第10話:家への同化
俺は小椋の言葉を頭の中で反芻する。
気付いていない事とは何だ?
「俺が何に気付いてないって?」
「…………」
言い出した癖に、小椋は躊躇して口籠った。
その短い間に言葉を選んでいるのが伝わってくる。
「この家は、おかしい」
奇しくもそれは、姉の言葉と似た内容だった。
そして、俺は同じ返事を返す。
「そんなの今更だろ」
仕来り、前時代的な慣習、……と続けようとして、姉の言葉を思い出す。
『そういうんじゃないの』
(……そうだ。もう、おかしな正道を押し付ける祖母ちゃんと親父はいない。トウゴさんだって、姉貴が強く言ったら来なくなった)
残ったのは、古い家と仏壇と位牌だけ。
これが変だと言うなら、それこそ今更な話じゃないか。
「今までそんなこと言わなかっただろ。何で急に……」
「おかしいのは、家だけじゃない。晶、お前も変わった」
「…………」
淡々とした口調に、思い当たる節は無い。……筈なのに、足元が揺らぐような感覚がする。
「俺は、この家が怖かった」
「じゃあ、なんで言わなかったんだよ」
「古い家だから、その所為だと思ってたんだよ」
小椋にしては強い口調だ。付き合いが長いから、それが怯えから来ているものだと分かる。
「中学ん時、初めてこの家を見て、お化けがいるのかと思った」
「見たのか?」
「何も。……でも、誰かの視線と、威圧されるみたいな音が聞こえた」
「音?」
「ギシッて。……変だろ? あの時外にいたんだぞ」
「うーん」
キシ、
タイミング良く家鳴りがした。その瞬間、小椋の肩がビクリと揺れる。
「ふ、ふふっ、ビビりすぎだ」
古い家なんだから、そこかしこが軋む。俺も子供の頃は怖かったけど、住んでるうちに慣れた。
でも、小椋が怖いなら仕方が無い。
「じゃあ、引っ越せばいいのか?」
「出来んのかよ。ずっと引っ越ししたいって言ってた癖に、いざとなったら嫌がっただろ」
「それは、必要が無くなったから」
「いや違う。出るのを嫌がってた」
驚いた。小椋にはそう見えていたのか。
俺にしてみれば、誰にも見咎められない広い家があるんだから、引っ越しの必要性を感じなかっただけだ。ちょっと古いところにさえ目を瞑れば、家賃はいらないし転職もしなくて済む。
「お前が気にしてるとは思わなかった。俺はただ合理的だと思ってただけで……」
「合理的?」
小椋が苦笑する。
「どこが合理的なんだ?」
「そりゃ広いし家賃もいらないし、転職もしなくて済む。それに……」
悪気は無かったと言い訳する為に、俺は言葉を繋ぐ。
こんな家に居たい筈が無い。ただ都合が良かっただけなんだ。
「毎日、仏壇の世話をして? 庭木の世話も、家事も『ちゃんと』して? 結構な労力だと思うけど?」
「いや、でも。仏壇じまいのアレコレを考えなくて済むし、親父の位牌も守れて、水も花も……」
自分の口から出た言葉が、信じられなかった。
戸惑っているのに、口はするすると当たり前のように言葉を吐き出す。
「……仏壇の掃除にも、いちいち通わなくて良いじゃないか」
(俺は、引っ越しても、この家に通うつもりだったのか?)
愕然としている俺を見て、小椋が溜息を吐く。
「……お前、気付いてる? 親父さんが調子を崩してから、俺の家に泊まらなくなったの」
「それは……」
(だって、泊まったら、誰が仏壇の世話をするんだ……)
続く言葉を口には出来なかった。
背筋にじわりと汗が滲む。
「親父さんが亡くなった時、連れ出せば良かった」
「それは……あの時は、そんな余裕がなくて……」
(違う。……出ようと思えば出れた)
葬式は直葬だったし、仏壇と後飾り祭壇の世話は姉と協力すれば、家を出ていても出来た筈だ。
でも、俺はそれをしなかった。家に残り、仏壇と祭壇の世話をした。父と同じように庭木に水をやり、家を掃除していた。
(跡継ぎなら、当然の事をやっていた……)
「……おれ、……いつのまに……」
この家が、慣習がイヤだった。
当たり前のように跡継ぎとして扱われ、将来を決めつけられるのがイヤだった。
本当の自分を拒否されるのが怖かった。そういう古くて無意味なものから逃げたかった。
だから、小椋と思いが通じ合って嬉しかった。
家も家族も仕事も、何もいらない。むしろ全てを捨てたかった。自由な俺個人として、これからの人生を歩きたかった。
父が死ぬ前なら、それも出来たかもしれない。
「……俺は、この家を、」
ずっと忌々しいと思っていた仏壇。この家の古臭い慣習の象徴。
少し前まで本気で捨てる事を考えていたのに。
今はそれを考えるだけで、畏れで体が震える。
姉は仏壇をぶっ壊した。
俺はそれを見て、ショックを受けて気を失った。あれは、本当に夢だったんだろうか。
「俺は、ちゃんとしなくちゃいけない」
掠れた声とは裏腹に、言葉は澱みなく零れた。
「晶」
小椋が俺の肩に触れ、そのまま抱き寄せた。
「この家は、俺を……嫌ってたんだと思う」
「……うん」
家が人を嫌うなんて、おかしな話だ。普段の俺なら馬鹿馬鹿しいと笑ったに違い無い。だけど、今は腑に落ちる。
俺の恋心に気付いていた家が『ちゃんとしていない関係』を排除しようとしたのは当然だと思えた。
「気付いたのは最近なんだ。それまでは気の所為だと思ってたし」
「……何かあったのか?」
小椋は少し言い淀んでから言葉を続けた。
「俺、ずっとこの家に近付かなかっただろ。まあ、家族がいたからってのが一番の理由ではあったけど」
「うん」
言われてみれば、ただの同級生だった頃、複数人の友人たちと遊んだ時ですら、滅多に近付かなかった気がする。あれはわざとだったのか。
「なんか、苦手だったんだ。住んでるお前には悪いけど、何か、気持ち悪くて、怖くって。……とにかく近付きたくなかった」
「……それで良く、この家に通えるようになったな」
「きっかけはもちろん、親父さんが亡くなった事だよ。恋人を一人にしておけないだろ」
いろいろと覚悟したのに、いざ家に上がり込んだら嫌な気配が全くしなくて拍子抜けしたそうだ。それよりも、父が死んだあと、親族の誰も顔を見せない事に不信を募らせた。全ての面倒を晶一人に押し付けたように感じたと。
「まあ、誰も来ないからって、俺ものうのうと入り浸っちまった。……誰の目も気にしないで晶と一緒にいれるのは嬉しかったし、周りが晶に丸投げするなら、俺たちだって好きにすれば良いとすら思ってた」
「うん」
それは晶も同じだ。
勝手知ったる自分の家で、自由を手に入れた気分だった。
「でも、ふとした瞬間に思い出して。……俺、晶を連れ出すつもりだったんだ」
「え、そうだったのか?」
「……そう思わないよな。俺だって忘れてたぐらいだから。いつの間にかすっごい居心地良くなってたし。まあ、このままでも良いか、ってなって……」
でも、と小椋は続けた。
「お前の姉さんの恋人が亡くなったって聞いて、俺、一気に冷水浴びたように正気になった」
「……」
何だか聞いてはいけないような気がして、心臓がギュッとする。
しかし、止める方法も思いつかない。
「そのあと、お前の姉さんと連絡を取ったんだ」
「え、聞いてない」
俺の心配をしていた小椋は、随分と以前に姉と連絡先を交換していたらしい。なるほど、姉が俺をからかう訳だ。
「恋人が亡くなった人に馬鹿な話をしちまうくらい、俺も参ってたんだろうな。とにかく不安で、俺の考えを否定してもらいたくて……でも、お前の姉さん、俺の考えを否定してくれなかった」
「どんな考えだよ?」
何が言いたいのかハッキリしなくて、まだるっこしい。
「……この家はおかしいと思う、って」
キシ、
家鳴りに、小椋の肩がまた震えた。
しばらく無言でいると、小椋はゆっくりと息を吐いた。
俺を抱きしめている手が震えている気がする。
「小椋、いいよ。分かってるから」
何を言われるのか身構えてみれば、俺がずっと考えてきた事だ。
この家がおかしいのは知ってる。子供の頃から身に染みついてる。言い辛いなら、小椋が無理に言う必要は無いんだ。
「いいや、分かってない」
「お前の姉さんも心配してた。お前がこの家に染まって……取り憑かれてるって」
「…………」
大袈裟だと笑えない自分がいる。
小椋とこうして話していると自分のおかしい所に気付かされる。
普通に過ごしているつもりだった日常が、いつの間にか自然と忌み嫌っていた慣習をなぞっていた。それを意識すると、ゾクリと背筋が冷たくなる。
「……そんなことねぇって」
いつからだ? いつから、当たり前のように受け入れていた?
父が仏壇の手入れをしているところを見て、嫌悪感を抱か無くなったのは。
仏壇を前にして、自然と手を合わせるようになったのは。
暑くもないのに、汗が額に滲む。
「この家を出よう」
小椋が力強い声で言う。しかし、俺は素直に頷けない。
その理由に思い当たる前に、吐き出すように言い訳を並べていく。
「そんな、大袈裟だって。親父に頼まれて習慣になってただけだから。別に俺は仏壇もこの家の事も何とも思ってない。ただ、思ったより処分するのが面倒だったから、住んでる間ぐらいはちゃんとしようと思って……」
俺は必死で自己弁護を始める。
小椋に嫌われたくない。でも、家の事を放置も出来ない。ただ板挟みの気持ちで必死だった。
「この家で会うのが嫌なら、また俺がお前の家に行くし」
俺の話を聞いている小椋の表情は固くて、それに焦りが増していく。
「どうしてもって言うなら、……家を出たって、……うっ!」
ズキン!と強烈な頭痛がした。
「ゔゔっ、痛っい……っ!」
「? どうした、晶っ!?」
あまりの痛みに小椋を突き飛ばして、床に転がる。
「あ゛あ゛っ!! うぐっ!! いだ、いだいぃぃっ!!!」
鈍器で殴られたような鈍く、強い痛みが頭部を襲う。
ガンガンと頭蓋に響く痛みに耐える術は無くて、頭を抱えて足をバタバタするしか出来ない。
痛くて痛くて、悶えているうちに意識が朦朧としてきた。
小椋が慌てて救急車を呼んでいる声が聞こえた。




