第23話 白い部屋の男
踏み込んだ先で、詰んだと思った。
けれど、扉の向こうから来たのは、救いではなかった。
部屋の外で、音がした。
重い扉のロックが、もう一度外れる音だった。
警備員が一斉にそちらを向く。肩の警告灯が白く点滅し、壁の黒い穴のいくつかが、扉の方へ角度を変えた。俺も顔を上げる。首を動かしただけで、肩の固定ベルトが胸に薄く食い込んだ。
入ってきたのは、警備員ではなかった。
白髪混じり。無精髭。作業着の袖は、片方だけ雑にまくれている。まともに身支度を整えるより先に、現場へ呼び出されたような男だった。白い部屋の光が、頬の削れた線と、目の下の濃い影を容赦なく浮かび上がらせる。
だが、目だけが違った。
男は、俺の顔を長く見なかった。手首の拘束具、肩の固定ベルト、壁面ログ、警備員の立ち位置。それらを順に拾い、最後に俺の喉元へ視線を戻す。何を言ったかより先に、今この場で何を隠し、何をしようとしているのかを測っている目だった。
『ずいぶん丁寧に詰めてるな』
男は、部屋の白さを見回してから言った。
警備員の一人が姿勢を正す。声にわずかな硬さが混じった。
「確認中です。対象は取得経路不明の非公開情報に接触しています」
『知ってる。ログは見た』
男は壁面表示へ視線を投げた。
リゼル。問題行動記録。非公開情報接触。取得経路不明。認識異常可能性。警備確認対象。
並んだ文字を上から順に見て、最後に俺を見る。
『ひでぇ札の付き方してんな』
「好きでつけたわけじゃない」
言った瞬間、警備員の走査光がこちらへ動いた。
まずい、と思った。
だが、男は気にした様子もない。目だけを少し細め、俺の顔、拘束具、肩の固定ベルト、手首の皮膚の赤みを順に見た。
『口は動く。目も死んでない。拘束具を見てるが、外そうとはしてない。発汗は多い。嘘を組み立ててるというより、逃げ道がなくて詰まってる顔だな』
「顔でそこまで分かるのかよ」
『顔じゃねぇ。ログと合わせて見てる』
男は椅子の向かい側に立った。
机がないせいで、男との距離は妙に近かった。作業着についた油の匂いが、白い部屋の乾いた空気に混じる。消毒薬でも、金属だけの匂いでもない。さっきまでどこかで実際に手を汚していた人間の匂いだった。
「規定上、対象との接触には許可が必要です」
警備員の一人が口を挟む。
男はそちらを見ない。
『なら許可を出せ』
「権限者の承認が必要です」
『俺だ』
短い一言だった。
警備員が止まった。その反応で、腹の奥が少しだけ動く。この男は、ただの通りすがりじゃない。警備の言葉を止められる側の人間だ。
だが、それが助かったという意味ではないことも、男の視線で分かった。俺を逃がしに来たのではなく、この場で処理していいものかを、自分の目で確かめに来ている。
男は壁面の表示を指で払った。俺の警備ログの横に、別のウィンドウが開く。さっき倉庫で見た二つの装備のログだった。
試作ホバーバイク。
固定砲台型狙撃スーツ。
赤い警告表示が並んでいる。
推奨不可。安全基準外。通常販売不可。同時運用、却下。
男の口元が、わずかに歪んだ。
『試作ホバーと固定砲台を、単独で繋げるって?』
その声で、ようやく分かった。
警備に連れてこられたのは、処罰のためだけじゃない。俺が口にした装備の組み合わせが、この男のところまで届いた。
だが、救われたわけじゃない。男の目は、味方を見るものではなかった。俺の言葉より先に、拘束具の位置、警備員の配置、壁に出た警告表示を拾っている。こいつが何をしたかではなく、これから何をする危険があるか。そういう順番で見ている目だった。
『無理だな』
即断だった。
言葉が落ちた瞬間、胸の奥に残っていたわずかな熱が潰れた。警備に捕まったうえで、この男にまで切られるなら、もう次に差し出せる札がない。
『固定砲台は、撃つための装備だ。構える。狙う。撃つ。そのために移動も防御も削ってる。あれは歩兵じゃねぇ。人間を固定砲台にするための道具だ』
男は壁の表示を切り替えた。
固定砲台型狙撃スーツの重量、固定姿勢、陣地転換速度、護衛要求、回収班要求。赤い数字が、白い壁に淡く浮かぶ。
『試作ホバーは逆だ。動き続けるための足だ。速い。だが不安定で、荷重変化に弱い。固定砲台なんか絡めたら重心が狂う。展開、撤収、再搭乗。そのどこかで死ぬ』
「分かってる」
『分かってて選ぶなら、なおさら性質が悪い』
男は俺を見る。
『普通の新人は、怖いから無茶を言う。お前は、怖いものを見たうえで無茶を言ってる』
喉の奥が詰まった。
否定されたわけではない。だが、慰められたわけでもない。この男は、俺の言葉を感情で切っているのではなく、死ぬ順番をひとつずつ並べているだけだった。
「怖いから、考えたんだよ」
声が、少し掠れた。
「部隊に入れない。信用もない。金もない。正規品は俺の条件に合わない。なら、撃つ場所と帰る道を、別々に持つしかない」
『言葉としては悪くない』
男は、すぐに切り捨てるように続けた。
『だが、言葉だ。実際にやるなら、撃ったあとが問題になる。固定解除に何秒かかる。銃身冷却はどうする。バイクまで戻る距離は。再搭乗時の荷重は。逃げ出す方向に敵がいたらどうする。帰り道が瓦礫で塞がっていたらどうする。撃たずに帰る判断はできるのか』
一つずつ、骨を外されるみたいだった。
俺が考えていなかったわけじゃない。
だが、この男の言葉は、そこに具体的な死因を足してくる。撃ったあと、足が止まる。戻る途中で見つかる。乗る瞬間に姿勢が崩れる。反応範囲から抜ける前に追いつかれる。
頭の中で、ホログラムの光が赤く染まっていった。
「……全部、これから詰めるしかない」
『普通は、そこで“これから”なんて言わねぇ。やめるんだよ』
「やめたら、正規品の棚に戻るだけだ」
俺は息を吸った。胸の固定ベルトが浅く軋む。
「正規品は、正規の条件に乗れる人間のためのものだ。部隊がある。金がある。信用がある。整備も補給も回収も、誰かと分けられる。俺には、その前提がない」
壁にまだ、俺の警備ログが残っている。
問題行動記録あり。
警備確認対象。
取得経路不明。
その文字が、やけに近く見えた。
「だから、普通に強いものじゃなくて、俺の条件で死なずに済むものを探してる」
男は、しばらく黙った。警備員も口を挟まない。白い部屋には空調音だけが残り、首筋に当たる冷たい空気が汗の跡を乾かしていく。
乾くたびに、肩と腰の固定ベルトが皮膚へ戻ってきた。
俺はまだ、椅子に縛られたままだった。
男は、指先でホログラムを弾いた。
試作ホバーバイクと固定砲台型狙撃スーツの表示が、もう一度重なる。
赤い警告が増える。
姿勢制御不安定。荷重超過傾向。反動吸収補正不足。推奨不可。
男はその赤を見たまま言った。
『取得経路の話はあとだ』
警備員の一人がわずかに動く。
「しかし」
『こいつを今ここで処理しても、何も分からねぇ。少なくとも、装備の組み合わせを見る目はある。名前を知ってた理由より先に、そっちを確認する』
「確認対象の非公開情報接触は、警備案件です」
『分かってる。だから俺が引き取る』
男の声は荒くない。だが、そこで止まる声だった。
『責任は俺が持つ』
その言葉で、警備員の動きが止まった。
責任。
その一言が、この場所でどれだけ重いのかは分からない。ただ、警備員たちが半歩引いたことで、男の立場だけは分かった。
男は、俺に向き直る。
『お前、アリアの名前を出したな』
心臓が、ひとつ嫌な跳ね方をした。
「……出した」
『兄のことも言った』
「ああ」
『どこで知った』
またそこか。
俺は唇を押さえたくなったが、手は固定されている。
「言えない」
『言えば余計に疑われるからか』
「そうだ」
『なら、今はそれでいい』
思わず顔を上げた。
「いいのか?」
『よくはない。だが、今ここで吐かせても、多分まともな説明は出ねぇ』
男は壁のログを見た。
『説明できない情報を持ってる。非公開情報に触れている。装備の組み合わせは異常だが、筋は完全には外れてない。問題行動記録あり。金なし。信用なし。部隊なし』
「人の人生を、雑に並べるな」
『雑に並べてもひどいから、丁寧に並べたらもっとひどいぞ』
最悪だ。
なのに、さっきまでより息が入りやすい。この男は、俺を信じていない。だが、俺の言葉を全部ゴミ箱に捨ててもいない。
男は、手首の拘束具を見た。
『お前、さっき“証明できる”と言ったな』
警備員の走査光が俺へ戻る。
俺は唾を飲んだ。
「拘束を外してくれれば、見せられる」
『何を見せる』
「ここで言葉にしても、たぶん意味がない。見せた方が早い」
『危険物か』
「違う。少なくとも、ここで暴れるためのものじゃない」
『信用しろと?』
「信用じゃない。確認してくれと言ってる」
男の目が細くなった。
『確認、ね』
「俺がただの妄想でアリアの名前を出したのか、それとも別の理由があるのか。そこを見てから判断してほしい」
『その“別の理由”を今言え』
「言ったら、今より悪くなる」
『もう十分悪いぞ』
「まだだ。たぶん、もっと悪くなる」
男は、喉の奥で短く笑った。
笑ったのに、目は笑っていなかった。
『自覚はあるのか』
「ある。だから困ってる」
『順番が最悪だ。名前を先に出す。非公開装備を指定する。取得経路は言えない。警備案件としては満点に近い』
「褒めてないよな」
『褒めてたら、もっと分かりにくく言う』
男は片手で首の後ろを掻いた。油の染みた袖口が、白い部屋の光を受けて鈍く光る。
『だが、無視するには惜しい』
その言葉が、白い部屋の中に落ちた。
俺は、息を止めていたことに気づいた。
「……あんたは、誰だ」
声がかすれた。
男は少しだけ顔を傾けた。
疲れた顔。無精髭。寝不足みたいな目。だが、その奥の温度だけは最初から変わっていない。俺を信じてはいない。けれど、捨てるにはまだ早いものとして見ている。
『ジン』
男は言った。
『アリアの兄だ』
ここまで読んでくださってありがとうございます。
詰んだと思った白い部屋に、別の危険が入ってきました。
救いではない。
けれど、処理されるだけの時間は止まった。
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