第3話:檀家の仕来り
盛大に暴れた後、父はまた元のようにじっと動かなくなってしまった。
俺もどっと疲れて、その場にへたり込んだ。
戻ってきた姉が仏間に布団を敷いてくれて、二人掛かりで父をそこに寝かせた。父の寝室は二階にあって、さすがに運ぶのは無理だった。
仏壇には祖母の位牌がひとつ。見ただけではさっきまでと何も変わらないが、書かれている名前だけが変わっている。
眩しいほど白い後飾り祭壇が、古い家の中で浮いて見える。
突然の死でろくな写真を用意出来なかった母と違い、祖母の遺影は写真館で撮影された着物姿だ。最期まで完璧で、黒い額縁の中の祖母は誇らしそうに見える。
しばらく二人で父の様子を見て、暴れそうにないのを確認してから襖を閉めた。
「晶、ちょっといい?」
「うん」
「……今日は本当にお疲れ」
そう言う姉の顔にも疲れが見える。
やっと全部終わったという気分になって、肩の力を抜く。
「こっちは葬儀場の人がほとんどやってくれたから、そんなでも無かったよ。姉貴の方が大変だっただろ」
「まあ、そうね。……でも、お父さん、どうしちゃったんだろうね。お母さんが死んだ時でも、ここまで動揺しなかったのに」
うん、と俺は頷く。
酷く落ち込んではいたけど、それでもここまで正気を失うような事は無かった。
「なあ、位牌ってそんなに大事なもんなの?」
俺の問いに姉が首を傾げる。
「そういえば、アンタ、位牌がどうとか言ってたわね。お父さんが暴れて、すっかり忘れてたわ」
「トウゴさんが、母さんの位牌を持っていったんだよ」
「え、なんで? 位牌って仏壇に置いておくもんじゃなかったっけ?」
「俺もそう思って、『位牌をどうするつもりなんだ』って聞いたんだよ。そしたら、それ聞いた親父が暴れ出して……」
「ええー……」
姉が嫌そうな顔をして襖を見る。
「私はお祖母ちゃんが死んだショックで、混乱してるんだと思ってたわ」
「それじゃあ『由紀子を返せ』って変じゃない?」
「おかしくなかったら暴れたりはしないでしょ」
「それもそうだけど。……俺も位牌の事は引っかかったから」
「……気分が悪いのは確かね。いくら宗教上の理由だったとしても、他所の家の位牌を勝手に持っていくなんてね」
「うん……」
祖母がいくら敬虔な信者だったとしても、孫の俺達はそうじゃない。
叱られるのが面倒で、言われれば手を合わせるしお経も唱える。が、それだけだ。
「まあ、位牌なんてただの綺麗に塗装しただけの木じゃん。いくらするのか知らないけどさー」
「だよなぁ。…………でも、」
今回、俺は初めて葬儀屋と打ち合わせをして知った事だが、葬儀には白木の位牌を使う。実際に母も祖母もそうだった。それから四十九日の法要で本位牌に入れ替えるものらしい。本位牌は作成するのに二週間ほど掛かるそうで、ついでに注文しておくか聞かれた。
うちの宗派の位牌は菩提寺から貰う事になっていると、母の時に知っていたので断ったのだが……。
「本位牌って、普通は四十九日の時に入れ替えるもんなんだって。葬儀社の人に聞いたんだけど、うちってそんな法要やってないよな?」
「そういう宗派なんでしょ」
「でもさ、本位牌って作るのに時間掛かるんだって。なのに母さんの時も葬式の次の日には本位牌が仏壇にあったじゃん」
「それがどうしたのよ」
感じた違和感を伝えても、姉からは興味の無さそうな反応しか返ってこなかった。
「それって、先に位牌を用意してあるって事だろ? 気持ち悪くねぇ?」
「マイナーな宗派だし、檀家の人数なんて知れてるんだから、最初から全員分作ってあるんじゃないのぉ?」
投げやりな言葉に、俺の背筋は冷たくなる。
最初から全員分の位牌が用意されているなんて、想像しただけでゾッとする。
俺が青くなっていると、姉が冷蔵庫から缶ビールを持ってきて座卓に置いた。
「アンタも飲む?」
「いや……今から飲むのかよ」
正直、ビールは苦手だ。
姉は躊躇なくプルタブを開ける。プシュ、と小気味いい音が響いた。
「喉乾いたのよ。お茶入れるの面倒だし」
そう言ってゴクゴクとビールを煽る。
プハァと息を吐いて、缶を置いた。
「私、家出るわ」
突然の言葉に俺は思わず体を起こした。
「え、長谷川さんと結婚すんの?」
姉には数年前から付き合っている恋人がいる。
いろいろと煩い家族に隠しているうちに母が亡くなって、それどころじゃなくなってしまっている。が、俺には紹介してくれていた。一つ年上の落ち着いた男性だった。
「いや、まだよ。貯金無いもん。今すぐって訳じゃないけど、とりあえずは同棲からかな」
「そっかぁ、……おめでとう?」
「なんで疑問形よ。しっかりばっちりと祝いなさいよ」
「葬式の日に言われてもなぁ」
「たしかに」
とはいえ、俺たちにそこまでのこだわりは無い。長年一緒に住んでいた祖母ではあるが、母が亡くなった時に比べるとやはり衝撃は少ない。
それに姉の気持ちも分かるのだ。この古い家を出ていきたいという思いは、言わずとも姉弟共通だ。
それこそ祖母が生きていたら、同棲なんて絶対に認めないだろう。確かに家を出るチャンスだ。
「あーでも、そうなったら親父と二人暮らしかぁ。家事増えるなぁ」
「これからは家事力の無い男子はモテないわよぉ。鍛えろ鍛えろ」
ケラケラ笑う姉に渋面を作りながら、冷蔵庫から作り置きの麦茶を出した。俺も喉が乾いた。
「そうそう。アンタ、仏壇の作法って分かってる?」
「え、知らない」
「やっぱ、そうよね。私もよ。興味無いし」
うんうんと頷くと、姉が面倒そうに言う。
「さっきトウゴさんに言われたのよ。毎日のお勤めだけは欠かすなって」
「祖母ちゃんがやってた事、やればいいだけじゃねーの? 水替えたりとか、お経読んだりとか?」
「だから、アンタ、それ覚えてる?」
「なんとなくしか……」
「だよねぇ。お父さんなら分かると思うんだけど。……さっきの様子じゃねぇ」
二人して襖に目を向けて溜息をつく。
「そもそもさ。仏壇っていんの? 俺、守っていかなくちゃなんないの?」
「さあ? 継いだあとは好きにすれば? 私は結婚したら関係なくなっちゃうしさ」
「墓じまいとかは聞くけど、仏壇じまいってどうやんだろ……」
「うちの宗派変わってるもんねぇ。墓参りもしないし、法事も無いし」
「遠いからラクだけどな」
うちの本家筋に当たる家があるのは関西の片田舎。菩提寺もそこにある。檀家は寺の付近にある家ばかり。うちのように違う土地に移り住んでも改宗しない家は珍しいんじゃないだろうか。
まあ、寺との付き合いは遠方でも問題無いぐらいにあっさりしたものなので、改宗する必要が無かっただけなのかもしれないけど。敬虔な信者であった祖母ちゃんとちぐはぐな感じはする。
「でも、納骨まで任せて良いなんて、ホント変わってるわ」
「トウゴさんも忙しいだろうにな」
「本業は地主だっけ?」
「らしいよ。農業もやって、お寺の手伝いもしてるんだって」
「うっはー、本家に生まれなくて良かったわぁ」
田舎に住んでいれば、寺の役目を仰せつかるのはヒエラルキー的に意味のある事なんだろうが、俺たちには関係無い。
「ほんと、面倒だよなぁ。……俺も婿養子になって家を出たい」
姉は片眉を上げて、ニヤリと嫌な笑顔を浮かべた。
「そんな事しなくても、転職して都会にでも行っちゃえば? 実家と音信不通のオトコなんて、いくらでもいるわよ?」
「そりゃ、そうだろうけどさ」
俺だって、出られるものなら出たい。
継ぐようなものはこの家以外に何も無いのに、『長男は家を継ぐものだ』と言われ続けて育った。進学だろうが就職だろうが、家を出るのは以ての外。だから、俺は高卒で地元に就職したし、『女は親に、結婚してからは夫に従順であれ』なんて言われてきた姉は、恋人が出来たなんて軽々しく言えなかった。
だけど、今なら。
「さすがにお父さんがあの状態だから、今は目が離せないけどさ。ちょっと距離置いてもいいんじゃない?」
「まあ、そうだよな……」
俺の仕事は人手不足が深刻な職種だ。
給料の低さにさえ目を瞑れば、どこに行ったって仕事に困る事は無い。
考え込む俺の耳元で姉が囁いた。
「それにぃ、小椋くんとも会いやすくなるわよぉ?」
「ぶっ」
麦茶吹いた。
「あいつは関係無いだろ」
「強がっちゃってぇ」
プシュ、と姉が二本目のビールを開ける。
酒には強い筈なのに、もう酔ってんのか。
「アタシは気にしないわよ。ただ、弟のアンタには幸せになってもらいたいだけ」
隣の部屋にいる父が気になった。
今はそれどころじゃないだろうが、万一にでも聞かれたら大変な事になる。
「そういうんじゃねぇって」
姉は俺の性的嗜好を知っている。
カモフラージュでエロ本は部屋に置いてあるし、胸のデカい女が好きだと常日頃ボヤいているのに、何故かバレた。
親しい女友達が居ないからか、何度か告られてもOKしなかったからか。(それを姉が知っているのが地味にイヤだが)
「まあ、父さんが元気になるまではしばらく二人で家事分担ね。仏壇は……うん、適当にやってみよっか」
「分かった」
これまでは毎日祖母がやっていた事。
そこに意味を見出せないが、この家にいる間はやっておいた方が良い。
その時の俺たちは、そう思っていた。




