第6話:招かれざる家
キシ、キィィ……
扉が開く音に気付いて、晶は台所に足を向けた。
「いらっしゃい」
声を掛けると、勝手口から小椋が顔を出した。
「お邪魔します」
靴を揃え、律儀に挨拶をする小椋に思わず笑ってしまう。
「俺しか居ないんだから、いらないだろ、その挨拶」
「いやー、恋人の実家だと思うと、やっぱ緊張する」
「そんなもんか?」
小椋を台所から続きの居間へ通す。
男の手料理ではあるが、座卓には既に料理が並んでいる。父の面倒を見ているうちに、料理の腕は少し上がった。時間が無い中で、少しでも旨いものを食べたかったからだ。なので、ほぼ時短料理である。
「おー、旨そう。悪いな」
「ツマミばっかだけどな」
冷蔵庫からビールを出して、机の上に置く。
小椋は台所で手を洗ってから、座卓に座った。
「お疲れさん」
「うーっす」
乾杯してビールを煽る。
冷えた炭酸が喉を刺激する感覚にも随分と慣れた。まあ、二杯目からは別の飲み物にする事が多いけど。
父の介護から解放されて、再び小椋と会うようになった。以前と違うのは、小椋が俺の家に来るようになった事だ。
俺が一人暮らしになると、駐車場があって会社から遠い逢坂の家の方が小椋にもいろいろと都合が良かった。
俺も週に二日の休日のうちの一日を、小椋に合わせるようにシフトを組んでいる。長く勤めていると、こういう融通が利くようになる。父の介護の時にも随分と助かった。
一週間分の近況報告のあと、小椋はもう何度目かになる問いを口にした。
「やっぱ引っ越しは難しそうか」
「うーん……」
父の葬儀から既に半年が経過しようとしている。
当初はこの家から出るつもりだった。しかし、何もかもが上手くいかなかった。
姉のように黙って家を出る事も出来たが、さすがに無人にするのはマズいんじゃ無いかと考えた。この家を出たら、もう二度と戻ってくるつもりはなかったから、不義理はせずに『ちゃんと』後始末をしようと思ったのだ。
一度も参った事の無い墓はともかく、祖母が長年大事にしていた仏壇をそのまま放棄するのは気が引けた。だから、気が進まないながらも菩提寺に連絡をした。引っ越すので仏壇をどうすれば良いのかを尋ねる為に。
しかし、それはそう簡単な事ではなかった。
いつの間にか全てが本家側に伝わっていて、執拗に引き止められたのだ。それが嫌だったから、菩提寺の方に直接相談したのに。田舎には個人情報保護なんて概念は無いらしい。もちろん寺には文句を言ったが、本家を筆頭として檀家になっているので、そちらの許可が必要だと当然のように言われた。
逢坂家は、長年この家――この土地を護る為に住んでいるらしい。継ぐ者が居なくなったのならともかく、若い俺と姉が生きているのにその役目を降りる事は出来ないと言うのだ。
俺たち家族がここに住んでいる理由は分かった。だけど、そんな何世代も前に決めた事を俺たちが守る必要は無いだろう。昔ならいざ知らず、現代では居住・移転の自由がある。
そんなに御大層な家なら、誰か住みたいヤツが住めば良い。
最終的には更地にして、土地を処分するまで考えていたのに、随分手前で躓いている状態だ。
「本家の人がゴネてさぁ。この家と土地、それなりに由緒あるらしいんだわ」
「え、逢坂家って良い家柄ってことか?」
「んな訳ないだろ。分家だし、俺は高卒のドライバーだぞ」
ハハハ、と笑って冷奴を口に放り込む。
結局、引っ越し出来ないまま古い家に住み続けているが、実は「もうこのままでもいいか」と思い始めている。
古いとはいえ広い家に一人暮らし。小椋が来ても、何なら住んだって何の問題も無い。
以前は小椋のアパートに泊まりに行っていたけど、単身者用の狭い集合住宅だったから夜は小声でしか話せなかった。場所も小椋の会社の近所だったので、せいぜい飲みに行くぐらいしか出掛けられなかった。
でも、この家なら広いから音は漏れない。駐車場だってあるし、勝手口の鍵を開けておけば誰にも見られる事なく出入りも出来る。
まあ、バレたところで近所は俺の事を詳しく知らない高齢者ばかりだから、何とでも誤魔化しは効く。職場の人間は近くに住んでないから、そっちもバレようがない。
小椋がこっちに引っ越してくれば良いのに、とこっそり思っている。
「……俺は狭くていいから、晶と一緒に暮らしたい」
そんな嬉しい事を言ってくれる恋人に口元が緩む。
俺の部屋で二人、買い替えたばかりのダブルベットで抱き合って、幸せを噛み締める。
「小椋がこっちに引っ越してきたらいいのに……」
「いや、それは無理」
口に乗せた希望を、思いの外強く否定された。
危ない。俺の都合で不便を強いる訳にはいかない。
「まあ、会社が遠くなるもんなぁ」
「それは許容範囲なんだけど。なんて言うか……」
「うん」
「……この家、怖くない?」
「あー」
(そうか、小椋は怖がりだったのか)
まあ気持ちは分かる。俺だって子供の頃は怖かった。
古くて軋む家、仏間には先祖代々の遺影が掛けられ、いつも見られてるように錯覚する。
(それに、親父はこの家で自殺してるしな……)
父が亡くなった部屋を小椋に見せた事は無いが、今も生前のままになっている。特に使う予定が無いからだ。同じ理由で、母と祖母の部屋もそのままで、私物も処分していない。
俺は家族だから気にしないが、確かに気持ち悪いかもしれない。
「何だったらリフォームする? 家出るよりは簡単そうだし」
「いや、そういう問題じゃない」
慌てる小椋に苦笑しながら、新しい家を想像してみる。
建て替えとなると厳しいが、畳をフローリングにしたり窓のサッシを替えたり、照明や壁紙を好みの物にするだけで、だいぶ雰囲気が変わるんじゃないだろうか。
「部屋だけは余ってるからなー。シアタールームとかも作れるぞ。予算は応相談だけど」
「あのなぁ、別にお化けが怖いとか、そういう事じゃなくて……」
この後も家を出る方向での話は全く進まず、結果的に俺は実家に住み続けた。
同棲はしないまま、小椋が俺の家を尋ねる形での付き合いが続いた。
小椋は俺の家に来る時は勝手口を使い、仏間には絶対に入らなかった。
それを俺は小椋なりの気遣いだと理解していた。
そんな半同棲気分を、呑気に楽しめたのは二年程だった。




