第9話:侵入する他者の影
位牌が仏壇に戻ったのに安心して、やっと俺は人心地ついた。
そこで改めて、姉が心配になった。
姉は家に来て、俺と一緒に途中まで荷解きをした。居間に置かれた段ボールのいくつかは開封されているから間違い無い。
「そうだ、姉貴……」
俺は座卓の上に置きっぱなしにしていたスマホを手に取った。小椋からの着信とメッセージはあったが、姉からのものは無い。
そのまま姉のスマホに電話を掛ける。しかし、数回のコール音のあと、留守番電話に繋がった。
「出ない……」
すぐにメッセージを送るが、こちらも既読にならない。
「姉貴、どこに行ったんだ……」
不安に胸がざわつく。
姉の激昂した姿がリアルに思い浮かぶ。現実との境目の曖昧な夢、だった筈だ。
「心当たりは無いのか?」
小椋の言葉に思考を巡らせるが、どうして姉がいなくなってしまったのかが分からないのだ。あれが、夢じゃ無かったのならば分かる。
長谷川の位牌を見て怒った姉は、トウゴの所へ行くだろう。だけど、実際に仏壇にあった位牌は姉のもので……。
(そう、姉貴の位牌が置かれている事もおかしいんだ)
「俺には、何がなんだか……」
弱々しく首を振って、それでも姉へと電話を掛け、メッセージを送るのを繰り返す。やはり、応答は無い。
それを十回ほど繰り返した頃に小椋が口を開いた。
「何があったか教えてくれ」
「……分かった」
俺はスマホの画面を見たまま答えた。
「上手く説明出来ねぇかもしんないけど、……昼過ぎに姉貴が帰ってきたんだ」
小椋は俺の言葉に口を挟まずに聞いている。
「そんで、姉貴が仏壇に手を合わせるって話になって、仏間に入ったんだ。そしたら、位牌に書かれている名前が、長谷川さんの、あ、姉貴の亡くなった彼氏さんなんだけど。その長谷川さんの名前に変わってたんだ」
「んん?」
小椋が首を傾げる。
「今、仏壇に戻してくれた位牌には姉貴の名前が書いてあっただろ? あれ、姉貴が来た時には長谷川さんの名前だったんだ。……いつもは親父の位牌が置いてあんのに」
「……んん? じゃあ、親父さんの位牌はどこに?」
「分かんねぇ」
「見間違いじゃなく?」
「……それも分かんねぇ。長谷川さんの位牌に気付いた姉貴が、その後大暴れして仏壇をメチャクチャにしたんだけど、実際は何ともなってないし。……夢だったとは思うんだけど、いつ寝たのかも覚えてねぇし……」
小椋が反対方向に首を傾げた。俺も腕を組んで考える。
「位牌が入れ替わってる事は、間違い無いんだな?」
「それは、うん」
「……何にしろ、生きてる人の位牌を置くなんて、縁起でも無いな。誰が置いたのか心当たりは?」
「俺も姉貴もそんな事はしねぇし。……そうなると、誰かが無断で家に出入りしてるって事だろ?」
言いながらブルッと震えが来る。
「……疑われるのイヤだから先に言うけど、俺じゃ無いからな」
そう言われて、足先が冷えた。
もし、小椋がトウゴの協力者だったら、何だって出来るだろう。しかし、俺はすぐにその考えを否定した。
正道に拘るトウゴが、わざわざ同性の恋人を利用するとは思えないからだ。
「そりゃそうだ。小椋はうちの菩提寺なんか知らないだろ? あの位牌、その寺でしか作ってないらしいから、そう簡単に用意出来ないぞ。そりゃ小椋が寺の関係者だったら別だけど」
「それは無いなぁ」
「だろ?」
やはり、トウゴが入り込んだとしか考えられない。
「……トウゴって人がいるんだけど」
「そいつは、誰だ?」
「親戚。親父の従兄弟なんだけど、一族の葬祭ごとの面倒をみてくれてる人なんだ」
「じゃあ、位牌を用意するのもその人か?」
「うん」
母の位牌を奪い、祖母の位牌を仏壇に置いた時の出来事を話す。
その時から父がおかしくなってしまった事も。
「親父の時は葬式しなかっただろ。あの時、火葬場にトウゴさんが来たんだけど、姉貴と言い合いになって、途中で帰っちまったんだ。ひょっとしたら、その仕返しかも……」
「宗教的嫌がらせってヤツか? うへぇ」
「菩提寺も本家にも人はいるんだけど、うちからは距離があるから。元々祖母ちゃんが、寺の付き合いをやってたから、俺とか姉貴は、トウゴさん以外に知り合いはいねぇんだ」
小椋が意外そうな顔をする。
「え、そうなのか? お前も熱心に信仰してるのかと思ってた」
「何でだよ。いつも、嫌だって言ってるだろ」
「だってな……」
小椋がチラッと襖に目をやる。
「毎日仏壇の掃除して、花飾って水替えて、お経も読んでるんだろ? 熱心だろ」
「お経までは読んでない。仏壇の世話だって、やりたくてやってる訳じゃねぇよ」
俺の不満が伝わっていなかったのかと、つい唇が尖る。
小椋はそんな俺に溜息をつくと話を変えた。
「話がズレたな。……それで? 姉さんが暴れて仏壇がメチャクチャになったんだっけ」
「ああ、その辺りは夢だぞ」
とてもリアルな夢で、現実との境目が今も曖昧だけど。
「長谷川さんの位牌に気付いた姉貴が『お前がやったのか』って怒り狂って。そんなの、俺だって知らなかったから、姉貴を宥めてたら、ゴルフクラブ持ち出してきて。それで仏壇をぶっ叩いて壊したんだ。そりゃもう修復不可能なほど、ボッコボコに」
俺の説明に小椋が目を丸くする。
「ゴルフクラブって、玄関にあるあれか?」
「そう、置きっぱになってるヤツ。……そうだ、ちょっと見てみる。思いっきり叩きつけてクラブも曲がったんだ」
二人揃って玄関に向かう。
そこには端にゴルフバッグが置かれている。上部のチャックは閉じられ、外から見ただけではおかしいところは無い。
「……やっぱり、綺麗なもんだよな……」
チャックを開けて中を見るが、揃ったクラブは整然と並んでいる。父が使っていたのだから、それなりに傷はついているが、曲がったりはしていない。
とにかく異常は無いという事で居間に戻る。スマホを見たが、やはりメッセージは既読になっていない。
「姉貴が来たのは間違い無い、と思う」
座卓の上には飲みかけの茶が入った湯呑が二つ。
俺と姉が普段使っている家族用のものだ。小椋がそれを知っているとは思えない。
「だとしたら、俺は荷解きの最中に寝ちまった、のか?」
小椋に起こされた時、激しい頭痛に襲われた。
まさか姉が俺を殴って昏倒させた? いや、さすがにそれなら覚えているだろう。
「……なあ」
小さく呼び掛けられて小椋を見る。
表情が強張っているのは仕方無い。こんな荒唐無稽な話を笑わずに聞いてくれるだけでも儲けものだ。
「やっぱ、引っ越しした方が良いんじゃ無いか?」
「え、いや……何で?」
どうして今さらそんな事を言い出すんだろう。今はそれどころじゃ無いのに。
「何でって……お前、気付いてないのか?」
小椋は何を言ってるんだろう。




