第13話:消えゆく自我
東護が去って、しばらくは考え込んでいたけれど、また眠っていたらしい。
ゆさゆさと体を揺すられて、気が付いた。
「おい、起きれるか?」
「……あ、小椋?」
目を開けると、仕事帰りだろうスーツ姿の小椋がいた。
「うん、大丈夫」
ゆっくりと体を起こすと、体は大分楽になっていた。
「悪い、どうしても抜けられない仕事があって」
「いや、忙しいのに悪いな」
ストレッチャーから立ち上がると、ふらつきは無かった。
病院を出る前にトイレに寄ると、洗面所に映る自分の姿にギョッとした。頬がげっそりと削げ、目の下の隈も酷い。
(酷い顔だな……)
支払いは小椋が済ませてくれていたようで、俺たちは車で帰路についた。
姉の事があるのですぐにも家に帰りたかったが、東護から聞いた話を小椋に相談したかった。
「…………」
見慣れた道の風景を車窓から眺める。
西に傾き掛けた陽光が街を照らし、その明るさに目を細めた。
(何か、いろいろとおかしい……)
倒れた後だからかもしれないが、やけに体が重い。医者には疲労と睡眠不足と言われたが、心当たりが無い。確かに、姉が帰ってくるからと部屋の片付けはしたけど、その程度の事しかしていない。
だというのに、サイドミラーに映る顔色は悪く、スマホを持つ自分の手首がやけに細い。
(別に仕事は忙しくないし、家事も大した事してないし、何ならサボったりしてるし……あれ?)
飯、最後に食ったのって、いつだっけ?
昨日の晩は倒れて食ってない。姉の事があって昼も。朝は……その前日は?
思い出そうとしてもハッキリしない。
(まだ本調子じゃないのかな。頭痛はすっかり何とも無いのに)
「……あっ」
(そうだ、仕事……!)
慌ててスマホを確認するが、連絡は入っていない。一分でも遅刻すればすぐに電話が入るから、休みだったんだろう。
ホッとしてシートに沈み込む。
(今日って休みだったっけ? スケジュールが思い出せない……あとで確認しないと)
「どうした?」
「あ、ごめん。今月のシフトが思い出せなくて」
「え?」
運転しながら、小椋が訝しげな顔をする。
「あー、ごめん。なんか、まだちょっと調子悪いみたいで」
俺がシフトを忘れるなんて、小椋も驚いているんだろう。俺も自分で驚いてる。
ヤバいな、マジで体調不良だったんだな。そんなに忙しくしてるつもりは無かったのに。
(……そういえば、今日は何曜日だ?)
小椋が仕事に行ってたって事は、平日か? こんな時間に来てくれたって事は半休を取った? スマホで日付を確認すると、火曜日だ。
「ごめんな。平日なのに」
「気にすんなって。午前中はちょっと抜けれなかったけど、有給余ってるし」
「なら、良いけど……」
「腹減ってないか? お前、全然食ってないだろ? 俺も昼飯まだなんだ」
小椋の提案を聞いて、丁度良いと思った。
時間を置くと、折角の決心が鈍るかもしれない。その前に、ちゃんと自分の言葉で伝えたい。
正直、空腹は感じていなかったが、家で話すのが怖かったから。
「そうだな、何か食おう」
車は交差点を曲がって幹線道路に入り、適当なファミレスに入った。
「何でも好きなもん食えよ」
「うん」
ファミレスなんて来たのは何年ぶりだろう。子供の頃は良く行った気がするけど、最後に行ったのは小椋と友人たちと行った時だ。成人してからはもっぱら居酒屋に行っていた。
ずらりと並ぶ華やかなメニューを見ても、イマイチ食欲が湧かない。でも、食べなきゃマズいのは分かってるので、適当に軽そうなものを数品選ぶと、小椋も適当に注文した。
「おー、旨そう」
「頼みすぎじゃないか?」
サンドイッチに温野菜のサラダにハンバーグにパスタ。期間限定の豆と野菜の煮込みとフライドポテト。次々と届く料理でテーブルはいっぱいになった。
小椋が小皿をもらって、当たり前のように俺の分も取り分けていく。それを見ているだけで楽しい気分になる。
店はそこそこ混んでいて、別れ話が出来る雰囲気じゃない。だったら、今は美味しく食事を楽しもうと思った。そう考えたら食欲も出てきた気がする。
料理を頬張っていると、にこにこした小椋が俺を見ていた。
「お前が飯食ってるの見ると安心するわ」
「何だよ、それ」
「最近、あんま食ってなかっただろ」
「そうだっけ?」
小椋は豪快に料理を口に運んでいる。さすがは体育会系。一口がデカい。
「そうだよ。お前ん家で一緒に食っても、お前、ほとんど食わないだろ」
「お前が大食いなだけだって」
「いーや、お前また痩せただろ」
言われて咄嗟にフォークを持っていた手を引く。
「そりゃあ、一人暮らしになってから、飯に頓着してなかったのは認めるけど……」
食べながら話すのは行儀が悪いので、ちゃんと飲み込んでから話そうとすると、会話は自然とゆっくりになる。
そんな俺を見て、小椋も嬉しそうな顔で黙々と食事を続けた。
「デザートも食うか?」
「いや、さすがにお腹いっぱい」
二人掛かりで、ゆっくりとだがほとんどの皿を空にした。
たくさん食ったし、すごく美味かった。久し振りに料理の味を感じた気がする。
「コーヒーで良かったか?」
「うん、サンキュ」
二人分のコーヒーをドリンクバーで淹れて、小椋は向かい合わせだった席を隣に移動してきた。賑やかな店内では声が聞き取りにくいからだろう。
子供が騒ぐ声が店内に響いているが、不思議と不快感は無い。
「賑やかだな」
「煩い場所で悪いな。お前と話すなら、人の多い場所にした方が良いと思って」
へえ、とコーヒーを一口飲んだ。
小椋も俺に話があったのか。
(まあ、確かに。人がいっぱいいる方がホッとするな)
普通、話をするなら静かな場所を選ぶものだろう。だけど、小椋の選択に同意する自分がいる。多少、聞き取り難くても、今は人混みに紛れる方が安心する。
俺の家はいつも静かだ。一人になってからは特にそうだけど、その前からあまり話をする家族ではなかった。一番良く話した姉ともお互いの部屋以外では声を潜めていた。
だから、どんな小さな音も良く聞こえた。
「お前を家に帰さないで、このまま俺の家に連れて行こうと思ってた」
思わず小椋の顔を見た。隣に座っている所為で距離が近い。
緊張している顔には何だか余裕が無い。
(え、嬉しい)
するっと感情が溢れた。
が、口にする前に何とか思い留まれた。
別れようとしている相手に何を考えてるんだ、俺は。
「……それは、困る」
俺の返答に小椋は唇を噛んだ。
その顔を見て胸が痛む。だが、そんな幸せを享受する訳にはいかない。
たぶん、おそらく、……そんな推量を含んだ曖昧なものだけど。それでも本能が確信している。
俺が家を出るのは悪手だ。
小椋が側に居れば、きっとその巻き添えを食らう。
(付き合うのも駄目だったんだろうけど、……家を出たら、完全にアウトだろうな)
「あっ、それ、俺のっ!」
「キャハハハッ イチゴもーらいっ!」
「もう、アンタたちうるさいっ!」
ザワザワ、ガヤガヤ……カチャン、カチャカチャ、ザワザワ……
急に周囲の喧騒が大きくなった。
「……ううっ」
話し声、笑い声、食器の触れる音ががんがんと頭に響いてきた。ヤバい、また頭痛がしてきた。
しかし、そんな俺には気付かず、小椋は思い詰めた顔で話し続ける。
「……ずっと心配だったんだ。お前、仕事辞めてからずっと家に引き籠もって、外に出たがらないし……」
(辞めた? え、誰が?)
カシャ、ガッチャーン!!
食器を落としたのか、大きな音がした。続く子供の泣き声。
周囲の音が段々大きく聞こえてきて、声が聞き取り難い。俺は小椋の近くに寄って耳をそばだてる。
「飯もいつ食ってんのか分かんなくて、どんどん痩せていくし。病院に行こうって言っても梃子でも動かないし……前はあんなに家を出たがってたのに、家と仏壇の事しか言わなくなって……」
「……」
(俺、そんなだっけ……?)
重苦しい口調を聞きながら、自分を内省してみるが、全くそんな覚えが無い。
「無理矢理にでも病院に連れて行けば良かったのに、そんな事、思いもしなかった。それに気付いた時が、……一番怖かった」
恋人とはいえ、小椋がそこまで面倒を見る必要は無いだろう、と言おうとして既視感を覚える。……心当たりがあった。
父の介護に苦労していた頃、何故か誰にも頼らなかった。考えもしなかった。父の死後にやっと思い当たって、呆然とした記憶がある。
きっと、無意識に、あの家に他人を介在させたくなかったんだ。
だけど、俺は父とは違う。
『ちゃんと』一人で生活出来ている。だから、小椋の思い過ごしだ。
「大丈夫だって、俺、ちゃんとしてるし」
小椋が首を左右に振る。
弱々しいけど、自分の意見を曲げるつもりの無い態度に、困惑してしまう。小椋は俺の事をそんな風に思っていたのか。
「だから、倒れた時は驚いたけど、検査してもらって正直ホッとした」
「なんかゴメン……?」
実感は無いけど、心配されていたのは確かだろう。俺が肩を竦めつつ、上目遣いで見上げると、小椋は疲れ切ったような顔で苦笑した。
「ああ、なんか、いつもの晶だ」
「ええ……?」
(俺、どんなだったんだよ?)
確かに、病院のトイレで見た自分の姿は異様だったけど。目の前にあるカップを持つ手はガリガリで、皮膚もハリがなくてくすんでいるけど。
いつから、というより、何でこんな風になってるのかも分からないけど。
「あ、それより、俺の仕事、」
「あれも急だったから驚いた。相談くらいはして欲しかったけど。体調不良じゃ仕方ないしな」
「……ちょ、待って」
聞き間違いだと思って、確認しようとしたのに。
(仕事を辞めた? 俺が? まさか……)
慌ててスマホでスケジュール表を開ける。シフトが表示される筈のそこは真っ白だった。
(いや、今月はまだ入力してなかっただけだ……)
真っ白なスケジュールを、先月、先々月と遡っていく。
続く、白、白、白……。
(嘘だろ……)
やっと出てきたスケジュールは七ヶ月も前のものだった。
それ以降は今日の日付まで何の予定も入力されていなかった。
「それじゃ、俺、毎日、何して……」
朝起きて、仏壇の世話をして、……そのあと、仕事に行って。
……行ってた、よな?
「晶?」
小椋が不審そうな顔をしている。そうだ、聞けば良いんだ。
「俺、仕事辞めたって、本当か?」
「は? 何を言ってるんだ、今さら……」
言いながら、小椋の顔が強張っていく。
「まさか、……覚えて無いのか?」
足元が崩れるような気がした。




