第4話:束の間の自由
祖母の葬儀から半年が経過した。
魂が抜けたようになった父は、忌引きが明けても会社に行けなくなり、しばらく休職したのち退社した。
この時に姉と資産の確認をしたのだが、金融資産が思っていた以上の額があって驚いた。お陰で父が働かなくても問題無く暮らしていける事が分かった。
姉はそのタイミングで恋人と同棲する為に家を出た。
父は何も言わなかった。今は母が植えた庭木の世話をしたり、仏壇の前でぼうっとしている事が多い。ほとんど出かける事も無く、最低限の家事はしてくれている。そこだけは助かった。
そして、俺はというと。
「おお、すっきりしてる」
「飲みやすいだろ」
俺の行動を制限するものが居なくなった事で、気軽に小椋と酒を飲みに行けるようになった。お陰で酒の味も何となく分かるようになってきた。
「ビールは苦手だったけど、仕事終わりの冷えたヤツは旨いな」
「立派にオッサンに近づいてるぞ」
ははっと小椋がハイボール片手に笑う。高校時代よりぐっと大人っぽくなったが、人懐っこい笑顔は変わらない。
小椋は就職活動中で、今日は珍しくスーツ姿だ。
「なんで先に就職した俺より、小椋の方が飲み慣れてんだ……?」
「大学で散々飲まされたからな」
「……うちだったら、ぶっ飛ばされそうだ」
親の金で進学して遊び呆けてたら、間違いなく鉄拳制裁だっただろう。とはいえ、今の父にもうそんな気力は無いし、小言を言う母も祖母も居ない。
(自由っていいなぁ……)
ほろ酔い気分で感慨深く頷いていると、小椋が心配そうな顔を向けてくる。
「そういや、親父さんの調子はどうだ?」
「んー、相変わらずの低空飛行だけど、俺がいるより一人の方が気楽そうだぜ」
「寂しがってんじゃないのか」
「ないない。留守しても何も言わないし、昔の頑固親父はどこに行ったって感じ」
「へえ、変わるもんだな」
小椋は俺の家の事情を知っている。
何せ高校時代から門限はあったし、髪染めやちょっとしたアクセサリーすら全部『男がするもんじゃない』と禁止され、小遣いの使い道まで報告させられていたのだ。
付き合いが悪いと思われたくなくて正直に話したら、友人たちは心底同情してくれた。
それが、今は自由になった。
少々羽目を外した所で咎める者は居ない。
家族を失った悲しみはあれど、それ以上に息苦しい日々からの解放は心を軽くしてくれる。
「お前が大変じゃないなら良いけど」
「うん。本当に全然。今までのが何だったんだってぐらい自由だし。まあ、社会人になった息子との関係なんて、普通はそんなもんだろ」
「それもそうか。……そういや、今日は車か?」
「うん」
「じゃあ泊まってく?」
「うん」
そして、俺たちは付き合う事になった。
たまに連絡をくれていた小椋と自由に飲みに行けるようになって、俺から告白してしまった。今まで抑圧されていた気持ちを抑えきれなくなってしまったのだ。
幸運な事に想いは通じ、晴れて恋人同士となった。
なんと、小椋の方も高校時代から好意を持ってくれていたそうで、何だかんだと連絡を取っていたのは、小椋なりのアプローチだったそうだ。
酔った勢いでつい告白してしまった瞬間は『やっちまった!』と青くなったけど、……うん。告白して良かった。
隣県とはいえ、小椋が一人暮らしをしているアパートは、車だと四十分も掛からない。それを知った時は、一人暮らしする必要はあるのか疑問に思ったが、自宅から通学するには微妙に交通の便が悪いそうだ。
知り合いと会う事は無い、でも車で通うには遠くない。この距離が良かった。
大学生の多い街に紛れるように二人で過ごすと、何者でも無い自分になれた。誰も俺を見ないし気にしない。地元から離れて初めて、ありのままの自分でいられた。
学生らしい安アパートの生活感の溢れる部屋がまた良かった。学生向けの安い居酒屋で飲んだ後、酔ったまま薄い布団で雑魚寝した。狭いユニットバスでシャワーを浴びて、ジャンクフードを齧りながらゲームをした。金は無かったけど、メチャクチャ楽しかった。
やがて小椋の就職も決まり、ヤツは少し広い部屋に引っ越しした。駅からは遠いが、俺の為に月極の駐車場を借りてくれた。俺の家との距離は少し近くなったものの、やはり知り合いの居ない土地だった。
お互いが社会人になると、ゆっくりと会えるのは月に数回だけになってしまった。でも、そこには穏やかな幸せがあった。俺がインドア派だったので、あまり出掛けたりする事はなく、いわゆるお家デートばかりしていた。
同性同士だからという消極的な理由じゃなかったけど、人目の無い空間でのびのびと親密に過ごしながら、関係を深めていった。
「んあー……」
明るい光を感じて目が覚めた。
久し振りに良く寝た……と思ってからハッとする。
(やべっ、寝坊したっ! 仏壇っ!)
ガバッと起き上がって、そこが自室ではないと気が付いた。
「もうちょっと寝ようぜ……」
腰にしがみつかれて、再びベッドに戻される。
(ああ、そうだ。昨日は小椋の部屋に泊まったんだった)
良いポジションを探してもそもそと姿勢を動かしていると、布団を頭から掛けられた。
(あったけぇー……)
休日でも自宅では決まった時間に起床して、仏壇に手を合わせるように躾けられていた。しかし、この部屋に仏壇は無い。
俺は二度寝という、最大の贅沢を満喫する為に瞼を閉じた。
「んー……」
ふわ、と香ばしい匂いが漂ってきて、俺は再び目覚めた。隣にいた小椋が居ない。どうやら朝食を作ってくれているようだ。
のろのろとベッドから這い出すと、キッチンに立つ広い背中が見えた。
(ふふ、さては腹が減って起きたな)
体格の良い小椋は良く食べる。体力維持の為に今も筋トレは欠かしていないから、野球を辞めても弛んでいない。俺も荷物を運んだりする仕事なので、それなりに筋肉はついているつもりだが、元々細身な上に骨格が違う。
スウェットに寝癖という、恋人の油断しきった姿をニマニマ眺めていると、香ばしい匂いが段々と焦げ臭くなってきた。
「小椋ー、それ、焦げてない?」
「おわっ! マジかっ!?」
小椋は慌ててフライパンの火を止めると、ガックリと肩を落とす。
「うう……、また焦がした」
「食える食える」
フライパンを奪って焦げた目玉焼きを皿に盛る。そこに小椋が袋サラダとこれまた焦げたベーコンを乗せる。あとはインスタント味噌汁に納豆とご飯。
小さいローテーブルに並べて手を合わせる。
「いただきます」
「焦げてるとこ、除けて」
「全然食えるって。俺なんかもっと酷かったぞ」
元々料理しない小椋が、俺が泊まるようになって朝食を作るようになった。腕の方はまだまだだが、良い事だ。菓子パンやおにぎりばかりじゃ体に悪い。
俺だって、『男子厨房に入らず』を徹底していた祖母ちゃんのせいで、料理は初心者に毛が生えた程度だ。放っておくと何も食べない父の為に料理を始めたけど、やればそれなりに食えるものは作れるようになった。レシピは手放せないけど。
食後、ベッドを背もたれにスマホを弄っていると、小椋が背中から抱きついてきた。
「良さそうな募集あった?」
「んー、イマイチ近場がないんだよなぁ。給料はどこも似たりよったりだけど、どうせなら休みが合う方が良いだろ?」
「はあ、早く一緒に住みたいな……」
「まあ通えない距離でもないから、先に引っ越してきてもいいんだけどな」
「いいよ、すぐにでも」
小椋が嬉しそうに笑う。
季節は巡り、祖母の死から一年半が経っていた。
俺はそろそろ家を出る事を考え始めた。父は変わらず家にいるものの随分と落ち着いたし、何といってもまだまだ若い。金銭的に問題は無いから、今の生活を続けていても何とかなるだろう。
「せっかくだったら、もっと広いトコに引っ越して、犬とか飼わない?」
「ベタベタくっついてくんのは、お前だけでじゅーぶんだっつーの」
そう言いつつも、大型犬と思いっきり走っている小椋を思い浮かべる。
うん、悪くない。
家も落ち着き、恋人との関係もそれなりに順調。
このままずっと、穏やかに生きていく将来を思い描いていた。
しかし、その希望は叶わなかった。
引っ越しを考えていた矢先に父の精神状態が悪化してしまったのだ。
調子の悪い時は二、三日寝込み、食事も取れなくなる。
家事は全面的に俺がするようになって、通院の付き添いも必要になった。日中は一人で過ごしてくれたが、それでも仕事との両立は厳しかった。
朝昼兼用の食事を用意してから会社に行く。帰ってきてから夕食を作り食べさせる。調子の悪い時は食事や入浴の介助もした。買い物と掃除と洗濯は休日にまとめてやると、あっという間に一日が終わる。
じわじわと疲労が蓄積していき、とにかく時間が無かった。
小椋と会う回数はぐっと減り 、たまに会っても心配ばかりさせてしまう。そうなると申し訳なくて更に会い難くなり、同棲なんて考える余裕も無くなった。
後になってみれば、入院や人を入れる方法もあったと思うのに、その時はそういう手段を思い付きもしなかった。小椋が頑なに俺の家へ来ようとしなかった事にも、その頃の俺は深く考えていなかった。
そうして親父が死んだ。
俺は二十四になっていた。




