第7話:悲劇の再来
ギシ、ガララ……
「……ただいま」
姉がげっそりと窶れた顔で家に戻ってきた。
恋人の長谷川が亡くなったのだ。
それは、姉が長谷川という苗字に変わるまで、あと一ヶ月という時だった。
仕事で外回りをしている時に、年配男性の運転する車が歩道に突っ込んできた。即死だったそうだ。
長谷川の両親と顔合わせを済ませていた姉は、葬儀で親族席に座り、骨まで拾わせてもらった。息子を亡くした悲しみの中にいる筈なのに、長谷川の両親は姉を気遣ってくれたそうだ。
「あのご両親の娘になりたかったわ……」
意気消沈した姉が、歪な笑みを浮かべて呟く姿は、見ていられないぐらいに痛々しかった。
姉は結婚を機に多忙だった仕事を辞め、現在は無職だ。
二人が同棲していた家は長谷川の名義だったので、姉は二ヶ月だけ部屋に残らせてもらい荷物を整理しつつ、心の整理もしたという。当然、そんな期間で吹っ切れる筈もなく、新しい住居を探す気力も無かった。
そんな理由で、新しい職と家が見付かるまで、という条件で家に戻ってきた。
「別にずっといてもいいのに。うるさく言う親父も祖母ちゃんも居ないんだし」
「そういう訳にもいかないわよ」
荷解きを手伝いながら、久し振りに姉弟でゆっくり話していると、姉の顔が不意に暗くなった。
「……私、義高さんと生活していて気付いたの」
思い詰めた表情に掛ける言葉が見付からない。まだ二ヶ月しか経っていないのだから、無理も無い。
「この家、やっぱり変よ」
「何を言い出すのかと思ったら。そんなの今更だろ」
俺は姉の明るい色の髪を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「いい年した姉貴に髪染めすら許さないとか、何時代だよって……」
「そういうんじゃないの」
姉は青白い顔で立ち上がると、そっと仏間に続く襖を閉めた。
そして、大きく息を吐いた。
「荷物、いいわ。そのままにしておいて」
「え? なんで」
「出来るだけ早くここから出るわ。……アンタ、やっぱり気付かない?」
「なにを??」
さっきから姉が何を言おうとしているのか分からない。
祖母や父が居なくなれば、ここはただの古い家だ。見栄えは悪いかもしれないが、水回りは新しいし部屋数も多い。何がイヤだと言うんだろう。
キシ、
「……ひっ」
家鳴りに姉の肩がビクッと揺れた。
俺は思わず笑ってしまった。
「何だよ。しばらく帰って来てなかったからって、お化けでも出そうって?」
茶化すように両手首をだらんと垂らす。
だって、幽霊とか見た事ないし。
「……」
姉は青い顔のまま、じっと俺を見詰める。
「敵意……」
「え?」
姉はゴクッと唾を飲み込んだ。
「何だか、家に、拒否されてる感じがする……」
「はあ、何をバカな」
今度はさすがに溜息が出た。長谷川との事があって気落ちしているのは分かるけど、被害妄想まで入っているんだろうか。
「そう思うなら線香の一本でもあげたら? 祖母ちゃんと親父に挨拶しときゃ安心だろ」
そう言って襖を開けると、姉は一瞬体を強張らせた。しかし、すぐに思い直したように立ち上がる。
「確かに、ずっと顔も出してなかったもんね。挨拶するわ」
姉は渋々仏間に入って、仏壇前の座布団に座った。
手前に置いてあるマッチを手にして、仏壇をしげしげと見る。
「……ちゃんとお勤めしてるのね」
「んまあ、慣れたらどうって事無いし」
仏壇も年季もので、金箔はところどころ剥がれているし、漆の艶も燻んでいる。でも、埃は被っていない。水は毎日取り替えてるし、仏花も切らした事はない。
「さすがは跡取りだね」
姉は感心しているようにも皮肉にも取れる口調で呟き、マッチを擦った。蝋燭のゆらゆらと揺れる炎が仏壇の内部を照らす。
そこに置かれている位牌も。
「姉貴?」
気付くと、姉が線香を手にした中途半端な姿勢で固まっている。
その視線は真っ直ぐに位牌に向けられていた。
「ど、どうして……」
パラパラと畳に線香が落ちる。
それにも構わず、姉は仏花を倒しながら身を乗り出し、仏壇から位牌を鷲掴んだ。
「おい、姉貴っ?」
何をやっているのか意味が分からず、俺は俺で花立から溢れた水が畳に染み込んでいくのが気になった。慌てて側にあったティッシュを大量に引き出して水を吸い取る。
「もう、何やってんだ……」
呆れて姉に視線を向けると、真っ青な顔で位牌を握り締めて震えている。
「姉貴? どうしたんだ?」
さすがにただ事じゃないと気づいて、俺は姉に駆け寄った。
肩に手を触れた瞬間、姉の体が弾けるように動いて俺の手を思い切り払った。
「触らないでっ!」
姉の目が怒りに燃えていた。わなわなと口が歪んでいる。
それを見て、父がトウゴに怒り狂った時の様子と重なった。
「アンタ、知ってたの!? 私を騙したのっ!?」
「はあ? 何を……」
姉の恐ろしいまでの剣幕に気圧されて、一歩後退る。
「これよっ!!!!」
殴られるのかと思うぐらいの勢いで姉の拳が顔面に迫った。その手には位牌が握られている。
「どうして! うちに! 長谷川さんの位牌があるのっ!!!???」
「……は?」
言われた意味が分からなかった。
そんなもの、ある筈が無い。
姉は恋人の死に、頭がおかしくなってしまったのかと思った。
しかし。
ゆっくりと目の前の位牌に焦点を合わせると、そこには『長谷川義高』と書かれていた。
「は? え?」
俺は仏壇と位牌の間で、視線を何度も往復させた。
「え? そんな、じゃあ、親父の位牌は?」
「私が知る訳ないでしょうっ!!!!」
姉の怒りは凄まじく、その場で地団駄を踏んでドスンドスンと音を立てる。
「……アンタが位牌を用意出来る筈がないわよね。……きっと、トウゴね! やっぱりアイツがっ、長谷川さんを殺したんだわ……っ!」
「ちょっと待って、姉貴っ!」
話が飛躍しすぎだ。いくら長谷川の死でショックを受けてるといっても、さすがにこれは看過出来ない。
「確かにトウゴさんは、姉貴の同棲に文句言ってたけど、だからって殺すなんて、そんな……」
「いつからあったのよ。この位牌」
いきなり声のトーンが落ちて、姉の口調が平坦になった。
しかし、正気に戻っていないのは、鬼気迫る目付きで分かる。俺はゴクリと唾を飲み込んでから、正直に答えた。
「……それは、分かんない。毎日仏壇は見てるけど、いちいち名前なんて確認しないよ……」
「チッ」
姉の舌打ちを聞きながら、ふと、ある事に気付く。
(そういえば、親父の位牌はいつからあったんだっけ?)
父を火葬した日、トウゴは位牌を持って現れなかった。それ以降も、トウゴを見掛けていない。
なのに、いつの間にか位牌は父の名前に変わっていた。
(まさか、俺が留守の時に侵入して……?)
古い家だ。玄関扉の鍵だってシンプルな旧式のもので、ピッキングの技術があれば簡単に開くだろう。
あとは……
(まさか、勝手口から?)
小椋が来るようになってから、勝手口の鍵は開けっ放しにしてあった。防犯を考えると良くなかったかもしれない。
……小椋と過ごせる事に浮かれていたのは認める。それに、今まで空き巣に入られた事がなかったから、油断もしていた。
(じゃあ、長谷川さんの位牌も、トウゴさんがすり替えた? ……いや、まだ確定した訳じゃ……)
俺は浮かんだ考えを否定しようとしたが、反対に疑問は大きくなっていく。
父があれだけ激昂していたのに、トウゴは平然と位牌を持ち去った。家に忍び込むくらい平気でやりそうだと思ってしまう。
「そんな、まさか……」
狼狽する俺を厳しい目付きで見ていたが、姉は黙って立ち上がった。
そのまま、スマホとバッグを手にして、真っ直ぐ玄関に向かって歩いていく。
「待って、姉貴っ」
慌てて追いかけると、怒りに染まる目が俺を射抜いた。
「止めんじゃないわよっ! 場合によっちゃあ、あんたもぶちのめすよっ!」
「落ち着けって……!」
「邪魔すんなら、姉弟の縁を切るわよっ!!」
柄の悪いドスの利いた声。
姉から発せられる声とは思えなかった。
「こんな家、さっさと出れば良かった。……いや、いっそ燃やしてしまえば良かった……!」
物騒な言葉に姉の正気を疑う。
とにかく落ち着かせないと、このまま外に出したら何をやらかすか分かったもんじゃない。
「姉貴、とにかく落ち着いて。俺、菩提寺と本家に連絡取るから」
「はあ? バカかよ?」
振り向いた姉は鬼のような形相だった。
その気迫のまま、玄関の隅に放置されたままになっている父のゴルフバッグを掴み、中からクラブを取り出した。そのまま怯む俺の前を素通りして、仏間へと引き返した。
「こんなもんがあるから、全部おかしくなるんだよっ! 」
姉は叫びながらクラブを大きく振りかぶった。
ガッシャアアァァァンッ!!!
激しい音を立ててヘッドが見事に仏壇の中央へと叩き込まれた。
「うわあああっ!!!」
俺は思わず手で顔を覆った。
ガシャンッ! バキッ! ゴツッ! グシャッ! パリンッ! バキッ!
「はぁ、はぁ、クッソぉ!」
ガッ、ガッ、と姉は壊れた部品を執拗にクラブで殴り続ける。
「こいつの、こいつの所為で……っ! くそ、くそっ」
俺は呆然と姉の奇行を震えながら眺めているしか出来なかった。
心の中を占めていたのは、恐怖だった。
(こんな事をしたら、恐ろしい事が起きる……)
脳裏に祖母ちゃんの怒った顔、親父の怒った顔が浮かぶ。
なんてことを……なんてことを……
ちゃんとしないと。
ちゃんと。
ちゃんと。
ぐるぐると視界が回り、手足から感覚が無くなっていく。
心臓がドクッドクッと大きく脈打ち、胸が締め付けられる。
ああ、もう、終わりだ……




