第19話:解かれし楔
後になって思い返せば、何かに突き動かされるようにして深夜の山寺へと辿り着いていた。その道中の記憶は、何故か途切れ途切れだ。
気付けば、自分は本堂の入口をバットで壊し、位牌を握っていた。 後は、身に染み付いた動作で、仏像に向けて位牌を投げ付けていた。
吸い寄せられるような軌跡を辿り、位牌は狙った通りに仏壇のド真ん中に当たった。
衝撃で位牌はバラバラに弾け、――光となって消えた。
その瞬間、言い知れぬ達成感と共に、小椋は正気に戻った。
目の前には、壊れた格子戸と傾いていく仏像。手には、位牌を握っていた感触が生々しく残っている。
一気に焦りが襲ってきた。
(マズい……。俺、……やっちまった……?)
ズ、ズ、ズ、……
ドスン!
仏像が倒れる音を聞いた瞬間。
小椋は思わず、その場から背を向けた。
正気に戻って逃げたくなったのは確かだが、それより住職を探すべきだと思った。倒れている人達を助けて貰う為に。
だから、来た方向とは逆の、更に奥へと続く道を駆け出した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
真っ暗な闇の中を追い立てられるように小走りで進む。
LEDのヘッドライトだけでは足元すら見えない筈なのに、何故か道が分かった。
躓く事も、何かに衝突る事もなく、ひたすら進んでいくと、すぐに小さな庵に行き当たった。
「ここか……?」
入口には小さな電球が灯り、室内からも微かな光が漏れている。
おそらく住職の住居だろうと当たりを付けた。
自分のやった事が器物破損という犯罪だと分かっている。
例え相手が正体不明の不気味な宗教の住職だったとしても、まずは謝罪して、それから倒れている人達の事を頼もう。携帯の電波が届かないこの場所では、この家の固定電話だけが頼りなのだから。
(晶の事も、さっきの光って消えた位牌の事も、何か分かるかもしれないしな)
電球の灯りが照らす古びた木の引き戸に手を掛ける。しかし、開かない。
鍵が掛かっているのか、力を入れてもガタガタというだけだ。
(……っと、こんな夜中に、当たり前だ)
ここで自分の無作法に気付いた。
深夜に声掛けもしないで、人の家に入ろうとするなんて。……思っている以上に動揺しているのか。
スーハーと深呼吸してから、呼び鈴が無いか周囲を探す。
その時、庵の敷地の奥に居る人影に気付いた。室内から漏れる灯りのシルエットで女性だと分かる。
「誰かいるの?」
扉を揺すった音で俺に気付いたのだろう。女性は警戒しつつも近付いてきた。入口近くまで来ると、電球の光で顔が見えた。
くっきりとした瞳に形良い唇。見知った顔にそっくりの、美人な女性だ。
「……お姉さん?」
晶の姉の真紀だと気付いて、小椋は驚いた。
連絡は取っていたが直接会うのは久し振りだ。本来なら昨晩、……もう日付が変わってしまったが、晶と三人で夕飯を食べていた筈だった。
「だれ?」
均整の取れた眉が、ぐっと持ち上がる。
「小椋です、なんでここに……」
「えっ、……あーーっ!? 小椋くんっ!?」
甲高い声が鼓膜に直撃して、思わず一歩後ずさる。
「そ、そうです」
「うっわー、カッコよくなったねえ!」
状況と晶の姉の真紀の声が不似合い過ぎて、小椋は面食らう。
しかし、真紀はすぐにハッとしたように声を落とした。
「それより聞いて。この家、おかしいの 」
「おかしい?」
真紀は手を振りながら元居た場所に戻っていく。その背中を追って庵の側面に回り込む。
そこは縁側になっていて、障子越しに室内の灯りが透けている。
「玄関に鍵掛かってたから誰も居ないと思ってたら、灯りが点いてるんだもん。呼んでも返事が無いから、耳が遠いのかなーって思って、こっちに来たんだけど。……ほら」
真紀が足元にあった拳大の石を手に取った。
そのまま、「ふんっ!」と、思い切り障子戸に向かって投げ付けた。
「なっ!」
薄い障子紙を簡単に破って、室内に飛び込む。――そう一瞬のうちに想像した小椋を裏切り、ボトン、と石は目の前に落ちた。
(すげー、ノーコン!?)
「下手クソじゃないからね」
真紀は即座に言うと、落ちた石を拾った。
「やってみて」
「えっ、いやそれは……」
手渡された石は結構重い。サイズは硬式球より僅かに大きい程度だが、重さは三倍以上ありそうだ。
こんなもの、人が居るかもしれない部屋に投げ付ける訳にはいかない。
「いいから、やって! 怖いなら、障子の手前に落としていいから」
「それなら……」
ためらいながらも、小椋は膝を軽く折り、アンダースローの要領で下から腕を振った。障子戸の手前、縁側にすら届かない位置に狙いを付け、そっと手首を利かせる。
だが、放たれた石は想定よりずっと手前、何かに跳ね返されたようにドサリと足元へ落ちた。
「……えっ?」
「ね? 変でしょ? 何か気持ち悪い感じがしない? ……それで、石を投げてみたら、こうだったの」
暗い場所だ。気付かないだけで何か障害物でもあったのかと近付いてみる。そうして数歩、石が跳ね返った場所近くに足を踏み入れた瞬間。
ザワッと、空気そのものがざわめいた。
(延長戦かよ……)
肌が粟立つ感覚。ついさっき、本堂に行くまでの間に感じたものと同じだ。
逃げ出したくなるプレッシャーを押さえ込み、バットをぐっと握り締めた。
「ちょっと下がって、……って、あれ?」
真紀に声を掛けようとした瞬間、フッと圧が消えた。
目に見える光景に変化は無いのに、急激に呼吸が楽になった。
「なんで急に……」
不審に思いつつ庵に近付いてみるが、今度は全く何も感じない。真紀は警戒しているのか、心配そうに見守っている。
そのまま縁側に辿り着き、靴を履いたまま膝で乗り上げ、障子戸を開けた。
裸電球の灯りが簡素な室内を照らしていた。
罅割れた土壁、素朴な襖絵、床の間に飾られた一輪の菊。全体的に淡い色彩の室内に、黒い法衣を着た老人が倒れていた。
どう見ても眠っているようには見えない不自然な体勢だ。
「大丈夫ですか?」
慌てて靴を脱いで室内に入る。
頬を叩き、肩を揺すっても反応が無い。本堂の前で倒れていた人達と同じだ。
(とにかく、電話……!)
部屋の中に電話は見当たらない。別の場所を探そうと、立ち上がった時に外から真紀の声が聞こえてきた。
「あれ、なにっ!?」
縁側に駆け寄り、真紀の指し示す先を見て、ギョッとする。
「な、なんだ……?」
朦朦と湧き上がる黒煙が空を覆い、火柱が立ち上がって火の粉が降り注いでいる。
ザアッと風が吹き、焦げた臭いが押し寄せる。
何が起こっているのか、分からなかった。
呆然と二人で空を眺めていた。
だから、真紀が肩に掛けたバッグから光が漏れて、やがて消えたのに気付かなかった。
ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン……
「えっ」
電子音が響いて、真紀はバッグから携帯を取り出した。
ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン、ピロン……
「えっ、えっ、誰……?」
「電波が繋がったんだ」
小椋は自分のスマホを取り出す。レベルは低いが、確かにアンテナが立っている。
素早く119をコールする。
「ええ、晶? なんでこんなに……」
真紀がスマホの画面を見て、目を瞬かせる。
「あー、そっか、私、勢いのまま飛び出しちゃったからなぁ」
小椋が消防に連絡を入れているのを横目に、真紀は晶の番号に電話を掛けた。
しかし、数回の呼び出し音の後、留守電に繋がった。
「さすがに、こんな時間じゃ寝てるわよね……」
真紀はバッグにスマホを戻そうとして、ある事に気付いた。
確かに持っていた筈の、長谷川の位牌が無い。
焦って何度もバッグの中を漁るが出てこない。そもそもそんな小さな物じゃない。
「……そっか」
真紀はバッグをギュッと抱き締めて、空を焼く炎を見詰めた。




