第12話:禁忌の代償
(姉貴が死んだ……?)
晶は口に出した事で、それが現実になったような気がした。
(いや、待て。……あり得ない)
さすがに冷静になって、不穏な思考を振り払う。
確かにおかしな事が続いているけれど、それは自分が体調不良だったからだ。いくら何でも、姉の死と直結させるのには無理がある。
そう思いながらも、指先の震えが止まらない。
得体の知れない恐怖に体が竦む。
(こんな、初めて会った男の言う事なんて、信用出来ない。……調子が悪いから、気弱になってるだけだ)
理性が冷静になれと歯止めを掛けてくるが、悪い事ばかりが浮かんできて、恐怖が収まらない。
立て続けに喪った家族が、死は身近なものだと教えてくれた。
「お、おいっ」
ふらっと傾いた体を東護が慌てて支えて、ベッドの上に寝かせる。
頭痛はしなくて、だからこそクリアな頭で思考する。ショックを受けている場合じゃ無い。
「と、東護さん……」
自分でも驚く程に弱々しい声だった。
「ごめん。軽率だった」
「……姉貴はどこに?」
何もかもから逃げ出したい。でも、今逃げたら手遅れになるかもしれない。
気力を奮い立たせて、東護に縋る。
「いいから、落ち着いて。こういう時の為に俺が居るから」
「でも、」
「お姉さんの居場所は分からない。……ただ、修行中に同じような話をたくさん聞かされた。年代ものの教本に、延々と現報について書かれてた」
「現報……」
昔、祖母ちゃんに何度も言い聞かされた。
現世での行いの仏罰を現世で受けるって事、だった筈だ。
「姉貴が、……仏罰で死ぬ? まさか……」
「僕だって、現報なんて信じてない」
カチカチと歯を鳴らす俺を宥める東護の手も震えている。
二人とも現報なんて信じていないのに、身に染み付いた教えが心を責め苛む。
「じゃあ、同じような事があったんなら、……その人たちはどうなったんだ?」
「……それは」
東護は言いかけて、記憶を探るように目を閉じた。
「位牌を持ち出したり、破壊したりした人は、……死んでる」
「…………」
予想していた通りの言葉に、絶望が広がる。
「ただ、それが事実かどうかは分からない。……昔の事で僕には確認しようが無いし。そもそも、教本だから、都合の良い内容だけを書いてると思うし」
晶の顔色を見て、東護は言い訳をするように言葉を重ねる。
実際に、教本とされている古い和綴じ本を読んだ時は、全く信じていなかったのだ。
「じゃあ、姉貴の位牌は、誰が持ってきたんだ……」
「……僕じゃない」
東護は考える。
宗派の位牌は特徴のある形状で、昔から菩提寺が作るものと定められている。だから、晶が見間違える筈は無い。
すなわち、晶の姉の名前が書かれた位牌は、間違いなく姉本人の位牌、という事になる。
東護の脳裏に古くて小さい菩提寺の本堂が浮かぶ。
蝋燭と線香で燻されて黒くなった年代ものの御本尊の脇に、ずらりと同じ形の位牌が並んでいる。全て亡くなった人のもので、各家での役目を終えて集められたものだ。
そして、その奥にある立入禁止となっている小部屋には新しい位牌が並んでいる。そこにある位牌は生きている人のもので、檀家の全員分が前もって用意されている。それを本人が亡くなった時に届け、代わりに元あった位牌を回収するのが東護たちの役目だ。
しかし、生きている人間の位牌を持ち出すなんて、聞いた事が無い。
「じゃあ、やっぱりトウゴさんが」
「あの人には無理だ。……代替わりしてすぐに歩けなくなった」
「え……」
そんなの聞いていない、と晶は言おうとして、そもそも父が死ぬ前から本家と連絡を取っていない事を思い出した。
「あとはお姉さん本人か……」
「は? 姉貴がそんな事するかよ」
しかし、考えてみると、確かに姉なら可能なのだ。
姉が仏間に入って、仏壇に手を合わせ、蝋燭に火を着けた。
その間をずっと見張っていた訳じゃなかった。それに、長谷川の位牌を見付けたのは姉だ。
ひっくり返った仏花の水を拭いている間も、視線を外していた。
(でも、姉貴にそんな事をする理由が無い)
俺は再度スマホを手にして、姉からの返信が無いのを確認する。
『姉貴、どこにいるんだ』
『返事しろよ』
苛立ちのまま送信しても、履歴は付かない。勢いで『死んでないよな』と打ち込んで慌てて消す。
『無事かどうかだけでも、教えて』
やはり既読の付かない画面に溜息を吐く。
ゆっくりと視線を上げると、東護は疲れたような苦笑を浮かべていた。
「新任早々、ヘビーな案件だよ……」
東護はパンッと乾いた音を立てて自分の両頬を打った。それに驚いていると、東護は表情を引き締めた。
「……よし。僕は一度菩提寺に行ってみる。お姉さんの手掛かりがあるかもしれないし」
「分かった」
頷くと、東護は俺のスマホを取り上げて、ささっと操作する。
「はい。僕の連絡先登録したから。何かあったら連絡してきて」
「……うん。でも、俺はどうしたら……」
東護と話す事でクリアになってきた思考が、今後の事を忙しく考え始める。
警察に姉の捜索願いを出した方が良いのだろうか。姉の友人や元勤め先、長谷川さんの実家にも連絡を取って……。
「お姉さんが戻ってくるかもしれないから、晶くんは自宅にいて。そういう気分にはなれないかもしれないけど、出来るだけいつもと同じ生活を送って。探すのはこっちで何とかするから」
「……うん」
正解の分からない状況に、とりあえず東護の指示通りにしようと決めた。
「正直、僕も何が起きているのか確信は持てない。だけど、万一の事を考えて、出来るだけ波風は立てたくない」
「万一って?」
東護は声のトーンを落とした。
「さっきも言ったけど、僕は現報だの仏罰だのを信じてない。ただの慣習のようなものだと思ってる。……誰かが死んだり病気になったりしても、それを宗派の教えにこじつけてるだけだと」
「俺も、そう思う」
「……ただ、説明の付かない事がある。位牌の事、キミが見た幻覚、お姉さんの失踪。……現報だと思えば、一発で説明が付いてしまう」
東護の言葉に、ゾワゾワと不安が大きくなっていく。
「信じてはいなくても、何が禁忌で、破ったら何が起きるのかは叩き込まれてる。そんなこと、ある訳無いと思っていても、刷り込まれてる」
(それも俺と同じだ……)
毎日仏壇の世話をして、家の手入れをして、正しく生きる。
そうじゃない生き方があると分かっていても、そこから外れるのが怖い。あんなにも古い家から出たかったのに、いざ出るとなると踏ん切りが付かなかった。
「あのさ、」
俺は気になっている事を聞いてみる事にした。
「……現報って、菩提寺の誰かがやってるって事は無いのか?」
「え?」
「アンタを疑ってるんじゃない。寺の、誰か別の……」
教えを守らないと罰が下る。
それが偶然じゃ無いと言うなら、誰かが動いている筈。そう考えるのが自然だろう。
しかし。
「ぶっ、あはははっ!」
東護は吹き出すように笑った。
思ったより大きな声になってしまったのか、慌てて口を手で塞ぐ。
「……そっか、本当に菩提寺に行った事無いんだな」
「うん」
「……山の中にある小さな寺だよ。住職は一人。周辺の村落も過疎化が進んで檀家の人数も減る一方。しかも、高齢者ばかり。……そんな状態で、誰が、どうやって、御仏の代わりに現報を?」
口元を引き攣らせて、東護が問う。
「……知らなかった」
「僕みたいな経験の浅いのが東護になったのも、人が居ないからなんだよ」
パタパタパタ……と処置室の向こうで足音が響いた。それが遠ざかるのを待って、東護は言葉を続けた。
「……菩提寺周りだけの話じゃない。元々東護が守っていた檀家の数は多くあったのに、今じゃ数軒しか残っていない。しかも、逢坂家を含めて、どこの家もいつ断絶してもおかしく無い有様だ」
「そうなのか……」
「檀家が減っていくのが自然の流れで、『正道』だと思ってたんだ。そうすりゃ自然と僕もお役御免になるだろ?」
(分かる……。勝手に減っていくなら、余計な事はしたく無い、よな)
「寺でも、檀家でも無いなら、うちの本家は……?」
「僕の話を聞いてた? 逢坂家の本家筋に当たる八之峰家はもう、歩けない元東護と高齢の爺さん一人がいるだけだぞ」
「ええ? 確か、親父の従兄弟連中とか、たくさん……」
途中まで話してから、ヒュウッと息を吸い込んだ。
「…………ふたり、だけ?」
本家には、ほんの小さい頃に行っただけで、記憶は朧げだ。
だけど、どっしりとした和風建築の大きなお屋敷だった気がする。人数こそ覚えてないが、父の従兄弟たちやその子供、祖父母たちが集っていたと思う。
「そ、それは、若い人が進学や就職で都会に出たからだろ?」
過疎化の進む村では良くある話だろう。通える学校が近くに無く、仕事も無い。そして一度出て行った若者は村に戻って来ない。
俺も進学するなら一人暮らしをするしかなかった。山奥の村なら尚更そうだろう。
「……かもな。けど、住んでる人が減って、減った人の位牌が本堂に並んでるのは確かだ」
(また位牌だ……)
東護の話をどう受け止めて良いのか分からない。
とにかく、本家がそんな状態なら、分家である逢坂家を構ってはいられないだろう。じゃあ、全ては現報だと言うのか。
「小椋くんだっけ」
唐突に言われて顔を上げる。
「さっきは上手くやれ、なんて言ったけど。……悪いが、しばらくは会うのを控えた方が良いと思う。何か起きてもイヤだろ?」
「正道じゃない、からな……」
「あー、僕だってこんな事言いたくないんだよ。……何だってんだよなぁ」
東護は頭をガシガシと掻いて、顔を顰める。
「まーったく信じてないけど、もし、もしもだぞ。もし、現報だったら、お姉さんの恋人のような事が起きるかもしれない。信じてないけど」
「……俺も信じてないけど」
お互いに言い聞かせるように、信じてないを連呼する。
それでも。
「何かあった時に後悔したくないから、……そうする」
もしも、長谷川さんのように、小椋が死んでしまったら、なんて。……想像する事すらしたくない。
何があっても、小椋だけは危険に晒すつもりは無い。
「……はぁ、ともかく、晶くんは今まで通りにやってくれ。あと、今ある位牌は絶対に持ち出すんじゃ無いぞ」
俺が頷くと、東護は時間を確認して立ち上がった。
「何か分かったら連絡する」
東護は慌ただしく処置室から出て行った。
「はあ……」
俺はどっと疲れて、再びストレッチャーに横になった。
もう一度スマホを見るが、姉へ送ったメッセージはやはり既読になっていなかった。
(現報なんて、ある筈ない……絶対に、ない)
もしも、を考える事すら馬鹿馬鹿しいと思う。だけど、どうしても不安になってしまう。
ただ一つ、決心した。
(小椋と、別れよう……)
信じてはいないけど、万が一でも。もしもの事を考えたら、このままではいられない。
小椋が死んでから後悔したって遅いのだ。
それをあり得ないと断じられない。
それほど、死は身近にあった。




