第11話:管理者の眼差し
白い、見慣れない天井。
四方は薄黄色のカーテンで囲まれていて、俺は狭いベッドの上に寝かされている。
ああ、これ良くあるシチュエーションだな、なんて、目覚めてすぐのぼうっとした頭で呑気に考える。耳を澄ますと、離れた場所に人の気配がある。
どうやら俺は病院にいるらしい。どれくらい眠っていたんだろう。腕には点滴の針が刺さってるけど、それ以外は特に何も無い。
ぼんやりしているうちに倒れた時の事を思い出した。尋常じゃ無い頭痛だったけど、脳梗塞とか脳溢血とかだったんじゃ無いか?と思って、横になったまま軽く手足を動かしてみるが、特に問題は無さそうだ。詳しくは分かんないけど、まあ、あとで医者に聞けば良いか。
(それより、小椋に迷惑掛けちまったな)
そう思うと、じっと寝てるのはマズい気がして体を起こす。少しふらついて点滴スタンドがガチャンと音を立てた。
「逢坂さん、起きました?」
思っていたより近い場所から声が聞こえた。
シャッとカーテンが開かれ、そこから看護師が顔を出した。
「気分はどうですか?」
「今は大丈夫です。……すいません、俺、ここに来てからどれぐらい経ってますか?」
看護師はテキパキと血圧と体温を計りながら、ここに来た時の状況を教えてくれた。
意識を失った俺は救急搬送されて、検査を受けたそうだ。診断は過労と睡眠不足。それ以外に異常は無く、一晩眠って今は午前中らしい。
「よっぽど疲れてたんでしょうね。若いからって無理しないように。少し休んで体調が悪くなければ、もう帰っても大丈夫ですよ」
俺が寝ていたのは、病室じゃなくて処置室だった。どうりでベッドが小さいと思ったら、ストレッチャーだった。入院なんかした事無いから、分からなかった。
カーテンを閉めて医師と看護師が去っていった。
訪れた静寂の中、しばらく休んでから帰ろうと思った。
(そういや、小椋は……?)
辺りを見回すと、ストレッチャーにくくりつけられたビニール袋にスマホが入っていた。『迎えに行くから、病院で待ってて』と小椋からメッセージが入っていて、ホッとする。とりあえず支払いの心配はしなくて良さそうだ。
続けてスマホを操作して、姉からの応答が無いのも確認した。
(家に戻ってたら良いけど……)
念の為にもう一度だけ姉にメッセージを送る。昨日から十数回送ったメッセージに履歴は付かない。
「すみません。逢坂さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
ゆっくりカーテンを開けて、入ってきたのはスーツ姿の同い年くらいの男性だった。
「初めまして、新任のトウゴです」
「えっ、トウゴさん?」
思わず男の顔をじっくりと見てしまった。
俺の知るトウゴさんと全く似ていない。小柄だったトウゴさんと比べて体が大きいし、何より顔つきが違う。柔和な表情のおじさんだったトウゴさんと違い、この男性はつり目で冷たい印象を受ける。
「ひょっとして、息子さん?」
「いえ、違います」
(違うのか? でも、トウゴって、珍しい苗字だし、親戚? 俺に何の用事で?)
疑問でいっぱいの俺に男は薄く笑った。
目が全然笑ってなくてちょっと怖い。
「あ、ひょっとして、トウゴって苗字だと思ってました? 東に護ると書いて『東護』なんですよ」
「えっ、知らなかった……じゃあ、トウゴさんは?」
「前任者は異動になりましたよ」
さらっと言われて、言葉に詰まる。
「僕は人手不足でこちらに回されたんです。前任者は逢坂の親族だったんですよね。……お役目の事も教えてなかったなんて、やっぱり身内には甘くなるのかなぁ。……やっぱり担当者変更は妥当だったのかなぁ……はぁ……」
東護はさも憂鬱そうに溜息をついた。
しかし、知らない事を言われても困る。
「あの、えっと、東護さんって呼んでいいですか? 今日は何の用で?」
「倒れたって聞いたので。今、一人暮らしでしょう? ご挨拶がてら、何か困ってる事が無いかと思って」
「まさか、それもお仕事ですか?」
「そうですよ。檀家の面倒を見るのが東護のお役目なので」
「知りませんでした……」
東護というのは役職名だったのか。
トウゴさんが移動になったという事は、もう会えないんだろうか。最後に会った時の様子を思い出して、何とも言えない気分になる。
(ここで流しちゃいけない。もう興味が無いで済ませたら駄目なんだ)
しっかりと東護に視線を合わせて、疑問を口にした。
「……俺が倒れたのを、誰に聞いたんですか?」
やってきたのがトウゴさんだったら、亡くなった従兄弟の息子が倒れたと聞いて駆けつけた、と思えた。でも、この『東護』は違う。
俺の知らない、檀家だけの情報網でもあるんだろうか。俺はいろんな事を知らなさ過ぎる。トウゴは教えてくれなかった事を、聞き出せるかもしれない。
「まさか、俺の家を見張ってるなんて事は無いですよね?」
「…………」
東護は俺の言葉に沈黙する。
しかし。
「あー、やっぱ性に合わん。敬語やめっ」
いきなり変わった声のトーンに目を丸くしていると、東護は端に置いてあった椅子を引き寄せて座った。距離がグッと近くなる。
今は人が居ないが処置室だ。他人に聞かせたくないのだろうと察した。
「ボロ出す前に言うけど、僕、東護のお役目は初めてなんだよ。元々そういう家系なんだけど、もっとオジサンになってからやる筈だったのに、人手が足りないって言うからさー」
「そ、そうなんだ」
東護は馴れ馴れしい態度で話し始めた。釣られて俺も敬語が外れてしまう。
「晶さんはお役目の事、ほとんど分かってなさそうだけど。まあ、僕も似たようなもんでさぁ。最低限の知識だけ詰め込まれて、いきなり現場投入だよ、ホント参ったよ」
「ええと、じゃあトウゴさん、あ、前のトウゴさんは、なんで移動になったんだ?」
「うーん。前任者の事はほとんど聞いてないけど……」
東護は腕を組んで考える。こうして見ると、同年代の普通の青年にしか見えない。
「多分、失格になったんだろうなぁ」
「失格って」
「檀家の管理に失敗したって事。東護のお役目って、結局はそれがメインだから」
「……やっぱり、俺の家って管理されてたのか?」
「宗派的には堅苦しい事も、干渉も無いと思うけど? ……ちゃんとしてたら、東護の役目なんて、せいぜい菩提寺との付き合い代行ぐらいだよ」
東護の言葉に、ぎゅっと手を握る。
(大丈夫。俺は『ちゃんとしてる』筈だ)
「……母さん、祖母ちゃん、親父と立て続けに亡くなって、本当に何も知らないんだ。仏壇の世話ぐらいは見様見真似でやってるけど……」
「まあ、そっちは大丈夫だと思うよ。仏壇を粗末に扱うと不幸になるって言われてるだけで、特に決まりは無いし」
「不幸……うち、短い間に三人死んでるんだけど」
「あー」
東護が困ったように眉を下げる。
「それは、……ごめん、無神経な事を言った。でも、仏壇の所為じゃないと思う」
「ううん。分かってる。……それに、祖母ちゃんはもちろんだけど、母さんも親父も別に仏壇を粗末に扱ってた訳じゃないし」
はあ、と東護が溜息をつく。
「……今日、僕が来たのはさ。晶さんに釘を刺す為だったんだ」
「え?」
東護は罰が悪そうに頬を掻いて、小さな声で話す。
「僕、別に偏見とか無いし、正直、馬鹿馬鹿しいと思ってるんだよ。でも、お役目だし……言おうかどうか迷ってたんだけど……」
(……まさか、小椋の事、バレてるのか?)
言い難そうな態度に続く言葉を予想してしまう。
ドキドキと心臓が脈打ち、手汗が滲んだ。
「跡取りとして、ちゃんと結婚して子孫を残せって」
「……それは」
出来ない、と言おうとした瞬間、東護の人差し指が唇に当たる。
「言わなくていいよ」
「…………」
東護がニヤリと意味深な笑顔を浮かべて、小声で言った。
「どうせなら、もっと上手くやれって」
「はあ……」
思わず肩の力が抜けた。
どうやら、トウゴのように笑顔で正道を押し付けてくる事は無さそうだ。だから、トウゴには聞き辛かった事を聞いてみようという気になった。
「……聞きたい事があるんだけど」
「うん、何?」
「うちの位牌が、知らないうちに入れ替わってたんだけど、何か知らないか?」
「位牌? 誰と誰のを?」
「父のと、姉のなんだけど」
「姉? 確か、家を出てなかったっけ?」
「そう。でも、昨日戻ってくる予定だったんだけど、行方不明で……」
「んん? 詳しく教えて」
俺は東護に詳細を話した。
夢だと思うと前置きして、長谷川の位牌の事、姉が仏壇を破壊した事も含めて。
「で、小椋が来た時には、姉貴の名前に変わってて……」
「…………」
説明をしているうちに、東護の表情が真剣なものに変わっていった。張り詰めた空気に、話してはいけない内容だったのかと不安になる。
だけど、ここまで話して止める訳にはいかない。東護は俺の話を無言で聞き続けた。
「……で、起きたら、ここで寝てた」
「……」
全てを話し終わると、東護は腕を組んで俯いた。
静寂が辺りを包む。
「……お姉さんは」
ようやっと東護が顔を上げ、重い口を開いた。
視線はリノリウムの床をじっと見据え、表情は能面のようだ。
「もう、戻ってこないかもしれない」
「まさか」
笑おうとしたが、口元が引き攣っておかしな顔になった。
冗談と思えなかったからだ。
「……死んだのか?」
自分の声なのに、他人のような響きだった。




