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第14話:守るための決別

 

 ハッ、ハッ、と自分の呼吸が乱れている。

 

(何が、どうなって……?)

 

 おかしいと思った事は何度もあった。

 それを気の所為だと飲み込んで日々を過ごしてきた。

 

 母が死んで、祖母が死んで、父が死んで……

 気付けば一人、家で仏壇の世話をして、庭木の手入れをして。

 

 家鳴りを聞くと、誰かがいるような気がして。

 傷んだ雨戸を修理して、襖に蝋を塗って、割れた窓ガラスを修理して、縁側に油を塗って……いつ、帰ってきても良いように。

 

 帰ってくる?

 

 ……誰が?

 

 

 キシ、

 

 

 

 

 

 

「お前……」

 

 小椋が悲痛な表情を浮かべている。

 だけど、言葉が出てこない。どうするべきなのか、それだけは分かっているのに。

 

(このままじゃ、小椋まで道連れになっちまう)

 

 ほんの少しの危険にも晒したくなかった。

 だから東護の提案にも納得した。だからといって、現報を信じてる訳じゃなかった。

 

 じゃあ、今の状況は何だ?

 現報じゃないなら、俺は狂ってるのか?

 

 

「やっぱり、あの家から出た方が良い」

 

 小椋の言葉にゆっくりと目線を合わせるが、頭の中は混乱したままだ。

 

(俺は、今まで何をやっていたんだ……?)

 

 父が生きていた頃は良かった。嫌でも介護や通院の付き添い、細々とした家事といった作業が一日のリズムを作り、日付を意識させていた。

 でも、今は……惰性の日々をなぞっているだけ、なのか。

 

「俺と一緒に行こう」 

「…………無理だ」

 

 やっと出たのは、自分でも弱々しいと感じる声だった。

 

「しばらくだけで良いから、このままじゃお前、また倒れて……」

 

(駄目だ。無理なんだ……)

 

「……俺は、……あの家から、出ていけない」

「晶……」

 

(俺が逃げたら、小椋まで……)

 

「俺があの家に住むのが、一番安全なんだ」

 

(あの家で、正道に沿って生きる。そうしないと、みんなが不幸になる)


「せめて、今晩だけでも」

「駄目だ」

 

 魅力的な提案に心が揺れる。

 同時に、警鐘が鳴っている。

 

 草臥れた父が背を丸めて仏壇を眺めていた。濁った目からは何を考えているか読み取れず、日に日に痩せ細っていくのを眺めるしか出来なかった。

 今思えば、父も仕事を辞めた事すら覚えていなかったのかもしれない。それぐらい、親子の会話は無くなっていた。

 

 きっと俺も同じ目をしているんだろう。

 今、こうして話せているのは、家から離れているお陰か。誰より自分が信用出来ない。

 

 だから。

 

 

「別れよう」

 

 正気のうちに伝えないといけない。

 家に戻ったら、どうなるか分からない。

 

 俺は既に取り込まれているんだろう。きっともう逃げられない。

 でも、小椋が助かるならそれで良い。

 

「姉貴の恋人も死んだんだ。このままだと、小椋だって死ぬかもしれない。でも、俺が跡取りとしてちゃんとすれば、まだ間に合うかもしれない」

 

 話しながら思考がまとまっていく。そうだ、姉貴は間違ってしまった。

 俺は小椋に死んで欲しくない。だから別れるのは正しいんだ。

 

 小椋はしばらく無言で、じっと俺を見ていた。

 しかし、俺の意思が強いと観念したのか、一度ゆっくりと目を閉じた。

 

「……分かった」

 

 返事をする瞬間、小椋は悔しそうに顔を歪めた。だけど、はっきりと頷いた。

 

 

「キャーー! キャハハハッ!」

「こらっ、座ってなさいっ!」

「私も、オレンジジュースっ!」

 カチャカチャ、ガヤガヤ……

 

 小椋が同意した瞬間、周囲に音が戻ってきた。

 そこでファミレスの喧騒の中にいたのを改めて思い出す。

 

「はぁっ」

 

 無意識に止めていた呼吸が戻る。

 ぱちぱちと数度瞬きして、周囲を見渡す。賑やかな気配の中にいて、ついさっきまで感じていた異様な危機感が霧散している。

 

「晶……」

 

 小椋も呆然としている。

 思わず顔を見合わせて、じわじわと体温が戻ってくる気がした。

 ――呼吸が、楽になった。

 

「……え、なに、これ?」

 

 気が抜けて、ベンチソファに沈み込む。

 小椋も何かを体感したのか、しばらく黙り込んだあと、のろのろとドリンクバーで新しい飲み物を取ってきた。

 

 その後、東護から処置室で聞いた話を小椋にしたり、今までの出来事をお互いに確認しあったりした。正直、別れ話の後の空気じゃなかった。

 

 結果、俺の記憶は酷い虫食い状態だった。

 

 小椋によると、父の死後、俺は家を出る事になっていたらしい。

 借りるアパートの内覧も済ませ、契約する寸前になって俺はいきなりキャンセルした。その理由を尋ねる小椋に、俺は人が変わったように激昂し、それで小椋は引っ越しさせるのを断念した。

 その後しばらくはギクシャクしたそうだが、頑なだった俺に小椋が折れた。目を離している間に、俺はどんどん窶(やつ)れていき、外出しなくなった。それを心配した小椋は俺の家に通い続けた。

 

 ある日の事だ。俺に会いに家に来た小椋が、たまたま玄関の鍵が開いていたから、そのまま家に上がろうとした。

 引き戸を開け、一歩、玄関に足を踏み入れた瞬間、心臓を握られたような激しい痛みを感じて、弾かれるように外に出た。冷や汗をかきながら、顔を上げると玄関扉は閉まっていた。慌てて勝手口に回って恐る恐る扉を開けると、無表情の俺が「おかえり」と言ったそうだ。

 

 全く覚えが無かった。

 

 俺の異様な様子に、何度も病院に連れていこうとしたそうだ。しかし、その都度、俺に拒否され、気付けば会社も辞めていたそうだ。

 

 放っておくと俺は飯もろくに食わず、いつ眠っているのかも分からない。小椋自身も段々と麻痺してしまい、ただ暇を見付けては俺の家に来るしか出来なかった。

 

「……悪い。そりゃ、心配もするよな……」

 

 憑き物が取れた気分で、俺はそう言うしか無かった。

 全く覚えは無いし、自分の事とは思えないけど。こうも露骨に『正道』を突き付けられては、疑いの余地が無い。

 

 

 

 どれぐらい話し込んでいただろう。

 混んでいた店内は少し空いてきていた。また夕時になると混み始めるだろう。

 さすがにコーヒーは飽きたので、メロンソーダをおかわりしてきた。ズズッとストローで吸い上げると、炭酸が喉を刺激する。

 

 もう話す事が尽きたのか、小椋は口もつけずにコーラの泡をじっと眺めている。その横顔を見て、何か久し振りにじっくり顔を見た気がする。自分もだけど、小椋も随分と疲れて見える。

 

(すげー迷惑掛けちまったな……)

 

 俺がおかしかったのは間違い無い。

 記憶の混濁以前に、こんなにも小椋に負担を掛けて、何も感じなかったなんて信じられない。でも、別れた事で少しは好転したと思いたい。

 

「心配なのは変わんないけど。ちょっとホッとした」

「うん……」

 

 別れ話の後とは思えない穏やかな空気が流れる。

 ちょっと、いやかなり切ないけど、それでも安心した気持ちの方が上回る。

 

「じゃあ、行くか」

「うん」

 

 伝票を持って立ち上がる小椋に続いて席を立つ。

 その背中を眺めながら、しみじみ思った。

 

 小椋を解放出来て良かった。

 

 

 

 

 

 

 ファミレスを出ると、夕闇が迫っていた。

 小椋は走り慣れた道を運転しながら、このまま自宅に連れ帰りたいという誘惑と戦っていた。

 

(チキショー、家に連れて帰りたい……)

 

 だが、そんな真似をしたら元の木阿弥だと分かっている。せめて、少しでも離れるまでの時間を稼ぎたくて、スピードを落とす。

 そんな足掻きも虚しく、やがて見慣れた古い家が視界に入った。

 

「今日はありがとな」

 

 晶が礼を言って助手席から降りる。

 鍵を開けて家に入るのを見届けてから、乱暴に車を発車させた。

 

 小椋が平静な表情を保てたのは、ここまでだった。 

 

「……くそっ!」

 

 ガンッ!とハンドルを強く叩いて、悪態をつく。

 車の軌道がふらついて、危うく電柱にぶつかりそうになったのを慌てて立て直す。

 

(全然、まったく、納得なんて出来る筈ねーってのっ!

 

 呪いだの、祟りだの、超常現象だの。

 そんなもの、全く信じていなかった。だけど、信じざるを得ない状況が続けざまに起きて、このままじゃどうにもならないと分かってしまった。

 だから、別れを受け入れた。

 

「何年好きだったと思ってんだ……」

 

 小椋は元々同性愛者では無かった。女性と付き合った事もあった。

 だけど、偶然席が前後になっただけのクラスメイトの男に惚れてしまったのだ。

 

 最初は「綺麗な顔してるな」ぐらいにしか思っていなかったのに、落ち着いた声を心地良く感じた。元々の友人同士が合流してつるむようになっても、晶だけが浮き上がって見えた。他の友人と仲良くしているのを見ると、つい首を突っ込んでしまったりなんかして。そんな恋心を自覚したのは、割と早かったと思う。だけど、告白なんてするつもりは無かった。

 

 逢坂晶は、不思議な雰囲気を持つ男だった。

 話してみると人当たりも良いし、冗談を言い合えるノリの良さもある。

 けれど、ふとした瞬間、透明な壁を感じた。綺麗な顔が厭世的な空気を纏って、物憂げに遠くを見る姿に不安を感じる程に。そんな時は無理にでも話を振って友人達の中に引き込んだ。そうすると、すぐにその雰囲気は霧散したのだけれど。

 

 その壁は、晶の住む家から感じるものと良く似ていた。

 まるで家が晶を守っているようだった。

 

 それは付き合うようになってから、より強くなったように感じた。

 

(……俺が側にいたから、だよな)

 

 家の中では、明らかに感じる敵意と、居心地の良い空間が混じり合う事なく同居していた。気の所為で片付けられない程強烈な感覚に、何故か仏間には近付けなかった。

 

 晶が何も言わなくても、宗教絡みの話だとは気付いていた。

 だが、それを口にしたら、別れに直結するだろうと予感していた。何かがそれを後押ししようとしているのも感じた。

 だから、俺は気付かない振りをした。

 

 晶ほどではなくても、俺もおかしくなっていたんだろうと思う。

 

 積み重なっていく異常現象に慣れ、続いた不幸にも偶然だと目を瞑り。痩せ細る晶を心配しつつも、何の手も打てず。

 晶から切り出された別れで、やっと『解放』された。

 

 

 

 

 小椋は近くのコンビニに車を停め、サイドブレーキを掛ける時間も惜しんでスマホを取り出した。

 

(まだ、手掛かりはある……)

 

 先程のファミレスで手に入れたばかりの連絡先をタップした。

 


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