込まないこと。俺の能力を一般ログに流さないこと。使う時は、何に使うのか先に説明すること」
『妥当だな』
「妥当で済むのか」
『お前がもっと馬鹿な条件を出すと思ってた』
「馬鹿な条件を出せる立場じゃない」
『分かってるならいい』
ジンはアリアを見る。
『書け』
「すでに」
『早いな』
「兄さんが雑に進めるからです」
アリアの声は戻っていた。さっき俺を殺そうとした人間と同じ声だと思うと、背筋に変な冷えが残る。だが、その指は正確に端末を動かしている。感情で殴り、職務で管理する。厄介だが、分かりやすい相手でもあった。
壁に新しい登録が浮かぶ。リゼル。警備確認対象。その下に、追加項目として“観測管理対象”が加わり、管理者欄にはジン、補佐欄にはアリアの名が入った。
拘束具はまだ外れていない。椅子も冷たいままだ。頬は痛むし、口の中には鉄の味が残っている。それでも、警備員が入ってきて俺を連れていく気配はなかった。
ジンは壁の表示を見上げたまま言った。
『おめでとう。警備対象から、俺の面倒な観測対象に昇格だ』
「それ、喜ぶところか?」
『処分よりはいいだろ』
否定できなかった。
俺は壁の表示を見る。観測管理対象。自由になったわけではない。ジンもアリアも、味方ではない。だが、警備対象としてこのまま処理されるよりは、明らかにましだった。
この世界で初めて、俺の異常に名前がついた。
便利な力としてではない。
救いとしてでもない。
危険物に貼られる札として。
それでも、その札があったから、俺はまだここにいられる。
切り捨てられる側から、観測される側へ。
ひどい昇格だった。
けれど、次に進むための枠だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ここで第1章はひと区切りです。
次章からは、ジンとアリアの管理下で、リゼルの力と装備運用の検証が始まります。
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