第20話:焼け跡の朝
激しい火勢に、小さな本堂は瞬く間に燃え尽きた。
飛び散る火の粉が周辺の木々や落ち葉に延焼しないように、東護を始め、周辺に居た人々が必死で消火に当たった結果、山火事には至らなかった。
小椋が第一報を入れた消防隊が到着する前に、本堂は完全に焼け落ち、炎の勢いは衰え始めていた。
そこへ、山の下から激しい足音と荒い息遣いが近付いてきた。車が近付けない急峻な石段を、消防隊員達は可動式ポンプという重い鉄の塊を担いで駆け上がってきたのだ。
同時に目が眩むような照明が本堂とその周辺を照らし出す。
「――火勢は、落ち着いているのか……?」
隊員の一人が息を整えながら、骨組みだけになった本堂を見上げる。
大火事を覚悟して決死の思いで登ってきたのだろう。拍子抜けしたような、しかし安堵したような表情を浮かべながらも、てきぱきと状況を確認し、指示を出す。
防火水槽が空になっているのを確認し、彼らはすぐに小川へ吸管を投げ込んだ。ポンプを始動させると、静まり返った境内にエンジン音が響き渡り、伸びたホースから力強い放水が始まった。
東護たちが死に物狂いで争っていたのが嘘のように、くすぶる残火はプロの手によってあっけなく鎮められていった。
シャーーーー……
煌々と投光器が照らす中、隊員が白煙を上げる燃え残りに水を掛け続けるのを、東護はじっと見詰めていた。
木造の寺は柱が数本焼け残っただけで、ほとんどが黒く焼け落ちてしまっている。同じく木造だった御本尊は、黒い炭の塊にしか見えなくなっている。
そして、炎に巻かれて舞い上がっていた位牌は、あれだけの数があったにも関わらず、一つも、跡形すら見当たらない。
東の空が段々と明るくなってきていた。
霧のように漂う煙の残滓と独特の焼け焦げた臭いが、朝の気配に浮かび上がる。
まだ地面は暗いが、じきに照明も消えるだろう。
同じように燃え落ちた本堂を呆然と眺めていた檀家衆は、順番に消防隊員に話を聞かれている。それを眺めるように視線を巡ると、同じように焼け跡を眺めている若い男女の姿が目に入った。
その男の手にはバットが握られていた。
(昨晩の男か……!)
シルエットでしか見えなかったが、扉の破壊も位牌を投げたのもこの男だろう。
幸か不幸か、あの瞬間に意識があったのは自分だけだった。破壊された扉も倒れた本尊も焼け落ちて、あの男がやった事の証拠は残っていない。
(僕が黙っていれば、ただの蝋燭からの失火という事になるだろうけど……)
この火事で宗派や檀家がどうなるのか、東護には分からない。
こういった時に取り仕切る住職は、まだ火勢のあった時に担架で運び出されていった。どういった状態で運ばれたのか分からないが、かなりのご高齢だから心配ではある。だが、それは自分の担当じゃない。
東護は警戒しつつ男に向かって歩いていく。
誰もが動けなくなっている中、一人本堂へと突き進んでいった男。ひょっとしたら功徳を積んだ宗教者かもしれない。
そう考えて、東護は自分の考えを否定した。
(バットを振り回す宗教者なんか居る訳ないか……しかも、女連れで)
さり気なく少しずつ近付いて行くと、パアッと眩い光が差した。雲間から朝日が顔を出したのだ。
暁光に照らし出された女性の顔は、逢坂晶にそっくりだ。行方不明だと聞いていた姉の真紀だと察した。
「あれ、……逢坂の、」
思わず呟いた言葉を、二人の耳は拾ったらしい。弾けるように、二対の瞳が同時に東護を射抜いた。
「あ? アンタ、誰」
女性が先に剣呑な声を向けてきた。
逢坂の身内なら隠す必要は無い。
「僕は、嵯塚と言います。東護のお役目を任されてます」
「トウゴ? トウゴさんの息子さん?」
「いえ、東護ってのはお役目の名称で……」
(昨日、あなたの弟にも同じ説明しましたけどね!)
そう思いながら話を続けていると、横槍が入った。
「お前が東護か」
「……え?」
バット持ちの男の声を聞いて気が付いた。
「……まさか、小椋さんっ? なんで、ここに居るんだ? 来るなって言ったよな!」
「了承はしてないけどな」
眉間に皺を寄せ、威圧感すら漂う雰囲気で近付いてくる小椋に、東護は一気に腰が引ける。
小椋が手に持つバットは、ここまで酷使してきた所為でボロボロだ。本堂の扉を壊すなんて暴挙を見ていた東護には、もはや武器にしか見えない。
(まさか、僕、バットで殴られんの……?)
位牌が現れた瞬間、誰一人動けなかった。
なのに、平気だっただけじゃなくて、本堂と本尊をぶっ壊した――
「あ、待てよ。コラ」
東護はズザザッと後ろ足で距離を取った。
「いや、無理でしょっ!」
「話を聞きたいだけだっての」
小椋が距離を詰める。東護は逃げる。
いつの間にか上がった太陽の下、追いかけっこが始まった。
「ゼェ、ハァ……ぼ、暴力ハンタイ……」
「人間をバットで殴った事は無いぞ」
境内を数周する前に、東護は小椋にあっさりと確保された。
「この、クソ暑いのに……ハァ、ハァ……」
肩で息をしている東護に対し、小椋は涼しい顔をしている。
掴まれた腕を振り解く気力はもう残っていない。
「この子、体力馬鹿だから」
晶の姉が近付いてくるのを見て、東護は観念する。
「ああ、もう、……聞きたい事って何だよ……」
「その前に、消防の人が待ってるけど」
その言葉に東護が振り向くと、さっきまで檀家衆に聞き取りをしていた消防隊の隊員がこっちを見て、生暖かい表情を浮かべていた。
火事が鎮まって、安心して遊んでいるとでも思われたのだろうか。こっちは「殴られる!」と必死で逃げ惑っていたのに。
聞き取りそのものは、ごく簡単なものだった。
先に檀家衆の聞き取りが終わっていた事もあって、菩提寺の関係者だと伝えると、出火時の様子を簡単に確認してきただけで解放された。
その過程で、住職の為に救急を呼んだのが小椋だと分かった。
「アンタの豪快なバッティングとピッチングを誰も見てなくて残念だったな」
「見てたのか」
「指一本動かせなかったけどな」
結局、東護は小椋のした事を誰にも言わなかった。
火事の衝撃の所為か檀家衆も気落ちして、誰も壊れた格子戸と倒れた御本尊を気にしていなかった。自分達が位牌を見て倒れた事も――いや、覚えていないのかもしれない。
朝の光の中、三人で帰宅する為に参道を下る。
石段の様子が昨晩見た光景と余りに違っていて、小椋は面食らった。
確かに石段は崩れているし、倒木もある。落ち葉で足元だって危うい。それでも、昨晩の道とは決定的に違う。
崩れた石段の脇は段差になっている程度で、あの転がり落ちそうになった急斜面なんてどこにも無い。倒木だって時々道を塞ぐ程度の数で、問題無く跨いで通れる。
何より、距離が近い。
一時間以上掛けて必死に登った筈の石段が、五分程降りていくと登り口のある公道が見えてきた。いくら、視界と足場が悪かったとはいえ、さすがにおかしい。
「……なあ、この石段って、もっと足場が悪くなかったか?」
「あー、消防隊が倒木を避けてくれたのかもな。夜だと分かんなかったけど」
「距離も、もっと……そう、お前も随分と苦しそうだった」
「そりゃそうだろ。着替えてくりゃ良かったよ……」
はあ、と東護がげんなりした表情で自分の服装を眺める。暗いうちは気にならなかったが、全身が泥や枯れ葉の屑で汚れている。
「ここの石段、二百段ちょっとあるんだぞ……すげーキツかったわ……」
「体力無さ過ぎじゃない? 私でも普通に登れたわよ?」
「そりゃ、明るいうちだったからでしょう。お嬢さん」
「…………」
(二百段な筈が無い)
数えはしなかったが、野球部で何度も階段を登り降りしていたのだ。
登っても登っても先の見えない石段。やっと辿り着いた場所から角度を変えてまた石段が続く。それを何度繰り返したか。
(こんな所でも邪魔してやがったんだな)
あっさりと到着した駐車場から、登り口を振り返る。
木々の影で奥は相変わらず見えない。だが、あの時感じた不穏さは、もうどこにも無かった。
(ざまあ見ろだ)
東護と真紀は小椋の車に同乗して、一旦、逢坂家に向かう事にした。
その道中で、お互いが持っていた情報を共有した。
真紀は恋人の位牌に怒り、勢いのままに本家に乗り込んだ。しかし、埒が明かなかったので菩提寺に乗り込んだのだが、住職は留守だった。
住職が帰るのを待っているうちに日は暮れ、山を降りるのが難しくなった頃、室内の灯りに気付いた。再び玄関扉を叩いたが、やはり反応が無かった為に、庵の横面に廻り縁側から入ろうとした。しかし、そこで見えない壁に阻まれたのだと言う。
その後は小椋と合流しての現在だ。
「どうして、あんなに怒りのパワーが湧いたのか、今になってみたら不思議なのよね……。もちろん冒涜された気になって、腹は立ったけど。位牌をどうにかした所で、長谷川さんが帰ってくる訳じゃないのにねー」
憑き物が取れたように助手席で笑う真紀に、小椋と東護は掛ける言葉が無かった。
「俺は、その、晶と……」
「付き合ってるのは知ってるから、私の事は気にしないで」
真紀のあっけらかんとした言葉に苦笑しつつ、小椋は続けた。
「その、昨日、別れたんです」
「えっ、何で?」
「あ、それ、僕のアドバイスです」
今度は後部座席から乗り出して、東護が口を挟んだ。
「結果的に良かったと思ってます。あんな怪しい事ばっかり起きて……別れてなかったら、今頃は小椋さんだってどうなってたか……」
「正道とかってヤツ? 馬鹿馬鹿しい。……でも、そうね。あれは……」
「……晶と別れ話をした後、確かに空気が変わった。何で今まで怯えてたのかも分からなくなって、あんたに電話した」
「だからって、あんな無茶苦茶な事言われてもさー。僕にだって都合ってもんが、」
「混線してただろ。あれも、きっと邪魔されてたんだ」
「え……」
「迎えに来いどころか、碌に話もしないうちに一方的に切られたからなー」
東護は驚愕して、運転する小椋の顔を見詰めた。
「ええ、それって……怪奇現象ってヤツ……?」
「今更、それぐらいで驚くなよ。散々見ただろ」
「見てないって! 精々、僕の位牌が光って消えた、……だけ、で……」
思い出したのか、東護の語尾が小さくなっていく。
怖がらせるつもりは無いので、軽く笑い飛ばしてやる。
「ははっ、まあ、とりあえずは全員無事だったし、良かっただろ?」
「後始末の事を考えると、気が重いけど……あっ! もしかして、晶くんとヨリを戻せるんじゃ?」
「……それは、俺一人では決めらんねーからなぁ」
しんみりしてしまった空気を、今度は東護が打ち消すように明るく励ます。
「まあ、早く晶くんの所に行って報告し、」
「おかしいわ」
スマホを弄っていた真紀が不意に呟いた。
「晶のスマホ、全然繋がらないの」




