第21話 噛み合わない二つ
帰るための足は見つかった。
問題は、それをどうやって自分のものにするかだった。
受付嬢は、端末を閉じなかった。
試作ホバーバイクのホログラムが、まだ足元近くで薄い光を揺らしている。その横には、さっき見た固定砲台型狙撃スーツの立体図が残されていた。長い銃身、片膝をつくための脚部固定機構、腰から背中へ伸びる反動吸収フレーム。
片方は、帰るための足。もう片方は、撃つためだけに他を削ぎ落としたスーツ。並べて見ると、ひどく噛み合っていない。
ホバーバイクは、止まらないための装備だ。地面を踏まず、瓦礫を越え、敵の反応範囲から滑るように抜ける。動き続けることに意味がある。
固定砲台型狙撃スーツは、その逆だった。見る。構える。狙う。撃つ。その一瞬のために、機動も防御も削っている。足を止めることを前提にした装備だ。
「確認させてください」
受付嬢の声が、少しだけ硬くなった。
「この二つを、同時に運用する想定でしょうか。試作ホバーバイクと、固定砲台型狙撃スーツを、同一人物が、単独で」
最後の言葉だけ、わずかに間があった。否定でも、嘲笑でもない。だが、それ自体がすでに異常を示していた。
彼女の背後で、価格、維持費、調整工数、事故率、推奨不可の表示が淡々と重なっていく。白かった項目の端に、少しずつ赤が増えた。
「どちらも特化型です。用途は被りません。ですが、どちらも標準運用から外れています」
受付嬢は、固定砲台型狙撃スーツの図面を指先で拡大した。
「こちらは、移動と防御を捨てています。運用するなら、通常は観測手、護衛、弾薬搬送、回収班、撤退車両が必要です。撃つ能力は高いですが、撃つまでと撃ったあとの負担が大きい」
次に、ホバーバイクへ視線を移す。
「試作ホバーバイクは、離脱能力に優れます。ですが、安定性が低く、荷重変化に敏感です。特に、重い装備を抱えた状態での急旋回や急停止は、事故率が跳ね上がります」
表示が重なる。狙撃スーツの重量、ホバーバイクの推奨積載、姿勢制御の警告、調整不可、保証限定、破損時負担、要審査。
「同時に扱うとなると、単純な足し算では済みません。重心も変わります。起動時の姿勢も変わります。移動中の揺れ、停止時の荷重、展開後の撤収手順、そのすべてを再計算する必要があります」
彼女はそこで、ようやく俺を見た。
「率直に申し上げます。通常の新人が選ぶ組み合わせではありません」
「分かってる」
俺はホログラムから目を離さずに答えた。
スーツは、撃つため。バイクは、逃げるため。それだけなら、むしろ分かりやすい。
問題は、その間だ。
撃つ場所へ行く。止まる。構える。撃つ。離脱する。その全部を、ひとりでやらなければならない。普通なら、無理だ。
「部隊で動くなら、たぶんどっちも別のやつがいい。狙撃手なら護衛と観測手が必要だし、移動役なら安定した車両の方がいい。撃破後の素材回収も、普通なら別の誰かが取りに行く」
固定砲台型狙撃スーツの長い銃身が、倉庫の照明を受けて白く光る。
「でも俺は、部隊に入れない。入れたとしても、信頼を積む前に死ぬ可能性がある」
ホバーバイクの下で、薄い光が揺れていた。
「だから、撃つ場所も、逃げる道も、自分で持つしかない」
受付嬢は、すぐには返さなかった。
背後のAIなら、とっくに結論を出している。却下。非推奨。再検索。
だが彼女は、数字ではなく俺の言葉を聞いていた。だから俺も、言葉を選ぶしかなかった。
「部隊よりも、俺なら活かせる」
自信ではない。そう言い切らなければ、次に進めないだけだ。
「だから、どっちも必要だ」
受付嬢は端末へ視線を落とした。
商品一覧が消える。代わりに、設計図が開いた。固定砲台型狙撃スーツのフレーム構造。ホバーバイクの浮力制御。接続不適合。姿勢制御再計算。追加調整不可。
赤い警告がいくつも重なる。
「通常の購入ルートでは不可能です」
正直な言葉だった。
「AIの結論は、却下です。安全基準、保証基準、整備基準、すべての面で通常販売に乗せられません」
「だろうな」
分かっていた。
商品としては無理だ。通常購入も無理。推奨運用も無理。安全基準でも弾かれる。
だったら、必要なのは販売の判断じゃない。
開発側の判断だ。
この二つを、無理やり噛み合わせる価値があるかどうか。その可能性を見られる人間が必要だった。失敗作を、失敗作のまま捨てない人間。数字に弾かれたものを、数字の外側から見る人間。
喉の奥が、少し乾いた。
ここで踏み込むしかない。
「じゃあ、アリアさんの兄ならどう判断する?」
言った瞬間、倉庫の音が遠のいた。
クレーンの駆動音も、レールの低い振動も、耳の奥で薄く潰れる。受付嬢の表情は崩れない。目も逸らさない。ただ、端末を支えていた指だけが止まっていた。
「……今、何とおっしゃいましたか」
声は丁寧だった。
だが、聞き間違いを確かめる声ではなかった。目の前の言葉を、危険物かどうか切り分ける声だった。
「アリアさんの兄なら、この組み合わせをどう見るのかって聞いた」
口にした直後、喉の奥が冷えた。
まずい。
踏み込みすぎた。
受付嬢の背後で、ウィンドウが切り替わる。さっきまで装備の整備費や推奨条件を並べていた画面が、一枚ずつ別の顔に変わっていった。
アクセス権限、個人情報照合、非公開情報検知、情報漏洩疑い。
白かった表示の端に、赤が混じる。
「私は、あなたに名前を名乗っていません」
受付嬢は、まだ同じ姿勢で立っていた。背筋は伸び、端末は胸の前に収まっている。声も乱れていない。だからこそ、怖かった。
さっきまでの彼女は、客の条件を聞き、装備を示し、危険を説明する人間だった。今は違う。同じ顔、同じ声、同じ所作のまま、施設を守る側へ立ち位置だけが移っている。
「あなたは今、私の名前と、家族関係に関する情報を口にしました。取得経路を説明してください」
背中に汗が浮いた。
説明できる言葉はある。だが、それをここで出すわけにはいかなかった。スキル。転生。ゲーム。この世界と似た画面。どれも、口にした瞬間に俺の首へ別の札を増やす。
問題行動記録だけで十分だ。これ以上、認識異常だの妄想だのを重ねられたら、もう身動きが取れない。
「説明はできる。でも、たぶん信じてもらえない」
「信じるかどうかは、こちらが判断します。あなたが判断することではありません」
受付嬢の瞳に、端末の警告が映っている。
AIの補助ウィンドウが反応した。妄想、混乱、認識異常、問題行動記録との照合。嫌な単語が並ぶ。彼女は、それを閉じなかった。
「続けてください。ただし、以後の発言は、虚偽、混乱、脅迫、または不正取得情報に関連する発言として記録されます」
喉の奥が詰まる。
言葉を出せば記録される。黙れば警戒が増す。何を選んでも、不利な方向へ進む。固定砲台型狙撃スーツの長い銃身が、倉庫の照明を鈍く返していた。
撃つための装備。帰るための足。
その二つを繋ぐために、ここまで来た。なのに今は、そのどちらにも手が届かない場所へ自分で踏み込もうとしている。
「全部を知ってるわけじゃない。でも、名前は知ってた」
「取得経路は」
「言えない」
「言えない、ですか」
「言っても、信用が増えない」
受付嬢の指が、端末の縁に触れた。
赤い表示が一段増える。
警備通知準備。
視界の端が冷えた。
ここで止まればよかった。だが、止まったところで、もう遅い。俺は、ホバーバイクの下で揺れる薄い光を見た。帰るための足。ようやく見えた抜け道。あれを失えば、また正規品の棚へ戻るしかない。
「アリア。ショップの窓口にいる。表の販売だけじゃなくて、開発区画と繋がってる」
受付嬢の喉が、小さく動いた。
それでも、彼女は口を挟まなかった。問い詰めない。否定もしない。ただ、こちらの言葉をすべて記録に流している。その沈黙が、余計にまずかった。
だから俺は、最後の札まで出した。
「兄がいる。表に出ない装備に詳しい。失敗作を失敗作のまま捨てないタイプだ」
倉庫の空調音が、急に近くなった。
受付嬢の背後で、ウィンドウがまた切り替わる。個人情報接触、非公開装備情報接触、情報漏洩疑い、認識異常、警備通知準備。赤い表示が、端末の端に並んだ。
胸の奥が、一段冷える。
やばい。
名前を出せば届くと思った。装備の組み合わせを出せば、興味を引けると思った。だが、相手からすれば違う。名前も名乗っていない受付嬢の個人情報を知っている不審な新人。非公開装備の事情まで口にする、問題行動記録付きの戦士登録者。
どう見ても、警戒対象だ。
「それ以上の発言は、控えてください」
受付嬢の声から、温度が一段消えた。
怒っているわけではない。怯えているわけでもない。ただ、手順に入った声だった。
「あなたの発言には、当施設の非公開情報が含まれています。取得経路を説明できない場合、確認のため警備担当を呼びます」
「待ってくれ。悪意はない」
「悪意の有無は、確認後に判断されます」
「本当に知らないんだ。俺にも、どう説明すればいいのか分からない」
言った瞬間、自分で分かった。
最悪の返答だ。
受付嬢の目が、わずかに細くなる。
「それは、説明不能な情報を取得している、という意味ですか」
逃げ道が、会話の中で潰れた。
違う、と言いたかった。でも、違わない。俺は、説明できない情報を持っている。この世界の人間からすれば、それは便利な手札ではない。
危険物だ。
受付嬢の指が、警備通知の承認欄へ触れた。赤い表示が広がる。倉庫の奥で、低い駆動音が止まった。数秒遅れて、通路側の扉が開く。
入ってきたのは、警備用の外骨格を着けた二人だった。顔は見えない。透明なシールドの内側で、こちらへ向けられた細い走査光だけが動いていた。体温と端末情報を、まとめて読まれている。
腰には非殺傷拘束具。腕部には細い固定ワイヤー。肩の警告灯が、白く点滅していた。逃げられない。逃げる気もない。ここで暴れたら、本当に終わる。
「リゼル様」
受付嬢が、俺を見る。
様、という響きだけが、場違いに丁寧だった。
「確認のため、警備担当に同行してください」
「拒否したら?」
「拘束になります」
知ってた。
俺はホバーバイクを見る。薄い光が、機体の下でまだ揺れている。帰るための足。ようやく見えたそれが、目の前で遠ざかっていく。
次に、固定砲台型狙撃スーツを見る。撃つためだけに作られた長い銃身が、倉庫の照明を鈍く返していた。
撃つ場所も、逃げる道も、まだ俺のものではない。
俺は、両手を上げた。
「分かった。行く」
警備員の一人が、こちらへ近づく。
手首に、冷たい拘束具が触れた。金属の輪が閉じる。痛みはない。だが、自由が一段削られた音がした。
受付嬢は、最後まで視線を逸らさなかった。その目に、同情はない。怒りもない。ただ、判断を保留した人間の目だった。
「アリア……」
思わず、名前を呼んでいた。
彼女の眉が、ほんの少しだけ動く。
「まだ、名乗っていません」
「そうだったな。じゃあ、今のは忘れてくれ」
「記録には残ります」
「だよな」
警備員に促され、俺は歩き出した。
足元の案内線は消えている。代わりに、警備用の赤い誘導線が床へ伸びていた。背後で、試作ホバーバイクと固定砲台型狙撃スーツのホログラムが薄れていく。
第三段階は、失敗した。たぶん、かなり派手に。
警備員の足音が、左右で揃って響く。倉庫の金属臭が遠ざかり、空調の音が変わる。展示区画の白い光も、試作機の鈍い影も、背中側へ流れていく。
ここまで来た。そして、捕まった。
次に開く扉が、拘束室なのか。それとも、もっと悪い場所なのか。
今の俺には、分からなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
見えたはずの抜け道は、まだリゼルのものではありませんでした。
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