第21話:家の聲
充電が切れただけだ。
電波の届かない場所にいるだけだ。
嫌な予感を振り払うように、わざと明るく会話しながら、それぞれのスマホから電話を掛け、メッセージを送った。しかし、何度やっても繋がらなかった。
「家電にも出ないわ……」
真紀の表情から余裕が消えた。
徹夜明けだったが、小椋はハンドルを握り続けた。疲れていたが、目はむしろ冴え渡っていた。
ここで事故っては意味が無い。安全運転を心掛けながら、真っ直ぐに逢坂の家に向かった。
休憩もそこそこに飛ばしたお陰で、逢坂の家に着いたのは正午前だった。
ガチャガチャ、ギシ、ガララ……
「晶っ!」
呼び鈴も押さずに急いで鍵を開け、真紀が玄関に飛び込んだ。
靴も脱ぎ散らかす勢いで、室内に上がり晶を探す。それに小椋と東護も続いた。
「晶っ、居ないのっ!?」
一階、二階、庭と探したが、晶の姿はどこにも無かった。
「どこに行ったのよぉ……」
真紀が途方に暮れて、居間の座卓に肘を付いた。
それに東護が気休めの言葉を掛ける。
「まあ、どこかに出掛けてるだけかも……」
「病院に担ぎ込まれたんでしょ? そんな調子でどこに行くってのよ」
「……俺も、そう思う」
小椋は晶が居ないのが分かってから、家の様子を観察した。
財布とスマホが見当たらない。
だが、玄関には晶が普段履いているスニーカーが揃えられたままだった。それに、駐車場にも晶の車は停まっていた。
洗っていない湯呑が流しに、晶の部屋には読みかけの小説がベッド脇に置いてあって、常夜灯が点けっ放しになっていた。
まるで、ベッドで眠りに落ちたまま、居なくなったかのように。
「何かまた、変な事に巻き込まれたんじゃ……」
そう心配そうに呟いた真紀がハッと顔を上げた。
「あっ、そう言えば、仏壇……っ!」
勢い良く立ち上がり、開け放した仏間へと突進していく。
「嘘っ! あんなにバッキバキに壊したのに……!」
仏壇の扉は閉じていたが、壊れてはいなかった。
小椋も東護も、夢だという前提ではあったが、晶から真紀が仏壇を破壊したという話を聞いていた。
そして、同じ話が真紀の口から語られた。
「……ちょっと、開かない、んだけどぉっ!」
真紀が仏壇の扉を開こうとするが、まるで一枚の板のようにビクとも動かない。きっちりと閉まった漆の二枚扉、その銀色の取っ手は無機質な鈍い光を湛えたまま、真紀の力を物ともしなかった。
小椋と東護が代わる代わる試してみたが、同じだった。
「やっぱり、ゴルフクラブでもう一回……」
「いやいやいや、寝た子を起こさなくても良いでしょうっ!?」
東護が慄いて真紀を諌める。小椋もそれに同調した。
「必要ないだろう。なんかもう、空っぽな気がする」
「……言われてみれば、あの、嫌な感じがしないわね」
真紀は納得すると、取っ手をあっさりと離した。
その後、三人は晶の帰りを待つ事にした。
「すぐに出ていくつもりだったけど、やっぱりしばらくは家に居るわ」
手持ち無沙汰だった真紀は、開封しただけだった段ボールの荷解きを始めた。女性の持ち物なので、小椋も東護も手を出さずに、会話しながらそれを眺めていた。
衣類や化粧品など、女性らしいものの中に、揃いのマグカップや写真立て等もあって、男二人は思わずしんみりとしてしまった。しかし、当の真紀本人はてきぱきと荷物を整理していく。
途中、宅配ピザを取ったりテレビを観たりしながら、小椋と東護はだらだらと雑談をして晶の帰りを待った。
「僕だって、普通に会社員やってたんだよ。なのに、お役目だって言われて、仕事辞めさせられてすぐにこれだよ?」
「東護として担当する家は少ないんだろ? 仕事まで辞めなくても……」
「赤の他人の葬式です。今すぐ行ってきます、っていきなり休める会社なんて無いんだよ……」
「あー、そりゃあ、気の毒だな……」
「分かってくれるかー!? さっすが航平!」
東護の本名は嵯塚清史と言うらしい。
真紀が家の事を細々やっているうちに、気付けば嵯塚は俺にすっかり懐いて、「清史」「航平」と呼び合う仲になっていた。(何故だ)
……清史からは微妙に俺にビビりつつ、何やらリスペクトのようなものを感じる。
結局、その日は深夜まで待っても、晶は戻ってこなかった。
心配ではあったが、一人暮らしの成人男性だ。一日姿を見ないくらいで警察に連絡するのは憚られた。
おかしな現象を見まくった所為で、三人とも不安にはなったが、それこそ怪奇現象の類なら俺達にはどうする事も出来ない。
俺は東護を家まで送り、何か情報があれば教えてくれるように頼んだ。
その数日後、真紀は警察に捜索願を出した。
その後も俺は晶を探した。とはいえ、心当たりなんてほとんど無い。
退職した職場や、高校時代の友人、何度か行った居酒屋、……少しでも手掛かりがあれば、と思ったが、それらは全て不発に終わった。
どこに居るのか、元気なのか。
心配して、方々を探し回ったが、身が入らなかった。どうしても見当違いの事をしているという感覚があった。
とはいえ、じっとしていられなくて、人通りの多い場所や駅の周辺を当ても無く歩いたりもしてみた。
それでも晶は見付からなかった。
火災から一ヶ月と少し経って、入院していた菩提寺の住職が亡くなった。
葬儀が終わった後、檀家衆が集まって協議したが、本堂を再建出来るだけの資金は集まらなかった。檀家の数そのものが減っていた事、跡を継ぐ僧侶が居ない事からも、白雲山・徳修寺は解散する事となった。
元々過疎化が進んでいた周辺の村は、これを機に便利な都会へ居を移す者が増えて、更に人が減っていった。
東護を始めとした、お役目を任されていた者はその任を解かれた。
「やっほーい。これで僕も晴れて一般人ですよ! もう訳の分からん教本とはオサラバでーす! はい、これ」
東護では無くなった嵯塚は、黒尽くめのパンクファッションに銀色のアクセサリーをジャラジャラと着け、白く染めた髪を逆立てて逢坂家にやってきた。本人曰く、正道から解き放たれた反動だそうだ。
「良い年して、入れ墨かよ……」
「シールだって! 雰囲気大事っしょー?」
逢坂家の前で小椋と合流した嵯塚は、ウキウキと軽やかな足取りで家に入っていく。
「真紀さん、こんちわー! はい、コレ!」
「ありがとう? なんで、ビール?」
「僕の再就職祝いです!」
「あら、それは、おめでとう」
嵯塚の変貌にも全く動じない真紀は、そのまま二人を居間へと通した。
あれから、三人は定期的に逢坂家で集まるようになった。名目は晶の消息についてや、菩提寺や村の情報交換の為だったが、それに新しい情報が加わる事はほとんど無かった。
最初は情報交換をするだけだった逢坂家への訪問だったが、すぐに飲み食いが加わった。
体験した不可思議な現象や、同じ人物を待っているという共通点が、いつの間にか絆のようなものに変化していった。
「その格好で大丈夫な仕事って何なの?」
「いや、おねーさん、この格好で仕事行く訳ないじゃないですかぁ。これはただの発散ですよぉ~。ぼかぁね、灰色だったセイシュンを取り戻すんですよ~ぉ」
「清史、飲み過ぎだぞ」
「いいじゃない。面白いわよ。ほら、もっと飲んで」
「ふわぁ~い」
「ちょっと、ちゃんと注がせなさいよ」
酌をしようとしてくれている真紀に差し出すコップがちっとも水平にならなくて、ふにゃふにゃとした嵯塚の動きが面白い。
「はははっ」
缶ビール一本を空ける前にへべれけになっている嵯塚の口にアタリメを放り込んでやる。
「むぎゅっ、……むぐむぐ、……なに、するんですかぁ」
「お前、酒飲んだ事ないのか?」
「ある訳ないじゃないですかぁ~! 不飲酒戒は正道から外れるんれすよぉ!! 」
「へえー。晶もお姉さんも飲んでるのに?」
「東護は、見本にならないといけないんですって~! だ、か、ら、解放されたんです~!! にゃはは!」
ニヤニヤ笑いながら、真紀はこっそりと嵯塚のコップをジュースの入ったものにすり替える。
「こりゃあ、大虎だね」
「ニャアアアア!」
「猫だろ」
ワイワイと賑やかな酒宴を楽しんでいると、ふと、覚えのある気配を感じた。
(晶……?)
声には出さずに、そっと周囲を見渡した。
当然、誰も居ない。
カタン、
目の前で座卓の上に置いてあった空のビール缶が転がった。それはコロコロと転がり、ポトリと卓から落ちた。
その場所は晶が定位置にしていた場所だった。
誰も、触っていない。
テーブルの振動で倒れただけかもしれない。だけど、他の空き缶は微動だにしていない。
「男はオオカミなんですよ~」
「……古いわねぇ」
見ていた筈の真紀は、何事も無かったかのように嵯塚の相手をしている。
「ちょっと、トイレ借ります」
小椋は立ち上がって居間を出た。そこで一旦、足を止めて居間を振り返る。
やはり、誰も居ない。
賑やかな空気の中に、懐かしい気配が混じっている気がした。
それから季節は幾度か巡った。
三人の定期的な会合は続いていたが、それは晶が帰ってきていないという事でもあった。
成人男性の失踪なんて世の中では珍しい事じゃない。事件性の無さそうな行方不明事案なんて、警察が捜査する筈もなく、進展も無かった。
一時、興信所を使おうかという話も出たが、真紀は反対した。見付かる気がしないと。
そして、真紀の結婚が決まった。
相手の家に移り住む事になり、家を出る事になった。
「真紀さぁん! お嫁に行かないでぇ~!」
「いつまでも待ってたら、行き遅れになっちゃうからね!」
酒に弱いままの嵯塚が、その日は泣上戸になって真紀に絡んだが、真紀はケタケタと笑っている。
そして、バッグから鍵を取り出すと、小椋に差し出した。
「この家も空き家になっちゃうから、時々見に来てくれないかしら」
「いいんですか?」
「たまに風を通してくれるだけでも有難いから。頼める?」
小椋はそっと鍵を受け取った。
晶が行方不明になって二年が経つが、この家はまだ晶の名義のままだ。
(あいつが留守の間だけでも、俺がこの家を、……あいつの戻る場所を守ろう)
鍵を受け取った小椋を、真紀は神妙な顔付きで見詰めていた。
そうして、小椋は予定の無い週末を無人の逢坂家に通う事にした。
通い始めた当初は、ただ雨戸と窓を開けて空気を入れ替えるだけだった。
真紀は自分の荷物だけを持ち出し、家具や家電等はそのままにして出て行ったので、屋内は晶が一人暮らしをしていた頃とあまり変わらなかった。
だから、真紀が住んでいた気配はすぐに無くなったのに、晶の気配はまだそこかしこに残っている。
使いかけの歯ブラシや洗顔料がそのままに、バスグッズも風呂のすぐ脇に置かれていて、すぐに使えるようになっているのは、真紀の意思だろう。
縁側に座っていると、通り抜ける風が心地良い。
キシ、
以前は薄気味悪く感じていた家鳴りの音も、今は全く怖くない。
誰かが居るような、家が生きているような。
ホッと安心するような、誰かに呼びかけられる聲のように。




